介助とヒーロー#1 『ラストマンー全盲の捜査官』を2人で観る

TBSテレビの日曜劇場『ラストマンー全盲の捜査官ー』を観て、「介助とヒーロー」というテーマのもと、脊髄性筋萎縮症(SMA)Ⅱ型による重度身体機能障害のある愼 允翼(しん ゆに)と、重度訪問介護制度による愼の介助者の一人鈴木 悠平(すずき ゆうへい)が対談する。

現在、毎週日曜夜9時からのテレビ放送と、TVer等の見逃し配信が行われているので、この記事をきっかけに関心を持たれた方は、ぜひ番組も観ていただければ幸いである。

主演・福山雅治✕大泉洋!無敵のバディ誕生!!全盲の人たらしFBI捜査官と犯人逮捕のためには手段を選ばない孤高の刑事が凸凹バディを組んで難事件に挑んでいく!福山が演じる皆実広見(みなみ・ひろみ)は、アメリカから期間限定で交換留学生として来日したFBI(アメリカ連邦捜査局)特別捜査官。人たらしな性格で愛嬌や社交性があり、いつも人の輪の中心にいるような人物だ。皆実は、過去のある事故がきっかけで両目の視力を失っているが、鋭い分析力、嗅覚、触覚で事件を必ず終わらせる最後の切り札という意味で、FBIでは“ラストマン”と呼ばれていた。そんな皆実のアテンドを命じられた、警察庁人材交流企画室の室長・護道心太朗(ごどう・しんたろう)を大泉が演じる。代々、警察庁長官を務めあげてきた由緒正しい“護道家”の人間である心太朗は、自ら志願し、警察の中でキャリアではなく現場を選択し、捜査一課で圧倒的な検挙数をあげていた。ある理由から悪を絶対に許さないという“並々ならぬ正義感”があり、犯人を捕らえるためにはどんな手段もいとわない、いきすぎた一面もあり、その姿勢から警察内部にも敵は多い。そんな心太朗だったが、“次期警察庁長官”と目されている兄から命じられて皆実のアテンドをすることになり…。
TVerの番組概要テキストより引用

対談第1回は同ドラマの第1話〜3話を振り返って収録した。以下、Podcastに公開した音声ファイルに続いて、同音源の文字起こしを最小限編集・校正したテキストを掲載する。

ゆうへい:けっこう面白いテーマっていうか、我々の日頃の関心や話題と重なるものがいっぱいあったね。

ゆに:そうだね。

ゆうへい:ひとまず1話から3話までを観て印象に残ったところまでを語ろうか。

ゆに:まずはやっぱあれかな、1話のタイトルにもなっている「新時代のヒーロー」というメッセージについて。どの辺が新時代で、どの辺がヒーローなのかというと、平たく考えれば、障害を持っている人がヒーローになるってことが、おそらく「新時代のヒーロー」だとされているんだろうけど、まぁでも別に必ずしも障害を持った人が、これまではヒーローではなかった、というわけではないんだよね。

ゆうへい:多分あのタイトルをつけた制作陣としてはもう少し深い理解というか、意図がありそうだよね。

ゆに:座頭市とか、歴代の全盲のヒーロー像っていうのが、なくはないわけ。だけどそういうのとは違う気がするんだよね。違いはいくつかあるんだけど、まず一つはやっぱりテクノロジーが出てくることだ。それから、人との協力。

ゆうへい:介助者。

ゆに:そうそう、大泉洋が演じる護道さんは「バディ」と言われてるけれども、俺とゆうへいさんからしたら完全にあれ「介助者」だよね。あと今田美桜ちゃんが演じる吾妻さん(技術支援捜査官)もそう。

