TBSテレビの日曜劇場『ラストマンー全盲の捜査官ー』を観て、「介助とヒーロー」というテーマのもと、脊髄性筋萎縮症(SMA)Ⅱ型による重度身体機能障害のある愼 允翼(しん ゆに)と、重度訪問介護制度による愼の介助者の一人鈴木 悠平(すずき ゆうへい)が対談する。今回はEp.8「責任」について。
皆実(福山雅治)がアテンド役として心太朗(大泉洋)を指名したのは、刑務所にいる心太朗の実父・鎌田(津田健次郎)に会うためだった…。兄の京吾(上川隆也)を問い詰めた心太朗は、それを自分だけ知らされていなかったことに傷つき、人材交流企画室室長の任を降りる。皆実とのバディは解消だ。
代わりに担当になったのは佐久良(吉田羊)。しかし、心太朗とのことを聞いた佐久良班は皆実と距離を置いていた。
そんな中、ただ1人、協力を申し出た吾妻(今田美桜)と皆実は、41年前の事件で第一発見者だった元捜査一課長に会いに行くことに。ところがその途中、2人はバスジャックに遭遇し、突然発砲した犯人から吾妻をかばった皆実が撃たれてしまう。
犯人は清水拓海(京本大我)と名乗り、なぜか乗客たちにSNSで事件を拡散するよう指示を出す。吾妻は隙を狙って心太朗に助けを求めるが…。
『ラストマンー全盲の捜査官』番組公式サイト Ep.8「責任」あらすじ
以下、Podcastに公開した音声ファイルのリンクに続いて、同音源の文字起こしを最小限編集・校正したテキストを掲載する。
ゆうへい:はい、では「介助とヒーロー」の収録を始めます。今回は『ラストマン』エピソード8、サブタイトルは「責任」ですね。
またちょっと最初に概略を話します。41年前に皆実さんの両親が殺害された事件があり、その犯人が護道さんのお父さんなのか、その真相を確かめるために皆実さんは日本に来ていて、内緒で資料をいろいろ取り寄せていたことを、結局護道さんもホテルで見つけてしまい…というのが前回(エピソード7)の引きで、「事件の捜査をするために自分を利用してたんですか」みたいな、護道さんと皆実さんのやり取りの続きから第8話が始まりました。
第8話で起こるメイン事件としては、ネット炎上がテーマです。
清水拓海という青年が今回バスジャックを起こすんですが、彼は過去に、自分と同姓同名の人が犯人と思われる別の事件で、全くのとばっちりでネット炎上に遭ったんですね。関係ない、無実の事件なのにネットで袋叩きにされた結果、仕事も失い、お母さんも体調を崩して亡くなってしまったと。
ゆに:清水拓海という名前の人が、幼稚園の女の子をバスに置き去りにしちゃって死んじゃったという事件で逮捕されたことがあって、子どもの置き去りだから多分テレビとかでも大々的に報道され、ネットでも話題になって…結局その人(もう1人の清水拓海)もある事情があって、無罪っていうか不起訴処分になっているんだけど、その後も炎上が続き、で顔とか晒されて攻撃されたのは今回バスジャックを起こした全然違う、同姓同名の清水拓海という人で…
ゆうへい:俺は何もしてないのに、ネットで「こいつが犯人だ」と袋叩きにされ、お母さんも体調崩し、俺は工場で働いていたのに仕事を失い、本当は叩かれるべきだった俺じゃない方の清水拓海は、その幼稚園のバスの運転手は辞めたけど、その後も観光バスの運転手やってのうのうと生きてるのはおかしいだろ、許せんってことで、その清水拓海さんが運転している観光バスをジャックした。それに皆実さんと吾妻さんが乗り合わせて、外部と連絡取りながらなんとか解決に至るというお話でした。
だから護道さんと皆実さん、そしてそれぞれの家族の過去の話と、今回起こった事件の話と、その中での、何が真実かとか、それを関係者がどう捉えるかとか、全然関係ない人がなんやかんや言うみたいなネット炎上のお話含めて、いろんな意味を込めての「責任」というサブタイトルなんでしょうね。
ゆに:そうですね。
ゆうへい:というのが、サラッと概要の振り返りでした。
ゆに:「責任」の二文字ってのが、深いよね。今までも副題はわりと短いんだけど、今回2文字だけですから。
ゆうへい:これまでは「大切なひと」とか「忘れられない味」とか「奇跡の出会い」とか。
