I still rarely do small talks with a silent master at a cafe near my house. I just order and he serves coffee without smile. But gradually he remembers my preference, last day he asked me “Latte?” before I order, and today he said “see you soon” when I leave. Life goes on as such, with subtle changes.
In the evening, I met with CJR members and talked about our symposium in March. Last month, still we couldn’t figure out what we will do and who we will invite for the third year anniversary after the northern east disaster in Japan, but these two weeks we had progresses. Soon we’ll finalize guests and venue and publish ads.
At night, went to an event by RICOH, “Beauty Beyond Boundaries,” which highlights RICOH’s new product “THETA,” spherical camera.
近所の小さなカフェのダンディなマスターは実に寡黙で、僕も未だ注文時ほとんど世間話などしないのだけど、通うなかで顔を覚えられ好みを覚えられ、先日は注文するより先に「ラテか?」と聞かれ、今日は帰り際に「また来いよ」と言われ、そういう風に日々は続いている。
「正しくお金を貰う」「正しくお金を払う」ということをよく考える。まっとうな価値を提供できているか、あるいは貰ったものに対する敬意をまっとうな額で示すことができているか。所属や居住地が流動的で、働き方も文化も関係性も様々だから、自分なりの物差しを常に意識して持っておく必要がある。儲けとか割に合うとかばっかり気にしてもよろしくないし、かといって自分だけが極端に疲弊するような使われ方をするのも、つらい。このバランスは難しい。自分の場合は留学関係でけっこうな額のお金を借りているということもあるから、あと何年間でいくら、みたいなのも意識しなきゃいけないのだけど、それと個別の仕事でバランスするかは別の話。早く借金を返したいというのは常にあるのだけど、だからといって儲けばかり考えて仕事はしたくない。一方で、「学生だから」とか「まだ若いから」って足元見られて小間使いさせられるのもしんどいものがある。我慢しつつ挑戦しつつ、感覚を掴んでいくしかない。借金とは別に、早くしっかり稼ぎたいなと思う大きな理由は、「作る人」にちゃんとお金で敬意を表したいというのがある。つまり、作ったもの、表現物を、気に入ったのならちゃんと自分のお金で買うってこと。今も、CDとか本とかは好きなアーティストの作品はちゃんと買うし、個展やライブやイベントはなるべく行く。ただまだ、絵画とか書画とか彫刻とか、どうしても単価が大きい作品は、良いなぁと思っても買えない物が多いから、これまた分野によってラグがある。我慢。