2024年6月10日にZoomで収録した、鈴木悠平・慎允翼・伊藤亜紗のトーク録画と文字起こし。
終わりのない日常を、離れられない身体を、ままならない痛みを、障害を、どうにかこうにか「経営」していく、そのプロセスでは何が起こっているのか。
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2024年6月10日にZoomで収録した、鈴木悠平・慎允翼・伊藤亜紗のトーク録画と文字起こし。
終わりのない日常を、離れられない身体を、ままならない痛みを、障害を、どうにかこうにか「経営」していく、そのプロセスでは何が起こっているのか。
Read moreTBSテレビの日曜劇場『ラストマンー全盲の捜査官ー』を観て、「介助とヒーロー」というテーマのもと、脊髄性筋萎縮症(SMA)Ⅱ型による重度身体機能障害のある愼 允翼(しん ゆに)と、重度訪問介護制度による愼の介助者の一人鈴木 悠平(すずき ゆうへい)が対談する。
・記憶に残る、家族の「味」と「香り」
・「2人の兄」が弟にかけた言葉
・痛みも後悔も「あなたと共有する」ということ
・過去を引き受けながら未来へと「生きていく責任」について
・過酷で残酷で、なお「人生は素晴らしい」と言うこと
・簡単に立ち去れる人たち、そうもいかない「介助者」と「障害者」
・「事実」を突き止めれば「正常」に戻るはずだという幻想
・「誰でもいいんだけど、その人じゃないとダメ」という関係
・恋愛という「演劇」について
・過去を引き受けた上で、カラッと振る舞うこと
TBSテレビの日曜劇場『ラストマンー全盲の捜査官ー』Ep.6「不器用な愛のカタチ」について。
・「親ガチャ」という世界観になぜ、どのようにNOを言うか
・上と下、両方の権力を行使しうるヒーローとしての皆実広見
・他者の身体を慮るという、”素朴”な愛について
TBSテレビの日曜劇場『ラストマンー全盲の捜査官ー』Ep.5「忘れられない味」について。
・毎日食べたい味と、二度と食べたくない味
・人が2人以上集まれば必然的に生まれる競争、嫉妬や妬み
・「たった一人」のための表現が、地下水脈を通って世界(普遍)と繋がるということ
・生きるための、「やさしい嘘」について
TBSテレビの日曜劇場『ラストマンー全盲の捜査官ー』Ep.4「奇跡の出会い」について。
・傷を抱えた人間が、痛みながら、それでもなお、だからこそ、人間関係を閉じずに「開いていく」こと
・「知りたい」と「隠したい」が同時にあるということ、あるいは、障害者の「ダダ漏れ」性について
・暴力はむき出しであるという現実から、「私刑」を否定する
・外側から「別の秩序」を持ち込むヒーローとしての、全盲の捜査官・皆実広見
TBSテレビの日曜劇場『ラストマンー全盲の捜査官ー』を観て、「介助とヒーロー」というテーマのもと、脊髄性筋萎縮症(SMA)Ⅱ型による重度身体機能障害のある愼 允翼(しん ゆに)と、重度訪問介護制度による愼の介助者の一人鈴木 悠平(すずき ゆうへい)が対談する。
Read more「わたし」には、無限の可能性があるわけではない。身体も歴史も有限である。
では、病気や障害による症状、望んでもいなかった出来事や経験……さまざまな「痛み」すらも、自分の人生の有限性として、我慢して生きていくしかないのだろうのか。それとも別の道があるのだろうか。
「わたし」と「回復」をめぐる、熊谷晋一郎さんの物語を辿る。
Read more物も情報も、使いきれず、受け取りきれないぐらいに溢れている。選択肢の多い時代だと言えば聞こえがいいが、「これでもいいか」ではなく「これがいい」と選べる商品がどれだけあるだろう。
法に触れてはいないものの、かかわる「ひと」のことをないがしろにしているかのような生産プロセスだったり、思わず眉をしかめてしまう、倫理観を疑うようなメッセージを発していたりする仕事もある。
一方で、自分にもお客さんにも嘘のない「誠実な仕事」をしている人たちがいる。彼らがつくった商品やサービス、それを届ける過程での嘘のないメッセージ。それらに触れると、なんだか心が洗われるような感じがする。
なるべくなら、人生の中でそうした仕事や、それをつくる人たちに多く出会いたいと思うし、自分もそうでありたいと願う。
先日出会った彼も、そんな「誠実な仕事」をする人たちの一人だ。
「いぬのしゃんぷーや」こと、SIPPO-HAPPO株式会社代表取締役の野間厚志さん。
現役のトリマーとして犬たちと日々関わりながら、犬の皮膚にやさしいシャンプー「BOKUMO.」の商品開発・販売や、大学での研究、ペット業界に正しい知識を広げるためのセミナー講師等、幅広く活動している。
野間さんとの出会いのきっかけは、クラウドファンディングで支援をいただいたこと。
野間さんが岡山から東京に来られたタイミングで、インタビューをさせてもらった。
ートリマーとして働いてきた野間さんが、どうして自ら犬用のシャンプーを開発・販売しようと思ったのか。背景には、犬の皮膚に関する研究や商品開発にリソースが向けられにくい、ペット業界特有の構造があった。
ずっとトリマーとして犬の毛を切る仕事をしてきましたが、皮膚が悪い子と出会うことがけっこう多いんですよね。どこかしらが痒かったり、足の裏が赤かったりというのがよくあるんですけど、飼い主さんは「これぐらい、いつものことだから」と、それほど気にされていないことが多くて…。でも、僕から見たら明らかに異常なんですね。人間だったら皮膚科に行って治療しなければいけないぐらいのレベルで。
動物のお医者さんである獣医さんが診てくれればいいんですけど、皮膚に興味があって詳しい獣医さんって正直あまり多くないんです。人間なら内科・外科・歯科・皮膚科と、専門別に分かれているところ、獣医って一人で全部みないといけないんですよ。だから、どうしても命に直結する怪我や病気を診ることが優先になってしまう。皮膚が悪くても、それだけではすぐには命には直結しないから様子見、っていうことが多くて、人間の場合だったら確実に治療が行われるはずのレベルでも、なおざりになってしまう傾向があります。
