4 循環のなかで

 雨後の植物たちの勢いは凄まじい。毎日じょうろで汲んだ水をやっていても、天から降る雨にはかなわない。雨を存分に浴び、吸収した植物たちの姿はうれしそうに映る。もちろん苗たちだけでなく雑草たちの勢いもまた凄まじく、私は目を見張るばかりだ。

雨後の畑。雑草に覆われて、苗と見分けがつかない

 植物たちは雨と土から栄養をもらい、自分たちの力でぐんぐん育つ。人間である私はそれを見守り、「よりおいしい実がなりますように」と、時折そっとお手伝いをする。

 たとえばジャガイモの芽かきだ。芽が10センチから15センチになったら、1株につき育ちの良い芽を2本残し、他はかき取る。芽かきをせずにたくさんの芽をそのまま伸ばすと、一つ一つのイモが小さくなるらしい。

 小さすぎるイモは「ソラニン」という有毒物質を含むため、食べるのには向かないという。だからより大きなイモができるように、人間が少しお手伝いするのだ。ラディッシュやミニニンジンの間引きも似たような行為だろう。

 ところで、ある日畑で珍事が起こった。ミニニンジンがいつまで経っても発芽しないので、これは失敗したのだと思って、ラディッシュの種を同じところに撒き直したのがいつだったか。

 ラディッシュを間引きしようとよくよく見ると、ラディッシュが発芽した後から、ミニニンジンが発芽している。これはどうしたものかと頭を抱えた。どちらかを抜くべきか。しかしどちらかを抜くのは忍びなく、友人の「そのままで大丈夫」という助言を信じ、そのままにしておいた。

ラディッシュの後に発芽したミニニンジンの芽

 結果的に抜かなくて良かった。ラディッシュよりもミニニンジンの生育が遅く、時期がずれたのだ。うれしかった。偶然だろうが、ラディッシュとミニニンジンがなんだか自然と、共生する術を選んだように感じて、勝手に感心した。

 間引き菜はこども食堂や実家、近所の方におすそ分けした。畑をやっていると、普段お世話になっている人に、自然とささやかなおすそ分けをしたりされたりすることになる。それはとても気持ちのよい循環だ。

 畑で得られた恵みを他の人におすそ分けして、私もうれしいし相手もうれしい(はずだ)。相手も何かのときにそれを何かの形で返してくれたりもする。もちろん返ってこなくたっていい。だって私はすでに畑からたくさんのものをもらっているからだ。

 畑は偉大だ。忙しい時ほど畑に行きたくなる。癒し効果があるからだ。鳥の鳴き声や草木が風にざわめく音を聴きながら無心に草をむしるのは、精神的なデトックス効果がある。

収穫したラディッシュ

 この1ヶ月で、ラディッシュを2回収穫した。収穫というのは喜びに溢れる瞬間だ。土のついたラディッシュは見るからにおいしそうで、誰におすそ分けしようかとワクワクしながら考えた。もちろん自分でも食べて、満足した。

 先日、新たに夏野菜を植えた。キュウリにミニトマト、オクラにナス、ピーマン。そしてつるなしインゲンとエダマメの種を撒き、すでに発芽した。季節は晩春から初夏へと移り変わる。