ゆに:形容詞プラス名詞だったよね。これね、いろんな「責任」があったなと思っていて、まず最初の場面から順に考えて行ったほうがよくて、護道さんと皆実さんが揉めるとこね、護道さんは一回、「もうあんたとは一緒にやってられない」って、バディとしての責任を一旦放棄するんだけど、あの時のね、皆実さんの切ない顔と、同時にね、なんというか、どこかちょっと納得している顔でもある。けっこういい顔してるなと思ったの。
これ僕ずっと言ってきていることではあるけど、皆実さんというのは「別の秩序」を持っている人で、護道さんに対して皆実さんが、その自分はね、犯人を恨んだこともあるけれど、それで埋められるような人生ではなかったっていう話をしていて、そんなのウソだって護道さんが反発するシーンがあるんだけど、あれね、簡単にいうと、あれはウソじゃないんだよ皆実さん。これはね、障害もってる人にしか多分わからないことだと思うんだけど、障害があまりにも大きいがゆえに、そういう風にね、責任を押し付けても体が治るわけじゃないっていう現実があるからね。
ゆうへい:そうだね。どんだけ恨んでも、この「見えない」とか「動けない」っていう体の現実は変わらんっていう…
ゆに:だから結局さ、今回のバスジャック事件の犯人もそうなんだけど、その、自分がされたことをこう、「外部」のせいにしても…もちろん実際悪いのは外部なんだけどね…
ゆうへい:うん、もちろん…
ゆに:なんだけど、でも、それだけじゃないものを認めることができるっていうのは、これはね、僕やっぱ障害を持ってる人の、健常者と違う世界圏、世界線、世界観、つまり「別の秩序」を持っていることを象徴的にあらわしていて、このことを護道さんも皆実さんとずっと一緒にいたからわかるはずだったのに、「そんなことないでしょ」って、「そんな人間は単純なものじゃないでしょ」って言ったじゃない。
ゆうへい:「人間はそんな簡単に割り切れない」っていうようなことを言ってたね、護道さん。自分(護道さん)ではないけど、自分の実のお父さんがあなた(皆実さん)の両親を殺してるのに、なんで俺のこと恨まないの?みたいな、護道さんなりに皆実さんを気遣ってっていうか…あなただって傷ついてるはずなのに、なぜそこまでこの事件の真相を探ろうと頑張るのかみたいな、多分そういう思いでの発言だと思うんだけど…。護道さんにそう問われた皆実さんは、確かに私(皆実さん)も「もし目が見えたら」って思うこともあったし、犯人を恨んだこともあったと。でも、それで自分の人生や未来が閉ざされるわけじゃないし、そんなこと「考えてる暇もなかった」というような答えを返した。
ゆに:簡単に割り切れるものではないが、それよりも障害はでかいのよ。つまり、「割り切れるとか割り切れないという基準だけでも、人間は割り切れねえよ」っていう、そういう一個上のメタ的な秩序が、障害もった人にはあるってこと。それがね、生き残った人間の「責任」なんだよ。皆実さんはさ、親を殺されても自分は生き残ったわけ。
当時巡査で、捜査一課長まで上り詰めた人にも会いに行こうとしてたじゃん。彼に救ってもらったことの責任、生き残った責任、その上で自分の障害にもかかわらず、41年前本当は何が起こっていたのか真相を追わなければいけないという責任、皆実さんはその責任感がまずあってね。その責任感が、護道さんの中に、冒頭、皆実さんと揉めた段階ではまだ生じてないんだよね。
ゆうへい:冒頭で揉めた段階もそうだし、最後にホテルに戻ってきて、再び腹を括るまでの最初のやり取りは、まだ護道さんもなんて言うかな、「そんな簡単に割り切れねえだろう」っていう地平に立ってたんですよ。でも、皆実さんよりちょっと数分遅れてというか…その8話のラストシーンで再びホテルで皆実さんとやり取りするなかで、護道さんも最後、いよいよ腹を括ったんだよね。俺もお前も「ラストマン」として、この真相を突き詰めていくと今より辛い現実をつきつけられるかもしれないけど、やったりましょうみたいな。最後の最後に護道さんも皆実さんと同じメンタリティに至った感じがあって、それを最初と最後、その間の事件解決含めて、8話の1時間かけて描写してたなーと。
