日記を再開してから少し脳みそがすっきりした感じがする(といってもまだ3日なのだが)ので、これは僕にとっての「呼吸介助」なのだなと改めて認識した。相変わらず色々追いついていないのだが、やるべきことが終わってないからと、文を読んだり書いたりする時間を後回しにしていくとますます脳が詰まって仕事に取り組む上でも悪循環なので、朝の10分15分でもカタカタやった方がいいのだろう。
ムスメの送り迎え以外、外出の用事がある日は、朝出かける前に、「何かあったら(要は陣痛来たら)電話くれ」とツマに言って出るなどするのだが、距離・時間的には、連絡もらってから引き返している間にツマはタクシーで産院に行ってしまうケースの方がほとんどだろうし、どちらかというと私の主たる役割は上のムスメのケア含め家のあれやこれやを引き受けるところにあるので、言ったところで特に変わりはないのかもしれないが、産まない方の身体を持つ片割れなりに、もぞもぞそわそわ中腰で過ごす1月である。
電車で移動中、Kindleで日本橋ヨヲコ『少女ファイト』18巻を読む。人は本当に、一瞬の触れ合い、やり取りで「変わる」のだが、でもそれは、いびつさを抱えながら傷ついた日々の「積み重ね」の先にいつか来る結果でしかない。そのようにしか訪れない。
介助を終えて、駅前のカフェ作業中に少しうたた寝をし、ムスメを園まで迎えに行って帰宅。それにしても冷え込む。
夕食を食べてから、そのまま2人と一緒に風呂入ってさっさと寝たらいいものを、寝る前にあとちょっとだけ仕事するとかなんとかいって、結局できないまま机や床でウトウトして中途半端の睡眠になり、結局翌朝ムスメを送ってからカタカタやる、ということを俺は何百回繰り返すのか。学習しない脳。