いつものようにニチアサを観てから、家族3人で登戸の「藤子・F・不二雄ミュージアム」へ。私は手帳持ってるので無料である。へへ。ツマとムスメは以前に1度行っていて今回2回目、僕は初(休日、ムスメの要望でアンパンマンミュージアムとかサンリオピューロランドとか、色々なアミューズメント施設に行くことが多いのだが、半病人の僕は疲労困憊でボヘーっと寝込んでいるときがあり、そういう場合はほっといてくれるのがありがたい。ツマとムスメ2人で行ったり、じいじとばあばを誘っていったりしてる)。
「ゆーへー、たぶん好きだと思うよ」とツマが言っていたのだが、実際その通りだった。子どもがわちゃわちゃ遊べる場所もたくさんあるのだが、藤子・F・不二雄氏の原稿・原画や映画・コミック等の関連資料が盛りだくさんの「展示室」というスペースがあり、これがもうね、めちゃくちゃ良かった(他のスペースと違って照明が落とされてて静かに落ち着いて過ごせるのも自分の特性に合っていて助かった)。『ドラえもん』に代表される漫画の世界をどのように、何を大事にして創ってきたのか、資料とともに、藤子先生の考えや言葉に触れることができて、大いに学びと刺激を得た。藤子先生にとって「SF」とは「すこし、不思議」という意味であり、子どもたちが生きる「日常」の中に、不思議・ワクワク・ドキドキをもたらす「非日常」を、ドラえもんのひみつ道具を通して呼び込んできたのだと。『ドラえもん』をアニメ化するに当たって、高畑勲氏が藤子先生に提出した「覚書」(企画書)が展示されていて、それもまた素晴らしかった。アニメ化の許可を得るために『ドラえもん』を徹底的に読み込み、その魅力はどこにあり、それをどうアニメで描くかということを端的に言語化した手描きの短いメモのようなものなのだが、ドラえもんとのび太との出会いや、彼が未来からきた存在で云々という舞台設定を視聴者に説明するための「特別な第1話」はやらない、ということ、ドラえもんのもたらすひみつ道具がきっかけとなって、登場人物たちがどんなことを考え行動し、企てがうまくいったりいかなかったりという、その1話1話をいかに魅力的に描くかということが大事である、ということなどが書かれており、(撮影禁止で文言うろ覚えなので、正確な表現・再現できてはいないが)いやぁ「いい仕事」というのはこういうところから始まるのだよなぁと感動した。何かを創り、表現する者同士の対話、「あなたと一緒に仕事をしたい」「あなたの作品をこう使わせてほしい」というときの口説き方は、かくあるべしというお手本を見せてもらった気分だ。作品を読み込み、理解し、相手に「理解してくれている」と思ってもらえるような伝え方を、ズドンと、端的に、ストレートに、打ち込む。それだけで良い。接待攻勢などの搦め手は要らない、むしろ悪手である。いやぁいいもの見せてもらった。
別のスペースでは、藤子先生の父親としての側面が垣間見られる展示もあり、それも良かった。写真とか旅行とか考古学とか、趣味も多彩で、でもやっぱりとにかくマンガが好きでずっと描いている。子どもたちに楽しんでもらえるものを、という思いでずっと描かれていたようだ。「子どもたち」というのは、漫画家としてはもちろん読者となる全世界の子どもたちを意味しているのだろうけど、クリスマスとか誕生日とか、そういうちょっとしたライフイベント・季節イベントに際してご自分のお子さん・ご家族のためにさらりと描いたマンガなども展示されていて、漫画家としてでなく「パパ」として描いている時間も、きっとすごく楽しんで描いていたんだろうなぁと想像された。僕は絵は描けないけれど、家族のためだけになにかをつくる、ということ、もっと色々できそうだし、やってみたいなと思った。あとはあれだ、ムスメが小学生になったぐらいに、『ドラえもん』マンガ全巻買って本棚に並べておこうと決めた。
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夕方、帰宅してからは、それぞれに休憩したり、ムスメの呼びかけで3人でカルタをやったり、東急に買い物に行ったりと、のんびり過ごした。合間合間に、閒のSlackで友人たちとちょろちょろとやり取りをする。みんなそれぞれに週末を過ごしていて、なんとなーくチャットや通話で日常を共有する。そのうちの一人が「デジタル親戚」という表現をした。いい言葉だな。雑談の流れのなかで、友人の一人がお子さんの工作写真を共有してくれて、僕を含め他のメンバーがそれを見てどこが素敵だとかユニークだとかコメントをして、ご本人にも伝えてもらい、というやり取りがあり、ほんとに「デジタル親戚」のおじさんおばさんみたいなだった。住んでいる場所もバラバラなのだが、それぞれの子どもたちが、自分の感性や好奇心を大事にできて、それを表現したり、「好き」をきっかけに色んな人(子どもも大人も)と繋がれたりする、そんな機会づくりのお手伝いを、お互いに、自然体で、できればいいなぁ。