ゆに:やっぱさ、人間が未来に向かって生きなければいけないっていう責任、過去を引き受けながら未来を創らなきゃならない責任、何一つ捨ててはいけないという責任、この責任感っていうのは、人間の感情で割り切れる・割り切れないとか、そういうものにね、断固先行すると思うんだな。ちょっとなんかカントっぽい倫理観なんだけど、この8話で一番ポジティブに描かれている部分だと思います。
ここから残り2話で最終章に向かうに当たって、かつてないほど権力のある敵と戦うことになるから、消耗は決定づけられてるわけなんだけれども、その前にこの「責任」に目覚めて戦う準備をするっていうのは、非常に良い構造だなと思ったな。この8話は護道さんが「責任」に目覚める、つまり護道さんの成長の物語だったわけだ。皆実さんはずっと最初からヒーローだったから。
今回のバスジャック犯はそれと対照的というか、これ、もちろん巻き込まれた乗客の側からしたらたまったもんじゃないんだけど(苦笑)、あのバスジャック事件のおかげでというか、護道さんが「責任」に目覚めるきっかけになってるんだよね。
ゆうへい:…と、ここまで話したのがまず今回の「責任」というテーマの大きな捉え方と言えるかな。とはいえ最初、護道さんは皆実さんと喧嘩して1回バディ解消しちゃうんだよね。僕とユニくんのように、介助者と利用者、そして介護事業所を介した雇用契約や賃金が発生しているものではないんだけれど、でも皆実さんの介助をすることは職場(警察)で指示された護道さんのれっきとした「仕事」なわけで、それなのに自分の感情で、仕事を、責任を、1回放棄してしまう。
ゆに:そうだね。
ゆうへい:室長やめますってね。佐久良主任に役割を押し付けて自分は去る…ていうことをやっちゃう。で、事情を聞いた佐久良主任とか泉くんとか馬目さんとかもちょっとなんか皆実さんに対してムッとしてるっていうね。結局、護道さんをバディに指名したのもその過去の事件を調べるためだったんじゃないかと。
ゆに:利用してたんじゃないかって
ゆうへい:だから他のメンバーもなんかこうムッと感じでさ、屋上で皆実さんと会話してから去っていくんだけど、そこで吾妻さんだけが残って…
ゆに:そう、そこね。
ゆうへい:「私は最後まで皆実さんの目になります」「ありがとうございます」って。まず護道さんが1回義務を放棄して、そして他のメンバーはさ、同僚だけど、結局その「介助者」としての義務がない、ある種「気楽」なというかさ、気楽なっていうとあれだけど…
ゆに:いや「気楽」ですよ。
ゆうへい:より「離れる自由」がある人たちなんだよね。「ムッとした」というだけで皆実さんとの距離を開けてしまえる立場なんだけど、そこで吾妻さんだけ「留まった」という。
ゆに:「気楽」問題で言うと、今回、僕の中で吾妻さんの株が爆上がりした一方で、ちょっと佐久良さんに対してはね、モヤッとしちゃったというか、なんでかと言うとね…、もちろんね、護道さんもそうだし、佐久良さんもそうなんだけど、前提としてね、「部署としての介助者」であるにすぎないのだから、最終的に「皆実さんの介助者」ではないのよ、究極的には。だけど、一応アテンダントとして、アメリカと約束をして警察官を一人配置してるわけなので、本来護道さんが去った時点で、仕事を引き継いだ佐久良さんは、たとえちょっとモヤッとしたとしても「仕事」として皆実さんの介助に入らなきゃいけないのよ。
ゆうへい:そうそう。「手引き」しなきゃいけないよね、皆実さんに肩貸してさ。やっぱ佐久良さんは護道さんのこと好きだから、そういうちょっとなんか感情を優先して、義務を放棄しちゃったという話ですね。
ゆに:そこで吾妻さんはそれでも残るわけで。彼女のね、皆実さん見るときの顔がね、僕は何ともいいなと思ったのが、半分はやっぱり、護道さんのことを利用したのかっていうことに対する、皆実さんへの失望の色がゼロではない。
ゆうへい:そうだね、やっぱり。
ゆに:ゼロではないんだけど、まあ10年前からの繋がりもあるし、やっぱり護道さんに次いで「サブ介助者」みたいなところがあったから、皆実さんが本当に護道さんをただ「道具」として利用しようとしてわけじゃないはずだってことを「直観」している自分もいるってことを、彼女自身ちゃんと気づいていて、そっちの自分の方を選んで、皆実さんの介助に入るって言っているんだよね。この強い信頼関係がある。