ー研究レベルでも、犬の皮膚に関してのデータや論文は人間と比べると非常に少なく、まだまだ未開拓の分野だという。
人間の皮膚の研究は、みんなが知っている大手化粧品会社さんなどがものすごい研究費用をかけているので、データも豊富に貯まっています。それと比べてペット業界はどうしても市場が小さくてお金になりにくいので、お金をかけて犬の皮膚を研究するプレイヤーが出てこないんです。
人間だったら1000人以上の被験者を集めてデータを取ることができるところ、犬の場合は100頭集めるだけでも困難なんですよ。また、小型犬と大型犬では体格が10倍くらい違うので、当然データも違ってきます。人間だと10倍違う大きさの人はさすがにいないじゃないですか(笑)。
日本と比べるとまだ海外の方が論文が出ているのですが、海外の研究は大型犬に関するものが多いんです。日本で飼われてるのは小型犬が多くて、皮膚が悪い子と出会うのも、小型犬を診る時の方が多い感覚です。これでは海外のデータや論文をそのまま参考にするのは難しい。だったら、お金にはならないかもしれないけど、自分がやるしかないと思ったんです。
ー野間さんは現在、獣医大学に所属して犬の皮膚に関する研究を行いながら、犬の皮膚にやさしいシャンプーの開発・販売も手掛けている。ペット業界の学術研究が未成熟な分、市場に流通するシャンプーの品質や販売方法にもまだまだ問題があると語る。
色々なメーカーのペット用シャンプーを使ってきましたが、「皮膚に優しい」とか「毛並みが良くなる」といった謳い文句が掲げられていても、その通りだと思える商品がほとんどないんです。
人間のシャンプーや化粧品は、裏面を見ると必ず全成分表記がありますが、ペット用シャンプーの裏を見ても成分がほとんど書かれていません。なぜかというと、ペット用シャンプーは法律上「雑貨」に分類されているので、メーカーが成分を表記する義務がないんです。だから、成分ではなく、単に「自然の素材を使っているから皮膚に優しい」といったイメージ先行型の宣伝が横行してしまうんです。
だったら僕がつくるシャンプーは、人間向けのものと同じ「化粧品」分類でやろうと。犬の皮膚に適合したシャンプーを作って、しっかり全成分表記して、消費者にも説明できる嘘のない状態で売ることにしました。
犬の皮膚って、実は人間の皮膚の3分の1から5分の1くらいの薄さで、人よりデリケートなんです。犬の皮膚に合わせようと思ったら、人間でいう「超敏感肌の人向け」ぐらいのシャンプーが必要になってきます。けれど、メーカーに問い合わせるなどして既存の商品の成分をわかる限り確認したら、やっぱり皮膚への負担が大きいシャンプーが多かった。
これでは、自分が毎日シャンプーしている子たちがかわいそうだ。せめて自分の目の届く範囲だけでも犬の皮膚に合ったシャンプーで洗ってあげたい。そう考えて開発したのが、現在「いぬのシャンプー屋」で販売しているBOKUMO.です。
ー犬の肌に本当に優しいシャンプーを。そんな思いで働く野間さんが、もともとトリマーになった経緯はなんだったのだろうか。話を聞いてみると、「勉強嫌いな高校生にありがちなやつです」とあっけらかんと答える。
高校で、先生が「進路決めなさい」ってせっついてくる時期があるじゃないですか。でも、勉強が好きじゃなかったので大学には行きたくなかった、かといって、就職もしたくないし、まぁ、専門学校ならいいかな…と(笑)
それで専門学校の雑誌を開いてみたら「ドルフィントレーナー」という仕事が目に入って、最初はこれにしようと思ったんですが、「日本にイルカが何頭いると思う。食えないぞ」とオープンキャンパスで出会った先輩に諭されまして…。そのあとまた雑誌を読んでいたら、「トリマー」という仕事があることを知ったんですね。
どうせ仕事をするなら、ずっと雇われているんじゃなくて、自分が社長になりたいと思っていました。少し前に美容師ブームがあった時期なのですが、ハサミ一本で身を立てるってかっこいいなっていうイメージを持っていたんですね。それで、人間じゃなくて犬を切るトリマーなら、すぐに社長になれるかもしれないと安易に考えて、「これしかない」と決めちゃったんです(笑)
ーきっかけは些細なことだった。けれどこの頃の話からも、野間さんの「どうせやるなら徹底的に」というパーソナリティの片鱗を感じる。専門学校入学後も、「独立」を目指して徹底的に勉強した。実際に卒業・就職して1年で独立することになる。
すぐにトリマーについて色々調べて、全国に何箇所かある専門学校のうち、近場で一番厳しそうなところを選んで入学しました。専門学校生に入ってからも、ずっと「学校出たらすぐに独立するんや!」という意識で学んでいました。トリマーって、下積み期間を経て30歳くらいでやっと独立するというのが業界のスタンダードだったんですが、ちょっとおかしいですよね僕(笑)。
学校を出る頃には「さすがにいきなり独立は無理」と理解して、一回は就職したんです。でも、自信過剰だったんでしょうね、一年働いてみて、「これは一人でやれるわ」と思い込んじゃった。
たまたま、家の近くの大きい道路沿いにある店舗が潰れたのを見て、「あ、もう今しかない!」と。登記簿見に行って土地の持ち主を調べて、直接電話して「貸してください」ってお願いしたんです。そしたらなんかうまいこと借りられて、という流れで独立できちゃったんですよね。まぁ、その後ものすごく痛い目を見るんですけど(笑)。
ーほとんど勢いだけで独立開業だったが、意外にもスムーズな立ち上がり。「俺はやれるぞ」という自信を持つが、そこに落とし穴が待っていた。
経済について何も分かっていない状態で、勢いだけで独立しちゃった。そこでちょっと痛い目を見ておけば良かったんですけど、勘違いしちゃったんですよね…。売り上げから経費と家賃、借り入れの返済分を支払ってもそこそこ利益が残ったんですよ、最初から。ただそれは、一人で始めたからスタッフ分の人件費がかかっていなかっただけで、そのまま拡大できるモデルじゃないんですよね。でも、「なんだ、俺やれるじゃん」と天狗になってしまった。