ゆうへい:うん。座頭市みたいなのは、身体障害があるけどそんなの関係ないぐらい圧倒的に強い、なんなら身体的なハンディがあることが演出上はプラスの味付けになっちゃうぐらいなんだけど、『ラストマン』は明らかに描かれ方が違うよね。もちろん、福山雅治演じる皆実さんにも視覚障害があり、ただそれはさておきめちゃめちゃ優秀で、なんか見えないけど、肉弾戦で制圧する力もあるし、心理学で博士とってFBIで抜擢されて…って、視覚以外は頭脳も肉体も「強い」という点だけ見れば同じなんだけど、座頭市と違うのは、彼のヒーロー性っていうか、FBI捜査官としてバンバン犯人捕まえるっていうあの実績は、決して「1人だけ」で成り立ってないっていう。

ゆに:僕は座頭市のこと、そんなにちゃんと知らないんだけど、日常生活の部分があれほど強調されてるっていうのが『ラストマン』は面白いなと思ってて。食事をするとか、お酒やお水を飲むとか、蕎麦を食うとか飛行機に乗るときか、車に乗るとか、こういう「生活動作」と言われてることをね、この部分を映すことによって、いわゆる座頭市的な、戦闘に特化した演出の中での「目が見えない」ではなくて、「目が見えない人生を生きる」っていう、その生活の部分を強調しているところに「新時代」性があるというか、僕はすごくいいなと思って観ているんだよね。

なんかさ、障害持っている人の特殊性というとしばしば、目が見えないと、代わりに別の能力ー嗅覚・聴覚が発達するとかいうのがままあるわけ、演出の中で。『ラストマン』の皆実さんもめちゃくちゃ強いし、頭キレキレなんだけど、これって果たして、目が見えない”から”、”代わりに”そこが発達したっていうステレオタイプの描かれ方かというと、僕は違う気がする。

ゆうへい:うんうん。

ゆに:そこにね、僕はすごく感情移入しやすさがあって、僕は「メンタリティ」って呼んでるんだけど…目が見えない人とか、僕のように身体が動かないとか、障害を持っている人にはなんかね、特殊なメンタリティが発生することによって、自分の障害とともに運命を乗り越えていく力が与えられてくる場面っていうのが、確かにあるんじゃないかって僕は考えていて。だからこそ『ラストマン』には新時代性があるし、同時に普遍性もあるなって思ってるんだよね。1話から3話までにも皆実さんのメンタリティ、心性っていうものが特に強調されるセリフがいくつかあったと思うけど、ゆうへいさんはなんか印象に残ったセリフある?

ゆうへい:いくつかあるな。一つは、皆実さんが護道さん、我妻さんと一緒に車で現場に向かうときにやり取り。「テクノロジーが発展してだいぶできることも増えたんだけど、やっぱり犯人を確実に捕まえるためには目となってくれる人の助けが必要だから」って皆実さんが言ってさ、それで2人に対してまっすぐに「助けてください」ってお願いするシーンが印象的だった。

ゆに:そうだね。その車のシーンで僕も一つ思い出したことがあって、「皆さんが我々目が見えない人間とともに働くことを恐れないでいてくれるのであれば、犯人を必ず捕まえることできる」って、そういうふうなことを言ってた気がするんだけど、これはどういう意味なんだろうかって僕は考えたんだよね。

※編注:該当シーンでの実際のセリフは以下

”昔と比べれば、テクノロジーの力によって多少は自由に動けるようになりました
あとは…周りの人たちが一緒に働こうと思ってくれるかどうか、それだけなんです
お願いします、助けてください”

ゆに:障害者が健常者に助けを求めてって話になるとさ、共に暮らす、一緒に働くことそのものが何か社会的に良いことで価値を帯びているんだみたいな方向にいきがちなんだけど、皆実さんはね、明らかにそうは言ってないと思うんだよ。

ゆうへい:うん。

ゆに:つまり、「一緒に働けば、俺が犯人を捕まえる」っつってる。これ、「犯人を捕まえる」っていう目的のために、目が見えない人が健常者よりもとりわけ役に立つことがあるんだけど、健常者がそれをフォローしないとその能力発揮できないから、だからお前らフォローしろって、そう言ったように聞こえるのね僕は。そっちの方が大事だと思う。