そのやっぱさ、俺思うのがね…これは障害者としてはっきり言っておきたいんだけど、皆実さんが吾妻さんに「ありがとうございます」って言ってたけど、そりゃもちろん「ありがとうございます」なんだけど、だけどやっぱさ、何があっても、個人的に揉めたとしても、介助はしてもらわなきゃ困るのよ。簡単に「放棄」されると困るの、はっきり言うと。
ゆうへい:生きてけないからね。
ゆに:もちろんね、人間だからさ、最終的には「これはもうあかん」ってなったら、生活かかってても介助者と縁切らなきゃいけないときあるけど、やっぱねそこでね、皆実さんという障害もってる人の、最後まで味方に立ってくれること、これはねほんと重要で。これただのね、なんかこう愛情とか友情に還元しちゃいけないけど、やっぱでも繋ぎ止めるものもね、やっぱ愛情・友情なんだなっていう、この微妙な距離感を…あの吾妻さんの表情はね、ギリギリのラインで描いたなって気がする。
ゆうへい:そうだね…
ゆに:正直あの、障害者の問題としては、もうちょっと議論の余地があると思うんだが。うん。
ゆうへい:あのー、まぁいろんな人がさ、当事者論とか介助論とか、ずっといろんなことを語ってきてるテーマでもあるよね。で、まだ圧倒的に皆実さんやユニくんみたいに、その身体の、機能障害ってのは「動かない」現実として、どれだけリハビリやっても限度があるみたいなさ、それに対してやっぱその介助者は、その昔のねボランティアの頃から今のように制度化された現在まで、どんなグラデーションであれ、「身体」の意味では「当事者」でないし、「立ち去る自由」が究極的にあるみたいなことは言う人もいるんだけど、一方で、やっぱりね入口がなんであろうと、つまり、雇用契約やらバイト代やらで「仕事」として入る場合であろうと、家族や恋人が介助する場合であろうと、フォーマルからインフォーマルまでね、もちろん障害者と介助者は違う「身体」なんだけど、やっていくうちにどうしたって人間関係とか、お互いの理解とか、信頼、友情、愛情っていうのが深まる。
ゆに:お互いのいろんな面を見てきてね。
ゆうへい:そうそうそう。もちろん人と人だからね、障害者と介助者に限らず、何か「いよいよ」もってのことがあったらさ、人って、別れたり喧嘩したりするし、どんな契約書があろうと、お金が発生してようといまいと「別れ」ってのはあるんだけどね。でも…
ゆに:「別れ」がないと危ないのよ、むしろ。
ゆうへい:そうそうそう、そうね。
ゆに:たまに虐待とか 殺人事件が起きてるのは、やっぱそういうとこだよね。
ゆうへい:「閉じちゃう」からね。親子の問題とかそういうのは。だから「開かれている」「辞められる」っていうのは、それはそれで要素として大事なんだけど、でも、まぁやっぱり重い・軽いってちょっと量的な表現があれなんだけど、あの、ささっと立ち去れちゃった佐久良主任とか馬目さんとか泉くんと違って、まだ出会ってそこそこだけど、やっぱり結構な時間を共にした吾妻さんや護道さんってのは、やっぱそうそう簡単に離れられない当事者性とか、「責任」とか 関係っていうのが、なんかもう「発生しちゃってる」。
だから、色んな感情があったとしても、立ち去られると障害者は生きていけないから残らなきゃっていう仕事としての機能的な義務もあるし、皆実さんと出会って関わる中でのお互いの理解や信頼とか、そのいろんな要素がこう混ざった上での、吾妻さんが「残って責任を果たす」という、あのやりとりだったんだなと。
ゆに:ゆうへいさんの話聞きながら思い出してきたんだけど、吾妻さんさ、バスのなかでね、皆実さんが肩撃たれたあと、こまめにさ、「水飲みましょう」って言って、車の進行方向に背を向けて半分皆実さんに馬乗りになって水を飲ませるシーンがあるんだよ。もうね、吾妻さんを演じる今田美桜ちゃんのあのね表情が、俺がすっごい好きな看護師さんの顔に見えてしょうがなくて…あのね、彼女すげーなって、もう役者の今田美桜ちゃんを好きになりそうなんだけど(笑)、彼女「介助やったことある?」ってリアルに思っちゃうぐらい、演技すごかったんだよね。
