3月まで療育に通っていた病院で、リハ診察を受ける日がやってきた。リハ診察とは、リハビリテーション(療育)の定期診察のことだ。息子は「3がつ30にちのすいようびに、さいごにきたよね」と細かいことまで覚えていて、私を驚かせる。
1時間30分ほどのリハ診察を終えて、私はすっかり落ち込んでしまった。小学生になって「できるようになったこと」「伸びたこと」がいっぱいあって、一つ一つがうれしくて、学校と放課後デイに元気で楽しく通えているだけではなまるだと思っていたし、それは今もそう思っている。でもリハ診察の時間は、「同年代の平均と比べてできないこと」ばかりを突きつけられる。たとえば回転いす(なぜか回転するやつ。せめて固定してほしい)にじっと座っていられない、先生のする動作のマネができない、図形が書けない。「できない」「できない」「できない」が重なっていくのを見ているのは、親もつらい。本人も早々飽きてしまっている。そんななか息子はいつもがんばってるんだなぁとも思うけれど、やっぱり落ち込んでしまう。
発達障害グレーゾーンの子どもたちがこれから生きていくために、どうしていったらよいのか、正解などないし、より良い道もまったく分からない。楽観的に行こうと思うけれど、落ち込んでしまう。そんなことをテキストにして、ぽつぽつとあわいで吐き出す。メンバーがうんうんと聞いてくれる。そうするうちに、落ち込みの正体がなんとなく見えてきた。悔しかったんだな、私は、たぶん。決まった基準に息子を当てはめられて評価されること自体が。
息子をおもしろい大人たちにいっぱい出会わせたいと思う。地方で住みながら、今ある選択肢のなかで最善を尽くすには、現行の制度を使い倒しつつ、私生活で親自身がおもしろいことをやったりおもしろい人に会ったり、そうやって工夫して日々を営むことが肝要な気がする。単に「お金があればなんとかなる」「選択肢のある場所に移住できればなんとかなる」ってだけでもないはずだ。そう思ったら、道筋が見えてくる気がして、自然と元気が出てきた。
子どもにおもしろい大人と出会ってほしいと願うなら、私自身が私の道をゆくことだ。一歩一歩。大丈夫。なんとかなるなる。