どういう意味かっていうとね、第1話であの後、犯人が交番で立てこもるじゃん、もしあそこで機動隊が出ていったりしたら、皆実さんも言ってた通り、彼は速攻で爆弾爆発させちゃったでしょう。そしたら死傷者多数ですよ。とはいえ、説得に応じる気配もないし。でもね、目が見えない人が行くとね、相手は油断しきっちゃうわけよ。で、銃撃ってきても進んでくる障害者さ、めっちゃ怖いと同時に、怖いんだけど、やっぱね障害者に向けて銃撃てないんだよね、あの犯人は。で、彼は「撃てない人間」だってのを、皆実さんもわかってると思うんだ。もし彼が平気で撃てる人間だとわかってたら、たぶんあの作戦には出ないんですよね。

ゆうへい:そうだね、そこはアセスメントができてるっていうか。

ゆに:健常者じゃ無理じゃん。「自分は障害者で、相手の同情を買える」ことがわかっているっていうのが、強みなんですよ。

少し前のシーンで、犯人の青年のお母さんとも会って話していて、彼がどういうやつかもわかった上で、なおかつ視覚障害者である自分がコツコツ歩いてくと、やっぱ当てられない、引き金も鈍るだろうっていう諸々を織り込み済みで、判断した。

ゆうへい:そうそうそう。

ゆに:そういう1話全体のコンセプトの中で、健常者が、障害を持った人と働くことを恐れなければできるっていうのは、共に働くことだけに意味があるんじゃなくて、その仕事に求められる何かこう、仕事の業績というか結果ね、ここにばっちりコミットするってことをやっぱね、ちゃんと言ってるんですよ。ここが僕は、さもアメリカ的でもあると同時に、やっぱいいなって思うところですね。

ゆうへい:まぁなんか、マイノリティをインクルーシブ教育の「教材」的に使うっていうか、障害者いるだけでみんなちょっと優しくなれますよみたいなことじゃなくて、チームの一員として結果にコミットするって話をしてるよね。

ゆに:役割分担がある。あと、犯人を取り押さえたときに、今の社会は、マイノリティに対してとても厳しいし、その中で道を切り開くことって、とてつもなく難しいんだけど決してないわけじゃないっていう話をしてたよね。

※編注:該当シーンでの実際のセリフは以下

”確かに今の社会は、弱い人はいらないという考え方です
でも排除された人たちにもやれることはあります
それを見つけ出すのはとてつもなく大変なことですが、助けてくれる人は必ずいます
私は多くの人に助けられて生きてきました
世の中には不必要な人間なんて一人もいないんです”

ゆに:これはさ、「あんたに言われたら誰も反論できないよ」って思っちゃう人もいるかもしんないけど、でもそういうふうに言うことが大事なんですよ。何が大事かというと、あれは彼に言ったと同時にマイクの向こうの同僚たちにも言ってるんだよね。「僕の印象よくなるじゃないですか」っていう、まさかの自分の好感度を上げようとして言ってたんかっていうオチもついていて笑

※編注:該当シーンでの実際のセリフは以下

”あれはマイクの先にいる人たちに聞かせていたんですよ
ああいうの好きでしょ日本人は
これで私の好感度は爆上がりです”

ゆに:ここもまた僕もちょっと共感できるところなんだけど、障害を持ってる人の特殊なメンタリティの一つとして、人によく見られようとする…

ゆうへい:まぁ、したたかさだよね、サバイブしていくための。

ゆに:うん。でね、別にこれは決して健常者に媚びてるわけじゃなくてさ、あのように生きると、障害がね、面白いと思えてくる、生きるように値するものになってくると思うんだよね。

そういうなんかね、皆実さんのおちゃめさを強調するセリフが2話3話もすごく多かったなと思うんだけど。何か印象に残っているところある?