あの「水飲みましょう」のくだりって、正直要らないのよ、ストーリー上も演出上も。「だから何?」って感じもするんです。皆実さんは肩を撃たれてかなり出血をしていて、あの程度の水では命を取り留める助けにもならなかったと思うのよ、正直。皆実さんだって、撃たれたあと少しでも体力を回復・温存するために水飲んだ方がいいのはわかってるわけだから、自分で飲んだっていいわけ。右手使えるんだしさ。
何が言いたいかっていうと、あの場面で、吾妻さんが完全に皆実さんの「介助者」になってるんですよ、ほんとに。
ゆうへい:これまではさ、パソコンで画像解析したり、カメラの画像を見ながら皆実さんに状況を伝えたりという「目」と「デジタル」が吾妻さんの主な領分で、手足や身体の介助は護道さんっていう大きな分担があったわけだよね。でも、あの場面においてはもうそれどころじゃないからさ、水飲ませるとか、包帯で縛るとか、声かけるとか、セグメント化されない、その場でできるあらゆることを「介助者」としてやる、っていうリアルがあったよね。
ゆに:やっぱね、障害もってる人って基本的にさ、車の中だとより活動範囲が狭まるんだよね。皆実さん、今回肩撃たれて動けないなかで、吾妻さんは馬乗りになって車の進行方向に逆向いた体勢で水を飲ませて…
ゆうへい:あれ吾妻さんも危ないよね、犯人怒らせて撃たれるかもしれないわけだから。
ゆに:全然ありえるよ、ありえる。
ゆうへい:皆実さんを犯人から庇うかのように、自分が壁になりつつ、水を飲ませやすい角度とかも考えてね、ああいう姿勢をとったんだろうね。
ゆに:僕も車乗ってるときには、ヘルパーさんに水飲ませてもらうにはあの体勢でしてもらわざるを得ないんだけど、そんときの表情が本当にリアルで、僕びっくりした。なんかね、顔真面目、非常にシリアスな場面で、吾妻さんも表情固いんだけど、皆実さんが飲んでるときにちょっと安心するような顔してたんだよね。もうね、ほんと好きになっちゃいました(笑)
ゆうへい:僕は、ユニくんの介助入るとき自分のシフトの中ではあんまり外出の機会多くないけど、他の障害のある友人やその介助者のやり取りとか、いろんな場面でその様子を見てきているから言ってることわかる。やっぱり介助者の側が完全にもうガチガチになってしまうと、体のこわばりが、水の飲みにくさとか色んなかたちで障害者にも伝わるわけじゃん。バスジャック中でものすごく緊迫した場面なんだけど、そこを、吾妻さん本人も色んな焦りや緊張もあるであろうなか、絶妙にこう、「制御」っていったらあれだけど…
ゆに:「制御」してたよね。
ゆうへい:あれだけ緊迫した場面の渦中においても「ケア」をする。
ゆに:そう、あのタフさがやっぱり皆実さんとの絆を保たせたんだと思う。はっきり言ってね、吾妻さんもちょっとイッちゃってる(笑)。ちょっと超人化してるというか、彼女も皆実さん寄りのメンタリティになってる。
ゆうへい:「覚悟完了」した人ですね。
ゆに:そうそう、キマっちゃってる。僕はそういう女の子大好きです(笑)
ゆうへい:という、「介助者」としての吾妻さんが際立ったお芝居でしたね。
ゆに:あのねー、 いま喋りながら今田美桜ちゃんのインスタフォローしちゃったよ(笑)もうね、好きです(笑)。
ゆうへい:いいドラマ、いいお芝居観ると、ついついフォローしちゃうよね。ドラマが終わってからもその役者さんのその後の作品とか観たくなる。
ゆに:うんうん。
ゆうへい:じゃあ次、今回のバスジャック犯についても今回の「責任」というテーマと絡めて話していこう。
とばっちりで燃やされて、それはもうほんとに非常に気の毒なことなんだけど…同姓同名の清水拓海が、「本来、炎上すべきだったのはお前のはずだろう」ていう理屈で、元幼稚園のバス運転手だった清水拓海さんを見つけ出してバスジャックし、ネット配信しながら「公開処刑してやる」と。
ゆに:今回ジャックされた観光バスの運転手が、バスジャック犯がとばっちりで炎上させられた原因である、バス置き去りの幼児死亡事件のときの幼稚園バスの運転手だったんだよね。
