朝、園の支度をしてからムスメを起こしたのだが、いつもより元気がなく、本人とツマが話し、今日は一日お家で休もうということになり、園にその旨を電話した。事務のおばさんが「気候もあってちょっと疲れが出ちゃう子もいるからねぇ。じゃあ先生に伝えておきますから」と言ってくれ、こういう事務的なやり取りで挟んでくれるちょっとした気遣いの一言がこの方は素敵だな、と思う(制服の受け取りとか写真の注文とかで直接園に行くこともたまにあるのだが、窓口でお話するときもこんな調子)。
僕はいつものことだが、ツマもこの日はあまりZoom会議やらがパツパツに入っていないようで、まぁそれぞれ仕事しながら、ムスメはYouTube見たりお昼寝したりしてもらいつつ、たまに一緒に遊んでって感じで過ごすことに。午前中、ツマはドトールで作業をするというので、家でムスメを見ながらこまごました作業。
個人の財布と会社の財布のキャッシュフローをスプレッドシートでちまちまと計算。わかっていることではあるが、カネがない笑 とりあえず大学院の方はほぼノーリスクで休学できるので(年間5000円払えばいいだけ、休学中も研究はできるし、どうせ授業履修する予定なかったし)、半年か一年は休学して時間を稼ぐことにする。障害年金ももらって、自立支援も使ってと、すでにたよれる福祉には頼っており、健常人(けんじょうびと。天上人みたいな響きだ)の半分以下ぐらいしか「仕事」に時間を回せないヘロヘロ妖怪人間なので、労働時間を増やしてめっちゃ働いて稼ぐってことも難しく、うまいやり方を考えねばならん。当面、会社から自分への給与を減らすぐらいしか支出カットの余地はないが、そういう延命措置も取りつつ、コロナ融資なども使ってまぁなんとかだましだまし色々組み合わせて乗り切っていくしかないわな。やれることはある。
医療的ケア関係の論文等を過去10年ぐらい文献管理ソフトに落としていくということを午後やった。支援法施行もあってか、ここ数年顕著に調査や論文の数が増えている。ただ、医療的ケア児・者といったときに「児」に関するものはいっぱいあって、子どもから大人へのトランジションのところが、やはりまだ薄い印象。今日はダーッとザッピングしたレベルなので、一個一個理屈立てて整理して今後どこを掘っていくか見極めねば。1週間後ぐらいにはもう少し視界がクリアになっているだろう。
夕方、先端研公共領域の演習にZoomで耳だけ参加。立岩先生、後藤先生に加えて、サバティカルを終えた岸政彦先生も今年はおられて、Twitterの猫アイコンの印象しかなかったのだけど、画面ではじめて顔と声と話しぶりに触れた。岸先生だけ関西弁なのだけど、聞いていると自分も地元の語りのリズムが戻ってくるというか、たぶん今後自分が発表する際に、岸先生にコメントもらってやり取りする、みたいな場面になったらつられて自分も関西弁になるのだろうな、と思った。
夜、寝る前に閒のSpatial chatで友人たちと詩の朗読をリレーして、寝た。
僕が読んだのは、
田村隆一『詩集 言葉のない世界』から 「西武園所感ーある日 ぼくは多摩湖の遊園地に行った」
友人たちが読んでくれたのは、
吉野弘『吉野弘詩集』から「みずすまし」
千葉まほ「小さなお前と」
尾崎世界観『私語と』から「二十九、三十」, 「ナイトオンザプラネット」
ヴィスワヴァ・シンボルスカ『終わりと始まり』から「題はなくてもいい」, 「詩の好きな人もいる」
仁尾智『仁尾智短歌集 三十一筆箋 猫猫』