台風と「日常」 2024/08/30

まだお気楽だった小学生の頃、台風はちょっとしたイベントだった。警報が出たら学校が休みになるので、みんなワクワクしながら台風を待っていた。休みになればガッツポーズだが、そうでなかったとしても、「あーあ」と残念がりながらいつものように登校して友達と話すのもそれはそれで楽しかったものだ。

「台風来ると、外に出たくなるんだよね」と、いい年して子どもみたいなこと言うパイセンが前の勤め先にいたのだが(僕は彼のそういうところが好きだ)、僕も子どもの頃はそっちのタイプだった(今はそんな元気はない)。当時はまだ、近年ほど危険な台風が多くなかったし、今のようにネットで常時・即時・大量に台風の情報が流れてくる環境でもなかったこともあるだろうが、家と学校、半径1kmで収まる世界を生きていた小学生の僕にとっては、台風は恐ろしい「災害」ではなく、時たま外から「お楽しみ」を運んでくれる神さまのようなものだった。

大人になり、色んな土地に友を得た。子どもの頃はそんなことも知らなかったが、台風は南からやってくる。勢力が強いうちに台風が上陸する、自分より西や南に住む友たちの顔を思い浮かべる。思ったところで何ができるわけでもないし、自分も自分の日常に追われているから思考はすぐに別のところへ飛んでいくのだが、それでも、SNSを開いたときに本人が「無事です」と投稿するのを目にしてほっとしたり、別の用事のやり取りの流れで「台風、気をつけてね」とか「そっち大丈夫だった?」などと直接伝えたりする。南からやってくる台風を人の手でどうにかすることはできないし、災害があったからといってほいほい気軽に住む土地を移せるものではない。何ができるわけでもないのだが、自分とは違う土地にいる、そこに暮らしている友たちのことを思う。

結婚をして、子どもが二人できて、家族4人で暮らしている。上は6歳の小学生、下は1歳半を過ぎたところの保育園児。下の子を預けて駅前カフェでこの話を書きはじめた頃に保育園から電話。八王子市が警戒レベル3になったので休園、お迎えにきてほしいとのことだった。ツマに連絡をして迎えを頼み、僕は予定通り中央特快に乗って高尾に出た。中央線の車内でラップトップを広げてそのままこれを書き続けている。今日は、本郷に住む友達の家で介助に入る日だからだ。雨が降ろうが槍が降ろうが、台風が来ようが、彼の生活の一部を支えるのが僕の仕事だ。

重度の障害があり常時介助を必要とする人たちにとって、自然災害はとりわけ大きなリスクで、インフラが麻痺したり、避難が必要になったりするほど大きな災害となったら別次元の対応が必要になるわけだが、大雨ではあるがまだ台風は遠くにいるという、今朝の東京ぐらいの状況では、交通機関の遅延・運休に対応してヘルパーの出勤・交代タイミングの調整が一部必要になる程度で、それ以外は概ね「いつも通り」の日常を一緒に過ごすだけである。「いつも通り」の日常が薄氷の上で成り立っていることは、台風が来ても来なくても忘れてはならないし、災害が直撃したときにはこんな呑気に通勤しながらテキストを書くことなどできないのだが、しかし、なのか、だからこそ、なのか、「いつも通り」に彼の家に向かうことができているいま、書いておこうと思ったのだ。いつもより15分遅れて駅に着いた。