ゆうへい:とばっちりでネット炎上した方、つまり今回のバスジャック犯の清水拓海が、手製の銃を持ち込み、皆実さんを一発撃ち、「全員、手を上げろ」「車走らせろ」って運転手と乗客を脅し、乗客にはスマホで「俺の写真を撮って#清水拓郎#バスジャック事件でツイートしろ」って指示し、一人ずつツイートさせた上でスマホを取り上げ、次に自分でラップトップ開いて生配信を始め、俺は昔、自分は何もやってないのにネット炎上させられた被害者で、当時の事件の真犯人はこのバスの中にいるからネットの向こうのお前たち突き止めてみろ、視聴者が10万人になったら正解発表してそいつを公開処刑するって、挑発する。
で、それをネット民はみんな面白半分に観てるわけ。家とかから職場から有象無象の人が無表情で色々書き込んでる様子が描写されてね、みんな「特定班」気取りで情報収集して、だんだん、死んじゃった女の子の父親が真犯人なんじゃないかっていう意見が支配的になっていったところで、清水が「不正解だ」と言う。このバスを運転している俺と同姓同名の清水拓海が真犯人だ、俺は今からこいつを撃つけど、こいつを殺させたのは今配信見ているお前らだ!と主張する。俺を勘違いで炎上させたときと同じように、ネットの「お前ら」はいつも正義感気取りや面白半分で特定だの裁きだの言って、それが人を殺すんだ、それが俺とお袋の人生を壊したんだ、と配信しながら恨み言を吐くわけです。
ゆに:ネット民の心に深い傷をつけようとしての犯行というか、それが彼の本当の目的だったんだよね。ただやっぱりそのときのネットの反応が「何言ってんのこいつ」みたいな感じで全然響いてない、聞き流されちゃうという、そのなんかね、犯人の「愚かさ」つまりこの状況でまだネット民に「改心」の余地があると思っとるんかっていう、その「おめでたさ」が本当に痛々しくて…
ゆうへい:もちろん彼も被害者っていうかさ、昔の置き去り事件犯人でもなんでもないのに仕事も母親も失ってしまっていて、それ自体は非常に悲しいことなんだけど…
ゆに:結論からいうと、こいつもとんでもない勘違い野郎だっていう。
ゆうへい:ネットの「お前ら」は「真実」を突き止めたつもりで勘違いして、嘘の情報で人を殺すようなことをしたんだ、「真実」はここにあるんだと、そう主張するバスジャック犯の清水自身も、結局ネット民と同じように「真実」や「事実」を見抜けずにいたことが判明したんだよね。バスを運転している同姓同名の清水拓海が女の子を殺したんだと思っていたら、亡くなってしまった女の子は元々心臓の病気があって、バスの置き去りではなく心不全が死因だったことが護道さんによって明かされた。
ゆに:かくれんぼで遊んでて、入っちゃいけないバスに入っちゃって忍び込んで、あげくそこで心臓の発作を起こしちゃって誰も見つけられなかったっていう。
ゆうへい:つまり、すでに病気が原因の心不全で死んでしまっていたから、当時の幼稚園バスの運転手(=今の観光バスの運転手)だった清水拓海が不注意や故意で女の子を置き去りにして殺してしまったわけではなかった。幼稚園は遺族と女の子のプライバシーを重視する判断で、そうした細かい事実・真相はマスコミには発表せず、公式見解としては押し黙るというか、「組織」として、女の子と遺族、運転手(従業員)の清水さんら「個人」を守るために矢面に経つ判断をしたってことだろうけど、僕はそれ、すごく大事だと思う。
ゆに:当然のことながら、捜査に入った警察も検察も、その運転手の清水さんにはなんの罪も無いでしょうってことがわかったら不起訴にするよねそりゃ。
ゆうへい:バスジャック犯の方の清水拓海は、そうした事実を知らないまま、俺が真相を知っている、ネット民に傷跡を残してやるって犯行を起こしたという、非常に愚かしくも悲しい事件でした。
ゆに:皆実さんに制圧される前に、護道さんが外から清水に呼びかけて、お前だってネット民と同じように自分でものを見ない想像力のないバカモンじゃねーかって、いつもの調子で清水を挑発して
ゆうへい:無駄玉を撃たせるんだよね。
ゆに:皆実さんは傷を負っていても拳銃の弾数さえわかれば制圧できるってメッセージを送っていて、護道さんはそれを信じて、清水を挑発して自分がわざと打たれて弾をなくさせた。で、それまで息も絶え絶えで瀕死状態だった皆実さんが、護道さんが来たことがわかった瞬間、パッと目に力が宿って、スッと立ち上がるんだよね。
ゆうへい:「待ってました」って感じ。「さすがはシンディ、ラストを取りに来ましたね」って。かっこいーーー!!!
