閒(あわい)の住人が、今週観た/聴いた/読んだ/食べたものなどを、住人のコメント付きでいくつか選出してご紹介します。
■行った場所:思い出の龍安寺
最近外出に抵抗がなくなってきた私は、思い出深く大好きな龍安寺に行ってきた。市バスに乗って行ったのだが、手帳を持っているとバス代が無料になってとてもお得である。バスの最寄り駅から1本で龍安寺まで行けるので、とても楽ちんであった。ただ、バス停からしばらくは歩いたが……(今日このお出かけで5000歩以上歩いた)。龍安寺につくと、透けるような緑の葉たちがそこにある。目指すは石庭だけれども、そこに向かうまでに豊かな自然が観光客たちを包み込むようである。石庭につくと、修学旅行生や諸々の観光客が多くいたのだが、それでも「整っている」庭園を目の前にすると、ゆったりと心が落ち着く。ここには私の恩師に連れてきてもらった想い出があり、そのことをふと思い出したりして、感慨深い。しばらく石庭を楽しんで、その後知足の蹲(つくばい)を見る。「吾唯(われただ)足るを知る」という言葉が彫り込んであり、私はこの言葉がとても好きである。多くを求めず、そこにあるもので満足する。中々そううまくは生きられないけれども、龍安寺に来るたびに思い出される言葉である。蹲がある石庭の裏側は、日差しも当たっておらず、裸足で寺の中を歩いてまわったのだが、木造の木の質感が足元から感じられて、ひやりとした木の床は歩いているだけで気持ちがいい。今日は結婚半年記念日だが、自分にとって原点ともいえるような龍安寺にひとりで訪れたということを、いい想い出として残したいと思う。
さとみさんより
■劇場で観た映画:"Petite Maman(小さなママ、邦題『秘密の森の、その向こう』)"
第72回カンヌ国際映画祭の脚本賞とクィア・パルム賞を始めとした無数の映画賞を受賞した『燃ゆる女の肖像』のセリーヌ・シアマ監督が手掛けた本作は、喪失と救済をテーマとした作品だ。祖母の死を契機として、バラバラになりかける家族の物語。
8才のネリーは両親と共に、森の中にぽつんと佇む祖母の家を訪れる。大好きなおばあちゃんが亡くなったので、母が少女時代を過ごしたこの家を、片付けることになったのだ。だが、何を見ても思い出に胸をしめつけられる母は、一人どこかへ出て行ってしまう。残されたネリーは、かつて母が遊んだ森を探索するうちに、自分と同じ年の少女と出会う。母の名前「マリオン」を名乗るその少女の家に招かれると、そこは"おばあちゃんの家"だった──。
https://ttcg.jp/human_yurakucho/movie/0887900.html
僕は昨年、育児鬱のようなものになって、他にも様々な理由があって、最終的に、家族を愛していながらも、離婚し、離れて暮らすことを決めた。この一文で書き切れるわけもないので、そのことは割愛する。そんな僕にとって、この作品の少女ネリーの姿が、6歳の長男と被らないわけがなかった。是非観て欲しい作品だから多くは語らないが、美しい映像と、深遠な言葉たちが、この物語をゆっくりと優しく案内してくれる。永遠に失われてしまったものを前にした時にも、失われるかもしれないものに直面した時にも、人は、記憶や想像というものを通じて、語り合うということが出来るのかも知れない。そういう救いや祈りを感じる作品だった。
もときさんより
■出会った生地:蝋けつ染めの反物
写真では絶対に伝わらないのだけど。。。蝋染工芸作家の木村勝美氏による、蝋で染めた反物。染めというのは、「どのようにして染めないか」という技術とも言えるらしく、様々な手法で染めない部分を作ることで紋様をなしているのだそう(マスキングテープの要領)。蝋けつ染めとは、文字通り蝋でコーティングすることによって染めに意図的にムラを作り出す手法らしい。この生地は6色も使って(6回)染めていて、何とも隠微な、立体的な色合いをしている。見る角度によって常に揺らいでいる、まるで炎のような、不定形の色。あまりにも美しくて、目に入った途端一瞬で目も思考も全て奪われてしまった。その日見たありとあらゆる美しいモノの記憶が吹き飛ぶような体験。ご馳走様でしたとでも言いたくなるような、有り難い「物体」でした。
もときさんより