店をやっていると、飛び込みの営業みたいな人がよく来るんですよね。「レジ入れませんか」とか、「電光看板付けませんか」とか。当時23歳で、相手がすごく大人に見えてしまったんでしょうね、そうやって店に営業に来た、自称コンサルのおじさんにまんまと乗せられてちゃって…言われるがままに電光看板も付けて、気づいたら2店舗目も出すことに決めちゃったんです。家賃や人件費などの追加コストを冷静に計算したら絶対に立ち行かないはずなのに、「俺ならやれる」っていう根拠のない自信に取り憑かれていました。
ー店舗を増やし、アルバイトも雇ったが、そもそもの見通しが甘かった。売上も思うように伸びず、経費だけがかさむ。見る見るうちにお金はなくなっていった。自信にあふれていた野間さんの気力は削がれ、憂鬱さで身体が動かなくなっていった。
たぶんあそこが、人生のどん底だったと思います。本当に何もできないんですね。どんどんどんどん生活が回らなくなって、部屋はゴミだらけ。読みっぱなしの漫画を投げ散らかしたり、服を脱いだまま放り投げたりして、かろうじて人が一人眠るぐらいしか隙間がない状態まで散らかっていました。店長なのにお店にも全然顔を出せなくなりました。それでもかろうじて残った義務感で、週に一回は行こうと頑張ったのですが、行ったところで、従業員もいい顔をするわけないですよね。「何しに来てんこいつ」ぐらいに思われていたと思います。
ースタッフへの給与や家賃の支払いに遅れが出るようになった。消費者金融をはしごしてお金を借りるが、それでもお金が回らない、文字通り火の車という状態に。ついに「その日」が来た。
ある日スタッフから「話があります」と呼び出されました。「もうこれ以上やっていけません」と言われて、あぁ、ついにきたかという感じです。こんな状態じゃ当たり前の流れなんですけどね。もうその時の僕には引き止める気力も残っていないし、引き止めたところで払えるお金もない。さよならするしかなかったんですけど、正直、めちゃくちゃ悔しかったです。人を雇う時には、「絶対こいつらに稼がせてやろう」と思って雇ったはずなのに、それが出来なかった。
辞めていったのは2店舗目で雇った2人と、1店舗目で雇ったうちの1人。でも、1店舗目の子たちの残り2人が、なぜだか分からないけど残ってくれたんですよね…。それで2店舗目は潰して、1店舗だけでもう一回やり直そう、失った2年を取り戻そうと決めました。1店舗だけならスタッフへの給与も払いながら回していけるのは実績としてあったので。それでもやっぱり、頑張ろうとすればするほど、お店に行けないんですよ。お店に出勤したスタッフから、今日は来られるのかどうか確認の電話がかかってくるけど、電話を取ることができない。スタッフからしたら、来るかわからない僕の分の予約は受けられないし、困りますよね。潰れた2店舗目の家賃を5ヶ月ぐらい滞納していたので、毎日催促の電話もかかってきました。
ー電話がかかってくるのが怖くて、昼間に起きていられなくなった。朝の7時頃に眠り、夕方6時に起きる昼夜逆転生活。お金もないし、人とも会わず、何もすることがない。逃避先はパソコンからつながるインターネットの世界だけだった。ところがそこでの出会いが、野間さんが回復するきっかけとなった。
ネットサーフィンをしていたら「ニコニコ動画」(以下、ニコ動)に出会ったんですよ。当時すごく盛り上がっていたんですけど、「なんだこれは」と衝撃を受けました。ニコ動との出会いがなかったら、僕死んでたかもしれないですね。
実際、毎日「今日は死のう」と思って生きていたんですよ。
でも、ニコ動で繋がってやり取りする人たちは、僕の今の生活の状態を知らないからフラットに話ができて、すごく楽だったんですね。それだけで「あ、生きる理由がちょっとできた」と思えました。そのコミュニティには年上のおじさんも年下の大学生もいて、なんだかんだいってみんなちゃんと生きてる。自分も、すごい人間にはなれなくていいから、毎日を普通に生きられるようになれればいいなぁと、そう思ったんですよね。
それまでは、独立志向もそうですけど、無駄にヒーローぶりたい感じがあって、「ちゃんとしないと」っていうプレッシャーで自分を追い込んでいたんですね。で、ちゃんとできない状態だから、ますます身動きが取れなくなる。彼らとの交流があったことで、まずは「普通の生活」を目指そうと思えたのは、すごくいい変化でした。
やり取りしているメンバーの中に、大学は出て就職したのに一ヶ月で仕事を辞めて、半年ぐらいニートしてる男の子がいたんですよ。「もう無理、働きたくない」って。僕は当時の自分のダメさを棚に上げて、彼のことを「ダメ人間やなぁ」と思って安心してたんですけど…(苦笑)、なんとその彼が「もう一度頑張ってみる」と言って就職したんですよ。
どうせすぐ辞めるだろうと思っていたら、「働くの楽しくなってきた!」とか言い出して(笑)、これはやばい、本当にやばい、こいつには負けられねぇ!みたいな感じで、僕にも火がついたんです。
「人は変われる」っていうことを、ニコ動で出会った彼に見せてもらえたんですよ。だったら、自分もまだ変われるんじゃないか。そう思ってからの復活はすごく早かったです。
お風呂も2週間に1回ぐらいしか入ってなかったのが、3日に1回入るようになり、外に着ていく服もないからユニクロに買いに出かけて、服を買ったからには清潔に保たないとと、毎日お風呂に入るようになり…と、徐々に人間の生活を取り戻していきました(笑)
ーインターネットの偶然の出会いに救われた野間さんが、仕事に復帰した際に気づいたのが、ペット業界における犬に関する専門的な情報の少なさだった。ここでの問題意識が現在の仕事に繋がっていく。
復帰したものの、お客さんは前より減って店自体はめっちゃ暇になってたんですよ。それで、空いた時間どうしようかなと思って、お店の名前が「犬マニア」なんですけど、本当に誰にも負けないマニアになってやろうと(笑)。そこから犬のことをめちゃくちゃ調べまくったんですが、シャンプーのことってペット業界に情報が一切蓄積されていなかったんですよ。仕方がないから人間界のことを勉強するしかないと思って、「日本化粧品検定協会」の講座に申し込んで勉強しました。でも、それじゃ全然満足できなかったんです。