ゆに:かっこいーよー!(笑)
ゆうへい:二人ともかっこよかった。
ゆに:で、弾打ち尽くした清水はパニックになり、気づいたら皆実さんが立ち上がって向かってきてるから、ナイフで応戦しようとするんだけど、そしたら吾妻さんが…
ゆうへい:「ナイフ持ってます!」って。
ゆに:言った瞬間、皆実さんは自分の腕を縛ってた血が滲んだタオルをぱっと投げてそいつのナイフをおさえ、その腕を蹴りでへし折って、いつものように頸動脈をおさえて相手を身動きさせなくさせて…
ゆうへい:で、泉くんがバスに入ってきて「代わります!」って流れで制圧。
ゆに:そのときのね、皆実さんがパッと立ち上がったときの、いつもの目が見えない世界から皆実さんビジョンにカメラの映像が切り替わるんだけど、皆実さんの世界にはないはずの「赤い」色にタオルが光って、燃えてるように飛んでいって相手のナイフに飛びかかる演出がさ、もうね、『少年ジャンプ』だったよね。
ゆうへい:必殺技だったねあれは。
ゆに:かっこよかったなー。でさ、逮捕された犯人が去り際に配信画面に向かって、「この事件の犯人は俺だ、今度は間違うなよ」って恨み言を言うのよ。
ゆうへい:「恨み言」でもあるけど…自分もネット民と同じく目が曇っていた、間違っていたんだってことを、最後の最後に認めて引き受けようとする、彼の人間としての良心の発露でもあるのかなって思った。
ゆに:どうかなぁ、僕はそれやや疑問で、あの場面でもまだ、画面の向こうの「ネット」に何かを語りたいっていう、彼の「愚かさ」が何も直っていないっていうふうにも読めると思うんだな。
ゆうへい:そうだなぁ…ちょっとそこは評価が難しい。両方あり得る、のかもしれない。最後まで「ネット」っていう実態が見えない「多数」に翻弄され依存してしまった上での捨てゼリフとも取れるし、自分も結局間違っていたけど、だからこそ少しでも誤りではない「事実」を残そうとしていたとも取れるし…
でも、いずれにしてもさ、「未来」へ向かっていくことで責任を引き受けようとする、皆実さんのメンタリティとは真逆なんだよね。「事実」や「真実」らしきものを突き止めて、「過去」を正せば、世の中も俺の人生も「正常」に戻るはずだという幻想に、清水はずっと囚われていた。
ゆに:皆実さんと護道さんはさ、この後の最終章で41年前の事件の真実を追うことになるけど、仮に「真実」にたどり着いたとしても、別にそれで人生好転しないからね。最後に皆実さんも「我々は何も変わりません」って言ってたと思うんだけど。
ゆうへい:どんだけ辛くても、何も変わらんし、とにかく「生きていく」んだっていう。
ゆに:そう。「生きていく」ことに対する責任。これを誰よりも重く見るっていうのがやっぱ、障害者のメンタリティね。これがヒロイズムの根源にあるものだなって僕は思う。
ゆうへい:過去を、事実を「引き受けて」前に進むっていうことだよね。過去の事実やそれをもとにした物語が間違っていて、そのせいで俺の人生は狂ったんだから、それを正せば本来あるべき俺の人生が「戻ってくる」はずだってのが、バスジャック犯の清水の世界観なんだけど、残念ながらそんなことありえないんですよ…
ゆに:そう、戻ってこない。失われたものは戻らないっていう前提に立てないあたりが、とてもね「真実」を重視している人間の言うこととは思えないわけ。そういうところには真実ってないのよ。
