31歳になった。大変な1年だったな、と思う。
子どもが生まれた。仕事の担当領域が広がった。体調を崩して、適応障害という名前を与えられた。そうして今、色々なことを変えながら働いている。
上記のようにざっくり要約することは可能だが、一つひとつの出来事を振り返ると未だにううっという気持ちにはなる。そしてその過去の出来事の余波を日中のそこかしこで感じることはある。
「たら・れば」を言い出せばキリがないが、そのifに対し、自分も他者もなんらか別の関与の余地があったという点においては、ある種の失敗であり、敗北であると言えるのかもしれない。
それでもやはり、このタイミングでビョーキになってよかったな、と思う。
誰かが言っていた。「病気になって、そこから回復することができたという経験は、その人にとってかけがえのない成功体験になる」と。
噛み合っていないまま無理をしてしのいでいる状況に対して「そっちじゃないよ」と症状を通して身体が教えてくれた。そのメッセージを受け取って、より良い方向に向かっていくことができるかどうか、は、現在と未来の話であり、まだ「たら・れば」の過去形で話す出来事となっていない、開かれたifの地平だ。
次の1年はもう少し自分の可能性を信じて良い方向に開いていけると良いなと思う。