「人生を楽しむ自分」を少しずつ赦すこと

Hiroki Honda です。このブログを書くのは初めてになります。
会社勤めのプログラマーをやっていましたが、病気で 5 年前に退職してからは、家で療養生活を送っています。
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5 年前に病気で会社を辞めて療養生活になってからも、
毎日、体調がマシな時間帯は、全て勉強かアプリの制作に費やしている。
体調が良くない日でも、(効率が悪いのを分かっていながらも) 作業机に無理矢理向かってしまう。

そうしてしまうのは、何かしら生産的なことをしていないと 自分のことを肯定できない(自分の存在意義が分からなくなる)からだ。
何もしない時間を作ると、存在価値の分からない自分に向き合うことになってしまい、それが何より怖いからだ。

自分にとって、勉強や制作をすることだけが自分の存在価値を高める唯一の方法であり、娯楽の時間は「甘え」や「逃げ」でしかなかった。
だから、体調がマシな時間は全て勉強と制作に充てる以外の選択肢が持てなかった。

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... というのは、これまでの話で。
最近は、自分としてはかなり珍しく、突然 植物を育て始めてみたり、歌を上げてみたり、人と喋ったり... といったことに時間を割き始めている。
今までの「勉強や制作をする自分しか肯定できない自分」だったら、そういう行為は「甘え」や「逃げ」と一蹴しただろう。
ただ、最近ではそうは思わず、「もう少し人生を楽しんでもいいのではないか?」という考えにシフトしつつある。

なぜ、こういう気持ちの変化があったのだろう?
正直、自分でもよく分からずにいる。
30 代の前半が終わりつつあり、「仮に今 死んだら、ろくに楽しんでこなかった人生を悔いてしまうのではないか」と気づき始めているから かもしれない。
人間関係に永遠は無いから(特に、ネットでしか つながっていない人との関係は突然終わりが来たりする)、仲良くしてくれる人達と楽しむ時間を「今」作らないと、後から後悔してしまうから かもしれない。

気持ちの変化の理由ははっきりと分からないが、「人生を楽しむ自分」をこれからも少しずつ肯定していければ、と思う。
「勉強や制作をする自分しか肯定できない自分」という、15 年くらい自分を縛り続けている呪いから、少しずつ自分を解放していければ、と思う。