ゆうへい:どんだけ炎上してもね、彼も炎上の被害者なんだけど、今回のバスジャックのときの配信もね、人は「忘れる」んだよね。その瞬間瞬間で面白がったり、あるいは本当に「正義」の執行だと思って書き込んだり叩いたりする人がたくさんいて、でも、人の噂も七十五日じゃないけど、すぐ忘れちゃう。もちろん中にはね、けっこうしっかり覚えてたり、真剣に受け止めたり悩んだりする人もいるにはいるだろうけど、多くは、忘れる。
ゆに:で、それは必ずしも無責任ってことにはならないと思う。つまり「忘れていく」っていうのは、生きていくうえで必要なことなんだよね。
ゆうへい:プラクティカルにね、生きていくうえで「処理」っていうかさ、「忘れる」という人間が持つ機能を使っているに過ぎないとも言える。
ゆに:そうだね。必要だけど正しくはないし、やっぱりそれ(瞬間的な好奇心や正義感)が「集団」で一気に働いた時にはとんでもない暴力になるから、皆実さんや護道さんや僕が重視してる「生きる責任」よりかなり質が劣るものだということははっきり言っておかないといけないけど。
ゆうへい:バスジャック犯の清水拓海も、気の毒な炎上の被害者なんだけど、それと同じ手段で世間に復讐しようとしたってそれは何もならないんだということ。これまでの回でも他の事件で「私刑」を否定していたし、『ラストマン』の脚本と世界観はそのあたりの価値判断が明確だったと思う。
ゆに:それが最終的に「私たちは何も変わりません」っていう、皆実さんと護道さんの「生きる責任」を表す言葉に繋がっていて、すごくいい演出だなと思ったね。
ゆうへい:あとさ、最後に護道さんがホテルに戻るちょっと前にデボラさんと話すシーンもあって、あれも良かったよね。自分と同じく41年前の事件で人生を狂わされた護道さんが警察官になったことを知ったとき、皆実さんはきっと、同じ運命を背負った同志を見つけたような気持ちになったんだろうと。すごく嬉しそうな顔で「人生は素晴らしいですね」って言っていたよって教えてくれて。これ、皆実さんが4話の「奇跡の出会い」で吾妻さんにかけた言葉と同じなんだよね。つらいこと、理不尽なことが人生にはたくさんあるけど、それでも生きていけば、必ず「奇跡」のような出会いが起こる、だから人生は素晴らしいんだっていう皆実さんの世界観、本当に素敵だなと思った。
ゆに:「人生は素晴らしい」っていうのは、僕も常々大事にしようと思っている言葉なんだけど、やっぱり皆実さんに言われると僕でさえちょっと襟元を正される思いがするのよ。結局、護道さんも吾妻さんも、それぞれに「生きる責任」を負おうとしてきた経験があって、それが、皆実さんと「共に生きる責任」、つまり相棒として最後まで見放さない、見捨てないっていう責任をつくっている気もしていて。自分が、自分の人生を生きる責任を負うっていう、この責任感を持っている人同士が、障害があろうとなかろうと、人生を真っ直ぐ生きてきた末に出会って一緒に仕事ができるようになったってことが、本当に素晴らしいことなんだよね。
ゆうへい:うん、うん。本当にそう思う。
今日話した8話が終わったあとの次回予告で「最終章 前編」って書いてたから、9話と10話のあと2話で終わるんだよねきっと。ここまでの8話をかけての積み重ね、同じテーマ、同じメッセージをいろんなエピソードを通して繰り返し表現してきて、最後に主役のバディ2人が腹くくって41年前の事件の真相に挑んでいくぞってなる、この流れが抜群に良かった。あと2話、見届けましょう。
ゆに:見届けます。
前回の記事はこちら:
ことばが「意味」を超えるとき ― 介助とヒーロー #5
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