Visited The New York Asian Women’s Center (NYAWC) with a friend and talked with Japanese officer working more than 7 years there. They help women and their children overcome domestic violence and other forms of abuse by empowering them to govern their own lives. NYAWC is the largest organization that focuses on a DV issue for immigrants. Another young officer guided me their office and explained their jobs, 24 hours hotline, shelter services and so on. Their services are multilingual (Japanese, Chinese, Korean, Spanish etc.). Then I talked with them for 1 and a half hour.
DV is an important problem, maybe in every country, every society itself. But in addition to that, when it happens on immigrant couples (both are immigrants or, husband or wife is immigrant), it become more difficult to support because of cultural and linguistic barrier. In general, US people have a stronger “sense of entitlement,” I mean they know their own rights to sue the partner, or depart when it becomes intolerant. But immigrants do not know well domestic laws and legal systems, and what they can do or cannot as immigrants (also immigrant population tend to be marginalized, low SES status). And they do not know much about where is a service or organization that help them in their own language. In addition to that, cultural difference suffers them, especially women marry with domestic men. The young lady officer, who is on hotline counseling service and talk with Japanese in NY frequently, told us that Japanese women tend to bear even if they suffer from DV, and to think they themselves have something wrong, their partners were just in stress at the time of DV, or they should improve their relationships. So Japanese women are not so active to declare and use their own ‘rights’ compared to US women. Thus NYAWC officers tell them “know your rights,” cautiously and cordially consult with them, and provide them with options such as legal actions support, shelter services etc.
What was interesting for me was that the Japanese officer said, their own cultural or ethnic backgrounds are very essential and vital to be competence in such jobs accompanying in person counseling. Just being able to speak English doesn’t mean competent in abroad. However we foreigner make efforts, we cannot be native both in terms of language and cultural ‘codes.’ Thus, leveraging our own background is important to be unreplaceable.
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NYAWCのオフィスを訪問してお話を伺った。上に書いた通り、アメリカでのDV被害の実情と対策のこと、immigrants特有、あるいは日本人特有の悩みやトラブルの傾向など、活動自体のお話もさることながら、日本人として海外で働くことについての話も大変興味深かった。
海外で言語・文化的な様々な壁を越えて代替不可能な人材としてネイティブと肩を並べて活躍するには、高度な専門スキル以外だと、自分ルーツとなる出身国・地域の文化・歴史的背景を活かせるかどうかってことになる。特にこういう対面カウンセリングを伴う仕事では、クライアントの文化的バックグラウンド、そこからくる暮らしや考え方を理解できるかどうかというのはかなり大きい。
一緒に訪問した、20代前半からずっとNYにいて現地機関でカウンセラーの仕事をしたこともある友人が「それでも私はこっちでは9歳児並みなの」と言った。「ネイティブ並み」ってのを言葉の流暢さだけじゃなくて、笑いとか歴史とか機微なところまで分かるレベルとしたら、どれだけ勉強してもなかなか…
日本で「グローバル人材」なんて叫ばれて久しいが、「ちょっと英語が喋れる」レベルならそこら辺にいくらでもいるわけで、それだけでは「誰でもできる仕事」しか回ってこない。現地に溶け込む、異文化を理解する努力も大切だけど、自分のルーツ、ローカリティはふんだんに活かしてなんぼだと思う。
僕もまぁ、こっちで色んな繋がりやチャンスが広がったのは、石巻での経験あってこそで、1年deferしてなかったかどうだったか分からない。MPHの授業でも、よく語れるのはCommunityやSocial capitalといったSocial determinants, Marketingなど日常生活に根ざしたもの。それからEthics, Law, Politicsなど学部のmajorと関連するもの。そこそこ慣れたけど、アメリカでお医者さんやってた人がアメリカの医療制度・現場実践を前提にお話する時とか、銃社会であったり連邦制度であったり、社会の成り立ちからして日本と全然違う部分での話題は、なかなか(苦笑)MPHも学部・専攻はかなり多様で、中国やインドやケニアやなどから来てる留学生は、BiostatsとかEpidemiologyなどスキル向上で対応できる要素が大きいところやPopulation & family healthみたいな途上国・開発援助色が強いところに行く人が多い印象。まぁ、なんちゅーか、勉強熱心な優等生であるだけで留学や海外就職してもなかなかアレで、したたかさと粘り強さと創意工夫あってこそなんだろうなぁ。
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終わった後、ランチを食べながら一緒に訪問した友達と色々話す。
男女の恋愛観の話。
「男の人はね、真っ直ぐ進みながら色んな人と付き合っては別れるから、振り返ると色んな顔が見えるの。だけど、女の人は別れる度に直角に曲がって生きるから、振り返っても誰もいないの」
な、な、なんちゅー格言や!!
