7月末で会社員を辞めたので、年金事務所に行って、自分の会社(閒)の厚生年金加入手続きを行った。社員はいなくて、僕(役員)1名。会社が加入して、対象者が僕と、扶養に入るムスメ。書類に不備もなく手続きはすぐ終わった。
窓口の方が、保険料の早見表みたいな紙を見せてくれて、僕が設定した自分の月額給与が該当する行にマーカーを引いて、国民健康保険の保険料と、厚生年金の保険料と、それぞれいくらですね、と説明してくれた(あと、子ども・子育て拠出金がちょっとかかる)。
額面を見て「保険料たっけーなw」と思ってしまった。いや、まぁ金額としてはこんなもんなのは会社員の額面と手取り見て知ってたけど、零細企業の経営者になって、全額払う立場になったのと、いまの会社の収支全体における存在感とで、ね。
会社員でよく言われる「営業は給料の3倍売上立てろ」みたいな話あるじゃん、知識としては手取りの裏側にあれこれこんなコストかかってんねやでーってのは知ってたけど、ある程度規模が大きいとさ、保険料とか、地代家賃とかそういうコストは全体にまぶされるから「肌感」としてピンとこないよね。これぐらいの零細企業立ち上げると、「保険料こんなにするのか」って実感値としてのインパクト大きい。
しかしこれが社会を支える原資なのだ…。善き市民でありたい。がんばるぞ。ほどほどに。
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7月もバタバタと過ぎていったけど、無事に会社としてはじめての支払いも終え、会社員生活も終え、ということで、「ととのえ会」で振り返りをしました。
改めて、ここをどんな場所にしていきたいのか?
閒(あわい)―つまり、○○と○○の間、簡単に「答え」が出ないけど、でも気になる、きっと大事なんだと個人が、集団が、時代が感じている「問い」を大事にできる。そういう場所であると嬉しいな。
・この閒という言葉に惹かれて集まってきた一人ひとりが、誰に「やれ」と言われるでもなく、自ずから、探求することができる場所。
・大事にしたい問いがあっても、たったひとりで突き進むのは難しい。時間や知識、お金や資料、日常のさまざまなノイズ、不安や焦りetc.ひとりではなく複数で、求めればお互いが無理のない心地よい範囲で、対話・交流したり、協働・共創することができる場所。
そのためにはどういうものがあると良いだろう…?(あくまで例 ブレスト的に)
・「閒」ってどういう場所?が入り口で伝わるような言葉や映像やしおりetc.
・強制的ではなく、あまりうるさく頻繁でもなく、でも、望めばゆるやかに、「どうもはじめまして」ができる、お互いを知ることができる機会
- 月次交流会、読書会、それ以外にも色々。Slackチャンネルでも、質問リレーとか、分報、週報とか?
・思考のアーカイブ。メディアのeditionへのオーサーとしての参加
- いきなり「自由に」では難しいと思うので、いくつかいまの延長でテーマを設けて、参加したい人が参加できる切り口・企画を考えたい。生活者としての日常の問いや困りごとを起点に、文章や研究が生まれていくような、そういう発想が良いよね。公開編集会議的なことをやってみる?
・あとは、人によってSlackやnotionへの馴染み度合いが違うと思うので、デフォルトのチャンネル・通知設定は都度見直したり、設定方法のチュートリアルを用意したり?
とかとか。
ゆるやかに、会社をつくるプロセスそのものを楽しんでいきたいと思う。
儲からないことするために会社つくったみたいなところあるし。
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こないだの対談で、「グローバル資本主義の中ではいつまでも可塑性のある"青年"であることを求められる」といったことを、東畑さんが話していたのが印象に残っている。いつまでも「若者しぐさ」してキャッチアップし続けないといけないなんて大変な時代だなぁ、と思う。安心して「老いる」環境と経済が必要。
「さよなら、おっさん」とか勇ましいこと言ったりしないで、慎ましく、人畜無害で、ほどよく次世代に再分配しながら枯れていく、善き市民としてのおじいちゃんになっていきたい。
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エッセイと批評が高次に融合したような、素晴らしいテキストに出会った。
佳い批評は作品の奥行きを広げてくれるなぁ。尊いなぁ。
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SHIDARA & ARCHIPELAGOs -設樂剛事務所-主宰の「生命論マーケティングⅡ(全5回)」の初回に参加。
増殖の原理である資本主義という「制度」と、成長=量的変化を目指すビジネス論という「思考」。その2つに挟まれて苦しみ続けた先には死と病がある。機械論的世界観、戦争論、社会進化論、古典派・新古典派経済学等を拠り所に発展してきた現代ビジネス論に対して、発生的・形成的な生命論マーケティングへ。
日頃自分が意識的に・無意識的に実践していること、その中で選んでいる言葉やかかわりかた。そこにバックボーンとして概念や理論を沿えていくような感覚を得られる。昨年に続いて、今年の全5回の講座も楽しみだ。
「概念」をつくるということの意味、大切さを改めて。そしてそれを、誰かに任せて待つのではなく、自分ごととして引き受けていかなければと思う。
いまやっている「とどけるプロジェクト」は、まさに生命論的に形成・変化し続けながら、共同創造・共同学習・共進化をしていく営みだと思う。そうしていけるという手応えをつかんでいる。
memo
・人間の持つ「欲望」を肯定する、ということ。
・「存在」(Being)から「形成」(Becoming)へ、「予測可能性」から「創発性」へ、など、生命論マーケティングの諸特徴。
・概念、言葉、名前の持つ力。名前が出現しているものは、すでに人間の欲望の対象であるということ(例: 宇宙政策)。逆に、生命を絶滅から守るためには名を与えないこと。
・西田幾多郎の「思惟」について知る必要がある。『善の研究』を注文する。
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帰り際、先生に会社設立のお祝いをいただく。感謝。