春まで時間が飛んでいった

気づいたら春になっていたという感じだ

3月はほぼまるっと、いつものブログ日記を書けないまま過ぎ去ってしまい、4月になれば落ち着くだろうとか言ってたがそんなことあるわけなく、気づいたらもう日付の10の位が2になろうとしているではないか。

「4人家族での生活」ははじめてだが、「新生児」を迎えてのあれやこれやのスタートダッシュミッションははじめてではないので、基本動作にまごつくことはあまりなく、上のムスメの送り迎え、下のムスコも含めて4人での入浴やら夕食やらをどういう順番にするかなど、3人→4人と家族成員が増えたことによるちょっとしたパズルがいくつか発生し、それをちょこちょこと解いて日常に埋め込みなおしするぐらいなもので、うつが酷くなったりといった問題は幸いにして起こらず、ただただ乳幼児を抱いてスクワットする日々の肉体疲労と首肩腰の凝りがあるだけである。

この時期は乳幼児の授乳間隔に合わせて我々保護者の側もおおよそ3,4時間をひと単位として6分割されたような時間を生きることになり、細切れ・片手間で対応できる小さなタスクは案外さばけたりするのだが、そこに収まらないゴロンとしたものたちが後回しになり背後に積み上がっていくことは避けられず、しかしまあそれをどうにかしようったって時間も体力も制約があるのだから、いっそ無理だと居直って、そのまま置いとけるものは置いとくのがよかろう。

とはいえフラストレーションは溜まる。手放せるものは手放す。その判断を今までより大胆に、そもそもの働き方、時間や身体の使い方を変えていく必要をこれまで以上に認識する。

友人知人から「ふと」連絡をもらうことがある。季節によらず年間通してちょくちょくぼちぼちって感じだが、この3-4月は特に多かった気がする。連絡くれた本人が、もしくはその人の身近で大切な人が、まあちょっとのっぴきならないというか、何をどうしたもんか一人ではなんともという状況に陥り、そのときになんだか「ふと」私のことを思い出してくれたようで、連絡をもらうのだ。とはいえ僕に出来ることはいつも限られている。話を聴かせてもらって、そうかそうかと状況を理解し、とにかくまずは今日こうして話してくれるまでの本人のがんばりを労い、状況や困りごとに対して、すぐに解決といかなくとも、時間やお金を味方につけるための色んな制度や頼り先を伝えたり、信頼できるところにリファーしたり、なにはなくとも会ってお茶してのんびり過ごしたり、なんやかんやしつつ、まあとにかくきっと大丈夫だよと励ますぐらいである。

この「大丈夫」とは決して精神論や社交辞令ではなく、事情や状況は違えど、本当に「大丈夫」だと思っている。君たちは皆誰もが「生活を創造する」力を持っているからだ。

ベッドに入ってリハビリがてらslackに日記の下書きのようなものを書き連ねたが、そろそろ眠剤が効いてきたのでこれをつなげて貼って出して寝るとしよう。