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greenzで書いた夜明け市場の記事が公開された。
レトロなスナック街をリノベーション!福島いわき市の飲食店オーナーが、再出発をめざす「夜明け市場」
鶴巻さんに、「すっかりいわき担当だね」なんて言われて、確かにそうだなと思いつつ、来年またいわきに顔を出すことを楽しみにしている。
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UDOK.のりけんさんが、こんな投稿をしていた。FBだが一般公開ポストだったのでリンクを貼っておく。下記一部引用。
「復興」と言ってしまうことで、問題の本質が見えなくなったり、何かに取り組む人の真意がぼやけてしまうことがあると思う。そして、ほんとうに復興が必要な問題を見えにくくすることもある。
しかしながら、実際のところは、冒頭のように、福島で行われる何かに対して、復興とか希望とか、そういう言葉でまとめられてしまうケースが多い。まあ、いろいろと都合がいいんだよね。誰も傷つけずにニュースの時間を消化できるし、「被災地の声」を届けたことにもなるし。
簡単に紋切り型の「復興」や「被災地」といった言葉を使わないでいかに届けられるかが、言葉を使う人、ニュースを届ける人の仕事だと思うのだよな。
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翌日のPracticum Dayのプレゼン準備で切羽詰まっているときに、海の向こうのこれまた翌日にある同窓会に関する連絡の相談が後輩から。(今年は学年幹事に指名されて海の向こうからせっせと出欠催促のメールを同期に送っていて大変しんどかった…苦笑)
同窓会活動って、要は毎年集まってみんなで懇親会するのと、あと現役がなんか困った時に先輩がサポート(あるいは事前に教育)すること、それができるための体制を作って維持することに尽きると思うんだけど、そのための実作業はとても地味で、要は名簿・連絡先の管理・アップデートと、メンバーへの呼びかけ、会計などなどを卒業して働きながらやっていくことになる。
一般的には
・メーリスやオフィシャル連絡が機能しない問題
というのがありがちで、伴って
・ごく少数のメンバーの幹事業にしわ寄せが行く問題
があり、伴ってその人達も「やってらんねーぜ」となり
・年々出席率が下がっていく問題
があり、それをどう食い止めつつ、省エネモードで無理なく盛り上げていくかが難しい。
同窓会あるいは現役活動へのアラムナイの距離感が様々なのは当たり前のことで、自分の現役活動を終えたら離れていくアラムナイがいても良い、と僕は思う。基本的には加入も脱退も個人の意思なのだから。かといってオフィシャル連絡だけしてあとは知らん、というのもちょっとさみしい。あとは、自分たちも現役時代に色んな人のお世話になってきたわけだから、恩返しというか恩送りというかさ、そういうのは、大事だと思うわけですよ。コミット度合いの高い人達の熱意の押し付けになってはいけないけれど、こう、「連絡不精なだけで別にそのコミュニティを嫌いになったわけでもなく、顔さえ出せば楽しんで満足してくれる層」というのが必ずいて、いやまぁメールの確認・返信ぐらいちゃんとしろよとは思うわけですけど、やはりそういう人たちには是非途切れずに残ってもらって、たまにでも良いから来て欲しいわけです。久しぶりに会えるだけで僕は嬉しい。
自主性や自助努力や自己責任といったものは基本的に信用せず、「性怠惰説」を前提として、少しでも幹事業に負担がかからずなおかつみんなの「面白そう、久しぶりに行ってみようかな」の気持ちを刺激するかって話です。
コミュニティは、作るよりも維持すること、それも変化に応じながら維持していくことが一番むずかしい。
とはいえ、愛ですよ、愛。
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日本にいる友達の具合が悪いようで心配だ。少しでもうまく睡眠をとれると良いのだけれど。