ゆうへい:なんか気づいたらみんな彼に心を許してるっていう人たらし性があるよね。2話の冒頭でもさ、護道さんが「ホテルに迎えに行きます」ってメッセしたら、なんか「もう着きました、冒険成功!」つって返信来て、護道さん「マジかよ」っつって慌てて職場行ったらもうめっちゃ話盛り上がってて。

ゆに:女の子に囲まれちゃってね笑

ゆうへい:海外の逸話みたいなの話してたよね。スペアリブを弾丸にしたとか、バターの塊で首を締めたとかいう話の引き出しがね。

ゆに:ほんまかいみたいなっていうやつね。

ゆうへい:もう一気にハートを掴んでるわけよ。

ゆに:一部盛ってると思うけどね笑

ゆうへい:あれなんかほんとに、1回1回のコミュニケーションが、特に身体機能障害が重度であればあるほど、ユニくんもそうだけど、その、出かけて人と会って話してっていうのにかかる”コスト”が大きいじゃないですか。時間かかるし、体力使うし。やっぱそれってメンタリティっていうかさ、なんか初対面とか、1回目2回目とかそこの印象でぐっと入り込むとか心つかむみたいなのが、やっぱ人間関係とか、その人生を良くする上で健常な人より一層重要になってくるっていうかね、あるんだろうなって。

ゆに:他にもおちゃめなところで例を挙げれば、この前の3話は芸能人の話で、いろんな収録現場に行ってさ、皆実さんテンションマックスなわけ。で、最後もう事件解決しちゃってるのにさ、別に事件も起きてもない全然関係ない撮影現場に行きたがるんだよね。護道さんがさ、結局皆実さん誰でもいいんじゃないですかってツッコむシーンがあったよね。彼、ほんと女の子関係特に見境ないんだよね。2話でもキャバクラに行って、なぜか盛り上がってさ。あれちょっと僕他人事じゃなかったですね笑

ゆうへい:本人、撮影現場もキャバクラも本当にめっちゃ楽しんでて、と同時に、事件に関係する情報は見逃さないでキッチリ拾っていくんですね。仕事とプライベートとか、真面目なときとふざけてるときとかって分かれてるわけじゃなくて「同時にある」っていうか。

ゆに:境目ないんだよね。すぐ健常者は公私を分けるとか区別するんだけど、障害者にね、そんなものはない!それ分けられるのはやっぱね、健常者の、なんていうか怠慢とも言える。

ゆうへい:笑

ゆに:皆実さんもこっちも、常にね、一日一場面ごとに全力疾走っていうのが基本。それはさっきも言った通り、移動のコストが高いから。そういう部分を非常に強調してるのも印象的だよね。

っていう、ちょっとポップな話をしながら今思い出したんだけど、シビアな部分の皆実さんも描いているときにも、障害を持ってる人のメンタリティを強調していたなと思ったのが、護道さんをバディに選んだ理由がね、犯人逮捕のためには手段を選ばない、並々ならぬ執着を持った人間だからなんだと。なんか表面的に考えれば、FBIのやり方に近いからって意味だと思うんだ。盗聴もOK、買収もOK、なんでもあり、場合によっては平気で発砲する。

それもあると思うんだけど、それだけじゃないなっていうふうに僕は考えていて…そのさ、障害を持ってる人にルールなんかねんだよ。さっきも言ったように、いろんなコストが高いから、コストが高いときに、さらにルールが覆いかぶさってこられても、ルールを遵守するコストを払う余力はこちらにはないんだよ。障害者がそのコストを払いたくないのに、介助者が払いたがったら、これ行動一緒にできないじゃん。

ゆうへい:バディとして成立しないよね、ずれるから。

ゆに:だから護道さんのような「ちょっとやばいやつ」が介助者の方が皆実さんはいいわけ。この二人がいいんだよ。だけどやっぱり、護道さんだけだとちょっと暴走しちゃうから、我妻さんのような技術支援スタッフも必要だし、AIのカメラもつけるし、結局捜査一課の超常識人の面々も味方につけていくんだよ。