シャンプーは、色んな成分を混ぜ合わせて出来ていますが、それぞれの成分に関するデータはシャンプーを作っているメーカーも持っていなかったんです。シャンプーの効能をちゃんと理解するためには原料のことを勉強するしかないと思って、原料メーカーが使うような資料を取り寄せたり、「日本油化学会」という学会に参加したり…もはやペットが全然関係ない方向に走っちゃっていますが(笑)、ここまで辿らないと大元のことが分からないんですよ。でもペット業界は、大元から遠いところで薄まって伝わってきた情報だけで、あることないこと言ってシャンプーを売っていたんですね。
ー犬と直接かかわるトリマーたちが、犬用シャンプーについて何も知らない現状。変えていくためには少しでも発信力を持たなければ。復活した野間さんは、もともと持っていたバイタリティをフルに活かして、トリマー業界に切り込んだ。
トリマーは技術職なので、やっぱり職人気質でプライドの高い人たちが多いです。徒弟制度的な慣習が強くて、上の先輩が言ったことが絶対正しい、という文化。何者でもない若造の僕がシャンプーについて「実はこうなんですよ」と言っても、誰も聞いてくれません。
ここで発言力を持つためには、業界のルールで戦って勝たないといけないって思いました。そこで、「ジャパンペットフェア」という、ペット業界で年に一回開かれる一番大きいイベントのカットコンテストに出ることにしました。ここで賞を取れば、みんなも僕の言うことに耳を傾けてくれるだろうと。
優勝はできなかったものの、影響力のある審査員の方から特別賞をいただけたんです。するとみんな、「誰あいつ?今までどこおった」みたいなことになって(笑)、色んな仕事のお引き合いがかかるようになりました。
最初にきたお仕事依頼は、シャンプーではなくてカラーリングの勉強会講師でした。やっぱりみんな、見た目も華やかでお客さんからも求められるカラーリングにばかり興味が向きがちで…、でもコミュニティを広げるにはちょうど良い機会だと思って受けることにしました。
講座をやっているうちに僕のことを評価して依頼や相談をしてくれる人が増えてきて、そこから徐々に、講座の内容をシャンプーや皮膚の話にスライドさせていきました。僕としては作戦成功でしめしめって感じですけど(笑)、そこからじわじわと、シャンプーに関心を持ってくれるトリマーさんが増えてきたというのが今です。
ただ、プロ相手に喋っているだけだと、やっぱり広がりが遅いので、ちゃんとした知識を一般のカスタマー、犬を飼っている人たちにも届けられるように工夫していかなきゃいけないなとも思っています。
ー現在も精力的にトリマー向けのシャンプーに関する勉強会を行う野間さんだが、そこでは自社商品の宣伝は一切しないという。「売ること」を目的としない、業界に正しい知識を広めるための取り組みだからだ。
自分のところのシャンプーの宣伝はしないし、メーカー主催のセミナー講師も請けません。トリマーさんたちに正しい知識を持ってもらうことが一番大事なので。ちゃんとした知識を得た人が、自分でネットを調べて最終的にうちのシャンプーにたどり着いてくれたらそれでいいやぐらいの気持ちでやっています。
僕のシャンプーは、ただ売るためではなくて、正しい知識を広めるためのシャンプーだと思っています。ネット検索などで見つけてくれた方から、新規のお取り扱い希望をいただくのですが、必ず電話でテストをするようにしています。「扱いたい」と言ってくれているこの人にどれくらい知識があるかを確認するためです。話してみて「あんまりわかってないな」という時は、100パーセント断ります。これを使いたいんだったらもうちょっと勉強してきてくださいねって。うちのシャンプーを使いたいという人が、それをきっかけに犬の皮膚やシャンプーについて勉強してくれるようになればいいなという思いでやっています。
プロの人たちがみんな正しい知識を持っていれば、いいものが評価されて売れるはずなのに、今のペット業界はそうなっていない。プロのトリマーたちも十分な知識を持っていないし、メーカー側も「売りたい」ありきの宣伝文句。シャンプーだけではなくドッグフードやおやつもそうです。ペット業界全体の倫理的スタンダードをこれから作っていかなければいけないと思っています。
ー野間さんが自分自身で書いた商品紹介のnoteにも、「どんな犬でも合う・合わないがある」と書かれていた。自分のシャンプーを闇雲にたくさん売ろうとするのではなく、目的や症状が合う犬と飼い主に届けたいという誠実さが感じられる文章だ。
月に1回、週に1回とこまめに毛を洗う子たちにはすごく向いています。きつい成分を使うと痒くなってしまうような子にも合っていると思います。一方、毛がつるつるしていてほしいとか、洗った後のクシ通りがものすごく良いという状態を求める人には向いていません。無香料なので「洗ったあとにいい匂いがしてほしい」という飼い主のニーズにも応えられません。毛よりも皮膚のことを第一に考えて作っているので。人間で言うなら、シャンプーというよりも、やさしい洗顔料に近いイメージかなと思います。
ーシャンプーの作り方から売り方、トリマーとして、講師としての仕事、そして大学での研究。野間さんの活動全てに一貫するのは「嘘をつかない」という姿勢だ。お客さんに対して誠実であれるよう、細部まで徹底的にこだわる。
これまでの過去を振り返っても、僕は言い訳を考えるのがうまくて、それで大事なことから向き合わずに逃げてきたなぁと…だから今、自分が「こうしたい」と決めた仕事に対してはサボらないでいたいんですよね。
シャンプーを作るときも、他の人たちだと「こんな肌触りで、こんな香りで…」とざっくりしたイメージを伝えて、工場に投げることが普通みたいなんです。で、サンプルが出てきて、「もうちょっとこうしてほしい」みたいなやりとりで進んでいくんですけど…そうなってくると中身ってどんどんおかしくなっていくんですよね。はじめに考えていたコンセプトとだいぶずれたものが最終的に出来上がってしまう。
