1月4日。会社務めのツマの方も仕事はじめ。年末年始の自宅保育協力願いに応えるかたちで、ムスメの保育園通園再開は翌日の1月5日からということにしていたので、この日は夫婦でシフトを組んで、お互い半日分ぐらい交代でゆるゆると稼働。
文を書いたり本を読んだりした。世の中がまた動き出すからなのか、ざわりと少し不安が出てきたので頓服を入れた。
北條民雄『いのちの初夜』を読む。
「十時が過ぎてもあなたの姿が見えないのでひょっとすると──と思いましたので出かけてみたのです。初めてこの病室へはいった人はたいていそういう気持になりますからね。もう幾人もそういう人にぶつかって来ましたが、まず大部分の人が失敗しますね。そのうちインテリ青年、と言いますか、そういう人は定まってやり損いますね。どういう訳かその説明は何とでもつきましょうが──。すると、林の中にあなたの姿が見えるのでしょう。もちろん大変暗くて良く見えませんでしたが。やっぱりそうかと思って見ていますと、垣を越え出しましたね。さては院外でやりたいのだなと思ったのですが、やはり止める気がしませんのでじっと見ていました。もっとも他人がとめなければ死んでしまうような人は結局死んだ方がいちばん良いし、それに再び起ち上がるものを内部に蓄えているような人は、定まって失敗しますね。蓄えているものに邪魔されて死にきれないらしいのですね。僕思うんですが、意志の大いさは絶望の大いさに正比する、とね。意志のないものに絶望などあろうはずがないじゃありませんか。生きる意志こそ絶望の源泉だと常に思っているのです。しかし下駄がひっくり返ったのですか、あの時はちょっとびっくりしましたよ。あなたはどんな気持がしたですか」
意志の大いさは絶望の大いさに正比する。生きる意志こそ絶望の源泉だ。ハンセン病療養所に入った主人公の尾田に、前から入所している先輩の佐柄木がそのように語る。