ゆうへい:「バディもの」なんだけど、決してあの2人だけで閉じてはいないっていうのも、面白い描き方だね。

ゆに:うん、それはね、やっぱり介助者との関係でも、常に僕は意識すること。もちろん、ゆうへいさん含め「業務」として入っている介助者にはウンコするとか移動するとか食事するとかの介助をお願いするけど、介助というのは必ずしもそれだけじゃない、別の人たちもいろんな面での介助をしてくれている。たとえば物を見るとき、僕はやっぱさ、左の方とか見えないときとかあるんだけど、ヘルパーさんだけじゃなくてお店の人にちょっと聞いてみるとか、場面場面で色んな人に助けを求めて開いていくことによって、全体でうまくいくようにする。

この辺はね、まだうまく言えないんだけど、このドラマも先を見ながら、僕自身もうまく言語化できるといいなと思っている。

ゆうへい:やっぱり業務としての、”本業”のヘルパーだけがその人の介助してるわけじゃない。お店とか学校とかそう行く先々ね。本業のヘルパーじゃなくても、それこそあの皆実さんが滞在するホテルのバトラーさんとかもそうだけど、なんかいい接客してくれる人とか、これユニくんとヘルパーじゃないけど付き合いが長くて、介助はしてないけど何か言われたときにそろっと自然に動ける人とかいるわけじゃない、そういう人たちの存在、すごい大事だよね、で、描いてるし。

ゆに:いやもうね本当にそう。ずるいなと思ったんだけど、皆実さんがホテル暮らししてて、ホテルのバトラーさんも、介助って言うべきかわからないけど、かなり広くとった意味での介助をしてるでしょ。僕もね、行きつけのホテルのレストランあるんだけど、そこのお姉さんとかね、僕なんにもいわなくても、僕が持ってきた水のみに完璧な量のワインをいれてくれてさ、僕が飲み込みやすいワインと飲み込みにくいワインわかってるから、完全に自動的にもってきてくれるわけ。食べ物も完璧に切ってくれるわけ。そういうのってさ、介助じゃん。

狭い意味での介助じゃないけど、障害もってる一人のお客さんを理解する、そして仲良くなるっていう、お店のサービスだけど、でもそのなんていうかな、サービスの枠を一歩こえた人間的な付き合いがそこにあるわけでしょ。それをホテルっていう舞台に象徴させて取り上げてるのがさ、これもういかにもアメリカ的、つまりさ、お金の力がすべての力っていう、ちょっとやなところがあるけど、でもねすごくリアルだし、うん、ずるいな、ものわかってるなっていう笑

ゆうへい:そうだね、一流ホテルとかさ、高水準な人材が集まってるところって、なんかその、スタンダードが高いじゃん。こっちの介助の世界って、どっちがいいわるいかっていうかその、未経験の人、僕も含めて、まあシフトに継続的に入ると、未経験からでも時間経つにつれて、ゆにくんとか「ある1人」の介助については習熟してくるわけじゃない。一方で何かホテルの人とか、あの、常時いろんな人の接客接遇をする人っていうのは別にゆにくん専属の介助者じゃないけど、行ったときの応答っていうか柔軟性が、あの基礎として高い。

ゆに:それはやっぱり、ホテル含めてね、一流と呼ばれるところの方が、そういう「いい人」と当たりやすいっていうのはある。あれ、なんかそういう話題、閒のブログに書いたな笑

最後なぜかブログの番宣的なオチになったけど、そういう色んなこと考えさせられるお話なんですよ、ラストマンっていうドラマは。

ゆうへい:こんな感じで毎週1話ずつ話していきますかね。

次回の記事はこちら:
痛みながら、しかし、だからこそ「開いていく」こと ー 介助とヒーロー #2