僕の場合は成分を全部自分で指定するんですよ。その上で、あとは工場の人たちと細かい配合のパーセンテージの調整をしていく。言っていることが嘘にならないようにしたいんですよね。謳っている効能に対して成分の裏付けがあるんものを作っていきたい。「たぶんこう」じゃなくて、「こういう理由でこうなってるんだよ」ってちゃんと説明できるようでありたいんです。
大学で研究をしているのも同じ理由です。この成分は人間にはこういう作用があるから犬も同じだろう、じゃなくて実際にデータを取ってみてどうなのか?を追求していく。そうして得られた知見を、ペット業界全体に届けていきたい。
ーどこまでも「嘘をつかない自分」であろうとする野間さん。最後に語ってくれたのは、数年前に自殺で亡くなった同級生のことだ。
中学・高校と同じだった同級生がいるんです。高校では部活も同じバスケ部で。厳しめの部活だったので、彼含めて同級生6人の団結力はすごかったです。部活が終わった後にそのままみんなで遊びに行ったっり、最後の試合ではみんなで大泣きしたり、そんな青春時代を共にしたうちの1人でした。
僕は高校卒業後に、岡山から大阪に引っ越して専門学校に行ったんですが、夏休みや冬休みで地元に帰った時は毎回集まって遊んでいました。就職してからは、それぞれ新しいコミュニティができて少し疎遠にはなりましたが、元気でやっているか、やっぱり気になるからたまに電話をしていましたね。それで、たまには一緒にメシでも食べようかと、2人で会うようになりました。お互いまだお金がなかったのでファミレスで。ドリンクバーと山盛りフライドポテトだけ頼んで3時間、4時間とダラダラ喋っていました。
そいつは僕より陽気で人当たりも良くて、誰にでも優しいやつでした。そんな彼なんですが、仕事の話題になるとちょっと様子が変わるというか、あまり話したがらない感じだったんです。当時は僕もあまり気がつかず、高校の思い出話とか他の話題で盛り上がっていたんですが、今思えば、です。
彼は金融の仕事をしていたんですけど、僕が2店舗目を出す頃に、はじめて自分から具体的な仕事の話を切り出してきたんです。「どこかから金借りるんだったら、俺から借りてくれん?」って。そんなにガツガツくる感じじゃなくて、サラッと聞いてきたぐらいなので、僕も当時は全然気にならなかったんです。ただなんとなく、自分の収入とか、お金のことを友人に詳しく知られるのが恥ずかしい気持ちが強くて、「「別にお金借りんでもやっていけるけん大丈夫、いらんいらん!」みたいな感じで流していました。
結局、2店舗目を出すときは違うところでお金を借りたんですけど、しばらく経って会ったときにもまた聞かれたんですよ。「金借りる予定とかないよな」って。その時は他の同級生たちもいて、「いや、ないない〜!」ってまたさらっと流しちゃったんですけど…後からよくよく考えたら、あれがあいつに出せる最大限のSOSだったのかもしれないって、思うんです。もともとそんなこと言ってくるようなやつじゃなかったんですよ。
それから、彼が自殺したという知らせを聞きました。
遺書も何もなかったので、仕事が原因での自殺だったのかどうかは、わかりません。でも、思い当たるのって仕事しかないんですよね。家族と仲が悪かったわけでもないし、友達とももちろん仲が悪かったわけでもない。同級生に借り入れを頼むほど、仕事で追い詰められていたのかもしれない。もしそうだったなら、無理をしてでもあいつから借りておけばよかった。そうしたらもうちょっと話ができたのかもしれない。真実はわからないけど、今でも思うんです。
当時、僕が彼に張った虚勢…「嘘」ですよね。それがなかったら、もしかしたらそいつの人生が変わっていたんかもしれない。実際に彼から借りるかどうかはさておき、僕も正直に自分の状況を喋ってたいら、何か違ったかもしれないって思うんです。その時の後悔は一生、消えない気がします。
ー友人の墓参りには、まだ行けていない。
まだ、合わせる顔がないんですよね。もっとちゃんとした人間になってから会いに行きたいなって。この中途半端な状態で行って、墓の前で「今こんな仕事をやっているんだ」って報告したとしても、なんか嘘っぽくなっちゃう気がして。だって、まだ何も成し遂げてないんですよね、僕は。いくら「これからこういうことがしたい」って言っても、それを実現しないと嘘になっちゃうじゃないですか。
今、僕が立てている目標…大学の研究で博士号を取ること、そして、ペット業界の倫理を良くすること、この二つをやりきった後かなって思います。彼に会いに行けるとしたら。
お墓の場所、ご家族からまだ聞いていないんですよ。なんか、場所を知っちゃったら行っちゃいそうで。自信を持って会いに行ける自分になれたら、教えてもらおうと思っています。
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不器用すぎるぐらいに誠実な人だ。野間さんのインタビューを終えてそう思った。
「人は変われる」ということを証明する。もう二度と嘘をつかない、正直な自分である。
暗黒時代にインターネットで出会った仲間たちの生きる姿と、亡き友人に対しての誓いが、彼の”今”を支えているのだろう。
日本ではまだまだ未開拓な犬の皮膚の研究。ペット業界全体の知識と倫理のスタンダードを上げていくための啓発活動。新しいものを打ち立てようとする挑戦は、いつでも孤独だ。
日々のスケジュールを聞くとあまりにも忙しく、あまりにもハードで心配になった。どうか身体だけは大事にしてほしいと思う。といってもきっと、彼の性格では「しっかり休むこと」も難しそうだ。だからどうか一人でも多くの仲間が、彼のもとに集ってほしい。そんな願いを込めてこの記事を書いた。
「動物の未来を優しくつくりかえる。」
彼が掲げた旗は、力強く、だけど優しく、はためいている。
「大好きな場所で、大好きな人と、楽しい時間を過ごしたい」
そう語る友人、松島宏佑・さおり夫妻のウェディングに参加したのは昨年の夏のこと。
