物事の判断や、人のことを観る際の解像度を健全に保つには、やはりある程度の余白が必要で、多分それは、自分が「もう少しぐらい頑張れるかな」と思うレベルよりはもう少し大きく見積もっておいた方が良いのだろう。
話を聞いている途中に、相手へのジャッジとか自分の結論が先に心の中でむくむく育っているのに気づいたら危険サインだなぁという気がする。
とはいえそういう時って余裕がないからこそ思考も判断も粗くなるわけだから、そうなってから「気をつけよう」としても無理な話で、そうなる前に…どうするかという話なのだと思う。
仕事を請ける請けないの判断軸をしっかり持つのもそうだけど、自分でやる・抱え込むという方向にいきやすい癖があることは意識してもしすぎることはない。
腹八分目っていい言葉です。