「好きを仕事にする」というのは、もうけっこう手垢にまみれた言葉になってしまったけれど、これを高次元で達成できている人というのは多くはないように思う。それはつまり、関係性のデザインなのだろう。
物事の好き・嫌いというのは、個々人の自由なのだから、「好き」を追求することが他人にとって価値を生むかどうかというのは別に必須条件ではない。別に好きな分野に対して上達や卓越の義務が課されることもない。寝転びながら漫画を読んでいたっていいわけだ。
一方「仕事」というのは他者に向かっての贈り物だから、自分ではなくて相手がどう思うかというのが第一に重要であって、極端に言えば、相手が価値を感じてお金を払ってくれる限りにおいては、自分がその仕事を大嫌いであったってなんの問題もないわけである。
そもそも逆のベクトルを持っているのだから、「好き」と「仕事」が重なるなんてことは当たり前でもなんでもない。
「好き」を「仕事」にできたと思ったら、気がつけば仕事としての要求値がどんどん上がっていき、自分の好きを大事にすることよりも相手の期待値に寄せていくための骨折り汗かきで日々が覆い尽くされる…なんてこともなくはない。
でも「仕事」を通して他者の目にさらされたり、共通言語で語れる人と出会えるというのも確かであって、それは個人の趣味や内的世界の中で「好き」に耽溺しているだけではなかなか開かれないポテンシャルなのだと思う。
あとは一度、「仕事」とか「世間」に思いっきり揉まれて振り回されることで、ほんとに自分の「好き」の中で譲れない大事な要素とそうでないものが見極められるようになることもあるから面白い。
まぁ、無理しすぎて潰れたら元も子もないんですが、緊張と弛緩、開放と内省、振り子を何度か振る中で、みんなそれぞれに、自分にとってちょうどいい振り幅を見つけていけると良いよね。
自分の「好き」に没頭できて、なおかつ他者との接点を持ち、経済性を持てるという環境のデザイン。
そのためには人生の主導権を誰かに渡さないことが重要で、引っ張られたり相手に寄せたりしながらも、最後の最後で自分が決める余地を守ること。
じゃないと「こっちだな」「こうだな」が見えてきた時に、自分の身体を動かせないから。