舞台は、森。そう、読んで字のごとく、森。
電気も水道もない、山梨の田舎、笛吹市(ふえふきし)にある「おらんとうの森」。手入れも何もされていない野ざらしの山林だったこの森を、たった一人で借り受け整えてきた大工の"棟梁”との運命的な出会いから生まれたのが、二人が仲間たちと手作りで企画した、「森のウェディング」だ。
最近は、アウトドアウェディングやDIYウェディングと呼ばれるカジュアルな形のウェディングを行うカップルもじわじわと増えてきている。自分の大切な人たちと、肩肘張らずに自分たちらしい時間を一緒に過ごしたい、という指向の現れだろう。そうしたアウトドア/DIY系のウェディングをプロデュースする専門の企業も出てきている。
ただ、二人の場合は業者抜きで、個人の勝手連的な形で、しかもトイレも電気もない、本当にだだっ広い森の中でやったのである。
その森でこれまでウェディングをやった前例もない。会場を一から作るところから始めなければならない。しかも当日、雨が触れば完全アウト。
一般的なウェディングはおろか、アウトドアウェディングの範疇でもちょっとありえない、「常識破り」のウェディング企画。
でも、この二人は、自分たちでつくると決めたらやっちゃう二人なのだ。
86年生まれ、宮城県白石市出身の松島宏佑くん。大学から上京し物理をやっていたはずが、卒業後、島根県隠岐郡の離島・海士町に移住し、まちづくりの世界に飛び込む。2011年の東日本大震災を機にふるさと宮城へ。亘理町で住民の方々と一緒に復興計画・防災計画を手掛けたのち、現在は東京を拠点に各地で活動中。
88年生まれ、岐阜県中津川市出身の松島さおり(旧姓:宮川)さん。田んぼと山に囲まれた田舎育ち。その反動か学生時代はしょっちゅう海外へ。スープ屋や人事として働いたりしたのち、今はクールジャパンやデザインに携わるお仕事をしている。
とにかく何をするにも行動力が溢れていて、自然と周りの人たちを惹き付ける二人。結婚するにあたっても、なんとなくでパッケージされた披露宴はしたくなかったらしい。「そもそもどうして結婚するのか?」から掘り返して考えるものだから、ミーティングひとつとってもこんな感じである。
そんなビジョンとアイデア溢れる二人に伴走するのは、彼らが出会ったきっかけとなるシェアハウスで、宏佑くんの同居人であった、猫田耳子さん。二人は彼女を「仲人」と呼ぶ。
それから、フリーランスのウェディングプランナー、呉栄順(おう・よんすん)さん、通称よんさん。
これまで企業でプランナーとして働いてきた彼女にとって、独立してはじめての仕事となった。
出会いは偶然、さおりさんと耳子さんが参加していたウェディング関連のイベントでのこと。近くの席になった二人に対し、「これからフリーのプランナーとして独立する予定なんです」とよんさんが語ったことだった。
「私たち、これから自分たちでウェディングを作ろうとしているところなんです。あなたが独立して最初の仕事として、私たちのウェディングを一緒につくってくれませんか」そう言って、二人が彼女を誘ったという。
まさか独立して最初の仕事が、こんなにも型破りなウェディングになるとは、当時は彼女も予想できなかっただろうけれど、とにもかくにも4人で企画がスタートした。
まずは場所探しから。
自然豊かなところで友人たちとのんびり過ごしたい。
そんな二人の願いに応えて、廃校やキャンプ場など、よんさんが会場候補をリストアップ。
それを片っ端から訪ねていくが、二人はどうにもピンと来ない
「ストーリーというか、出会い方を大事にしたい。綺麗で良いところだなと思ったけど、ここでやるっていう必然性がほしかったの」
「場所というよりは人を探していたのに近かったと思う」
何をするにも、コンセプトや出会いを大切にする二人。ある意味、プランナー泣かせとも言えるが、パッケージが「整った」会場には魅力を感じないらしい。
そんななか、友人の紹介で偶然に出会ったのが、山梨県笛吹市にある「おらんとうの森」と、この森の管理をする「棟梁」こと福島孝一さん
棟梁の人柄にたちまち惚れ込んだ二人。
「ここでウェディングをやりたい」
初めて「おらんとうの森」を訪ねたその日に、二人はそう直感したという。
「棟梁はどこまでも優しくて、それでいて深い悲しみを抱えている人でさ、なんか」
5年前から、この森の管理を始めた棟梁。たったひとりで、誰に御礼を言われるでもなく、ジャングル状態だった森の手入れをし、子どもたちの遊び場になるようにと、足場やツリーハウスなどひとつひとつ自分の手でこしらえていった。
「我ただ足るを知るってさ。自分の身体じゃないんだよね、ほんとは。生かされてるだけなんだよ。ここにいると分かるさ」
どうして若い人は、自分で自分の生命を絶ってしまうのか。
都会で鬱になってしまった人も、ここで過ごせばきっと癒やされて元気になる。
弱った人も、のんびり時間を忘れて過ごせる空間をつくりたい。
自分で身体を使って、転んだり怪我をしたりしながら、身体の使い方や、自然との関わり方を学んでいける、子どもたちの遊び場をつくりたい。
森を訪ねた若者に、棟梁はそんな「夢」を語ってくれた。
「ウェディングって、新郎新婦のためにやるものじゃない気がする」
「私たちのウェディングを通して棟梁の夢を実現したい。色んな人が元気になって、子どもたちも思いっきりはしゃいで過ごせるような場所、そんな空間づくりをウェディングを利用して一緒に作りたい」
棟梁の夢を実現したい。
このおらんとうの森で、みんなと一緒に楽しい時間を過ごしたい。
ウェディングに対する二人の思いは同じだった。
企画チームも、「おらんとうでやる」と決まってからは、パズルのピースがはまっていくかのように、だんだんと息が合ってきたという。
「最初は否定から入っちゃうことが多かったんですよね。やっぱりこれまでのウェディングの常識に囚われていて。でも、おらんとうの森と出会って、こんなに自由度の高い場所で、何かを縛るというのは間違ってるなと、途中で気付いたんです」
プランナーのよんさんは、そう振り返る。
「まずは二人の言うこと、やりたいことを肯定してやってみる。やってみてダメだったらそこから修正すればいいし、とにかく二人のやりたいことをしっかりと聞いて、それに向かって進んでいくのがベストだなって思ったんですよね」
新郎新婦、それから耳子さんやよんさんは、繰り返しおらんとうの森を訪ねては、準備を進めていった。
一箇所一箇所、ゴミを拾っては綺麗にし、森で作業を進める棟梁を手伝った。
「ツリーハウスから入場したい」という、二人の願いに応えて建設を進める棟梁。訪ねるたびに着々と出来上がっていく。
二人がはじめておらんとうの森を訪ねたのは2015年の6月のこと。
いつしか季節が巡り、秋、冬、春。
そしてまた1年が経とうとする2016年の5月21日・22日、いよいよ「森のウェディング」の本番である。
*
「森のウェディング」は、前夜祭を含めた2日がかりの会となった。
前夜祭の舞台は、同じく笛吹市の山奥にある、「芦川グリーンロッジ」
携帯の電波も一切入らず、周囲に他の民家も見当たらない、山奥のコテージだ。
事前にウェブでエントリーした参加者は、新宿発の旅行バスに分乗して現地に到着。
ちなみに僕は新郎新婦の共通の友人たちと一緒にレンタカーで移動した。
(バスの座席が溢れたってことで、レンタカーで来てくれないかと事前に相談を受けたので、「いいよー、みんなで運転交代しながら行く」と二つ返事で了承したのだが、前日飲みすぎて寝坊遅刻し、家まで拾いに来てもらったあげく運転は完全に友人任せだったのは内緒だ。)
「今日は遠く山梨まで来てくださってありがとうございます。普段の仕事の疲れを、ここでのんびり癒やしてくれれば嬉しいです」
新郎の宏佑くんがみんなを出迎える。老若男女、ちびっこからおばあちゃんまで、彼らの大切な人たちが同じ場に集まった。共通の友人同士もいれば、この日が「はじめまして」の人も当然いるのだけど、緊張感のようなものはまったくなく、各人思い思いに羽を伸ばしたり、言葉を交わしたりしていた。気付いたら「場」がもう生まれていた、という感じだ。
このロッジの管理人を務めるのは、神宮司孝之さん。
生まれも育ちも笛吹市御坂町、福島棟梁とは子どもの頃からの付き合いで、長年の「仲間」だという。都会で寿司屋の板前修行を経た後、大手企業の給食産業に従事するが、海外からの輸入品の食材の品質を目の当たりにするにつけ、「自分の子ども達には安心・安全な食材を」と農業の道に転身、以来地元笛吹市で無農薬・減農薬の農業や山菜採りを続けてきたが、2年前からグリーンロッジの管理人も引き受けることに。
「ここは携帯の電波も入らんでしょ。それがいいの。うつ病になっちゃった人とか、引きこもって元気がなくなっちゃった子とか、いつでもここに休みに来てほしい。時間に追われないで自然の中で過ごしてさ」
そう語る神宮司さんは、今回の前夜祭でも、ニジマス釣りやバーベキュー、キャンプファイヤーなど、僕達が自然の中で思いっきり楽しめるよう、多くの面でお世話をしてくださった。
素足で小川に飛び込んでのニジマス掴み。これがもうびっくりするぐらい水が冷たい。
ちょっと足を入れては「冷た!無理無理無理!」と飛び上がるレベル。
中にはウェットスーツ着込んで準備万端の人もいたけど…笑
ようやく水の冷たさに慣れてくるころには、少しずつニジマスの動きも鈍ってきて、ちらほらとつかみ取りに成功した喜びの声が。
ニジマス掴みが終わったら、そろそろバーベキューが始まります。
火を起こしーの
肉を切りーの
野菜焼きーの
スタッフのみんなが事前に下ごしらえをしてくれていたのだけど、手が足りないところは参加者のみんながどんどん手伝いに入っていって、もはやホストもゲストもあんまり見分けがつかない状況。
新郎宏佑くんはこの展開を予想していて「当日になったらみんなが助けてくれる」と安心して構えていたそうだが、さおりさんやスタッフの女性陣全員からは心配されており、会の前日まで「ねぇ、ほんとに大丈夫なの?」と詰められていたそうな笑
参加していた共通の友人たちの顔ぶれを見ると、こういう手作り感が大好きで、むしろ自分たちが作る側に回る方が楽しめるような連中ばかりだったから、僕自身も全く驚きはしなかったのだけど、これって彼が、本質的に友人たちのことを信じられていないとできないことかもしれない。
ホストとゲスト、サービス提供者と受益者、支払いと対価…そんな風に分かりやすい関係や役割に固定することは容易いし、もちろんホストが「尽くす」ことも一つのあり方かもしれないけれど、本当にそれだけなんだろうか。
結婚式には、お互いをよく知る近しい人たちが集まってくれている。だったら、「お客さん」にして座らせとくんじゃなくて、「一緒に作る」方がきっと楽しい。彼はそのことを知っていたんだと思う。
食材もちょっとずつ焼きあがってきたかなというタイミングで、新郎新婦から改めてご挨拶。
(すでにみんな飲み始めてたけどね)
宏佑ママも登場。結婚式や披露宴はともかく、こういうパーティーの場にもご家族が参加するって、世間的にはなかなか珍しいかもしれない。だけどこの場は全く違和感がなくってさ。
みんなで乾杯。こんな環境で飲むビールが美味くないわけない。
獲ったニジマスも焼きますよ、どんどん
神宮司さん、いつ何時も男前。フォトジェニック。
さおりさんもいい笑顔
でもやっぱり君が優勝だ
いつの間にか日が傾いてきた。ここでいったん中締めをして、みんなで下山し温泉に。
でも、前夜祭はここからが本番。
電波も通じない、街灯もひとつもない山奥の山荘で、一夜限りのセレモニーを。
暗闇の中から、新郎新婦が現れた。
瞬く間に燃え上がる炎
みんなで火を囲み、歌を歌う。
こんな修学旅行みたいな体験、何年ぶりだろう。
折しもこの日は満月。息を呑む。
ここからはもうお祭り騒ぎ。
出張DJブース。いくら爆音出したって誰にも怒られないんですよ。屋外なのに。
子どもDJ、なかなかいい腕してました。
新郎新婦も、踊っちゃいますよね、そりゃあ。
あとはもう、飲めや歌えの夜でした。あんまり覚えてない。
*
一夜明けて、ウェディング当日。
前夜祭がもはや本番というボリューム感だったけど、ここからが本番なのです。ほんとの。
ロッジから車で、会場の「おらんとうの森」に移動。
当日参加組も続々とバスで到着。
心配されていた天候も問題なし、素晴らしい快晴でした。
この日のために棟梁がこしらえてくれたツリーハウスから
子どもたちにエスコートされ
新郎新婦が登場
そのままメインステージに移動、司会は「つなぐ人」今井ともみさん。
宏佑くん、さおりさんからはじまりの挨拶。
「二人で、結婚ってなんだろう、結婚式ってなんだろうって、何度も何度も話し合いました。」
二人がたどりついたのは、「大好きなみんなと、大好きな場所で、楽しい時間を一緒に過ごしたい」というシンプルな答え。
「おらんとうの森」の「おらんとう」とは、山梨の方言で「わたしたち」という意味。祝い、祝われる関係ではなく、みんなで一緒に作り上げたいという二人の思いを象徴するような言葉だ。
電気も水道もなんにもない。でも、身体ひとつで飛び込めば、自然と、人と繋がれる。
二人が多くを説明するまでもなく、棟梁と彼らが一緒につくってきたこの森そのものが、何よりも雄弁にウェディングに対する二人の思いを語ってくれている。
フリータイムの前には、みんなで「準備体操」。
リードは、宏佑くんがお世話になったという宮城県亘理町のおばあさま。全員で手を繋いで足を上げ下げ。これがなかなかこたえるもので、運動不足の都会人はバランスを崩しながら苦笑い。
そこから先は、新郎新婦も一緒に好き放題野山を駆け回る時間。
「はらっぱ」と「すみっこ」−ウェディングのしおりにはそんなキーワードが書かれていた。
みんなで「はらっぱ(広場)」でわいわいしても、独り「すみっこ(森の中)」でゆっくりしてもいい。せっかくの森だから、一人ひとり自由に過ごしてほしい、そんな想いを込めての言葉だという。
実際、こんなにだだっ広いは誰に気兼ねする必要もなく。木陰に座ってのんびりと過ごす人、ツリーハウスやブランコに集まってわいわいする人、誰もが自由に、ただそこにいることができた。
会場の装花や空間演出は、フラワークリエーションユニット「mimosa」の保坂安美さん、伊藤一実さんが担当。
コンセプトは「カラフル」。
「絵の具みたいに混ざりあうんじゃなくて、森の枝葉や花のように、一人ひとり違う色が、ぜんぶ残った上で一緒にいられる、多様性を包含した世界観をつくりたい」
「全部任せるから、二人の感性爆発させて!」
宏佑くんとさおりさんからそう言われた二人は、「森全体」という今までにない巨大の空間を相手に、土地の自然を、生命を、そのまま活かすことにした。
地元のフラワー農家さんから花を買い、ウェディングの前日には棟梁と一緒に野山を駆け回って草木や枝、蔓を採取して、会場のそこここに彩っていった。
色鮮やかな花たちが、森の緑によく映える。
みんなで、おらんとうでつくる森のウェディング。実は前夜祭で紹介しなかった企画がもうひとつある。
さおりさんのお色直しのドレスをその場でつくっちゃおうという試みだ。特殊な薬剤を生地に塗ると、太陽光が当たった部分が青く染まる「サンプリント」という方法を使って、みんなが野山で集めてきた草花を模様にしたドレス生地が出来上がる。
手掛けたのは、さおりさんの勤め先企業の同期である氷室友里さん。テキスタイルデザイナーとしても活動していたが、サンプリントを使ったドレスづくりは今回がはじめて。どんな模様になるかはみんなの持ってきた草花次第、そこから前夜にぶっつけ本番でミシンを走らせる。
きっと氷室さん本人は不安で仕方がなかっただろう。しかして本番当日、結果はご覧の通り。
世界にたったひとつしかない、森の草花を模様にしたサンプリントのドレスを身に纏ったさおりさん。この会場にこれ以上マッチした衣装はないだろうという出で立ちに、会場からも大きな歓声が。
壇上で紹介された氷室さんは、感極まって涙。本当にお疲れ様でした。
クライマックスは、音楽ユニット「ココロネ」の門上徹さん、砂金隼人さんによる歌のプレゼント。
ウェディングの準備の過程で山梨を訪ねる中、現地で偶然出会い、その生歌を聞いてあまりにも感動した宏佑くん・さおりさんがの出演を依頼したそう。
このウェディングは、本当に二人のご縁、偶然の出会いの積み重ねの中から紡がれてきたのだなと思う。
*
「いま振り返ってみるとさ」
「うん」
「ウェディングってなんだろうって、ずっと考えてたけど、そうじゃないんだって。ウェディングなんて本来自由でよくって、大切なのは、ウェディングを作るなかで、『自分とは誰か』ってことを問われる、そのプロセスだと思うんだよね」
「何をやるにしたって、誰の協力を求めるにしたって、私たちがこうありたい、みんなとこう生きていきたいっていうメッセージを、本気で伝えられているかが大切で」
「ウェディングは、誰を呼ぶかから始まるじゃん。今まで出会った人たちを全員思い出して、この人達をなぜ呼ぶのかって考えるわけじゃん。そこに自分の意図が問われるし、自分とは誰かってことを問われるプロセスでさ。
真っ白なキャンバスから始めたウェディングだからこそ、何を描いても僕自身だしさおり自身だって思ったんだよね」
後日談、二人は僕にこう語ってくれた。
「ゲストのみんなは、世界観を共有して、これからもずっと一緒に生きていきたいって思える人たち」
「ほんと、全員”半家族"って感じ」
二人の言葉どおり、ウェディングが終わったあとも色々な物語が生まれているそう。
夫婦2組で同じ家に住み始めたり、ウェディングをきっかけに出会った人同士が新しい仕事をはじめたり…楽しそうなお話が、その後も僕の耳に届いてくる。
点ではなく、線として
終わりでもなく始まりでもなく、連綿と続く縁の結び目として
結婚とは何か?家族とは何か?を問うまでもなく、「森のウェディング」で二人が伝えたかったメッセージは、その場に居合わせた一人ひとりの人生に、きっと何らかの影響を与えているのだと思う。
そんな二人は、今日3月12日が結婚記念日なのです。
1年が巡り、また次の1年を始める日。
日付が変わるギリギリになっちゃってごめんね(とか言ってる間に過ぎちゃったね)。そして、おめでとう。
また今度、物語の続きを聞かせてください。