祖父の病室

関西出張に合わせて休みを取り、母方の祖父の見舞いに行った。神戸で母と合流して車で岡山へ。美作市という、田畑が広がる県北東部の田舎町が母の出身地である。

祖父はここ数年でずいぶんと弱り、入退院を繰り返している。以来、母は働きながら月に2回は岡山に帰り、見舞いに行くという生活を続けているが、私は留学やら仕事やらにかまけてほとんど顔を出していなかった。

強い雨風に降られながら、高速道路を抜け、母の実家近くの小さな病院にたどり着いた。昨年も大きな手術があり、その間は県の中央病院で措置を受けていたが、少し落ち着いてきたため、最近転院してきたそうだ。

地図を読めない母は、「2階」という情報だけを頭に入れて、受付も案内図も無視して上階へと上がっていく。案の定変なところに迷い込む。1階受付まで連れ戻して職員さんに聞くと、祖父の病室は別館にあるらしい。

渡り廊下を渡ってエレベーターで東館の2階へ。1階受付で聞いた番号の部屋にたどり着くと、違う人たちの表札が張ってある。あれれと思ってナースステーションでもう一度聞いてみた。

「あ、今朝、部屋変えたんですよ」

案内された部屋は2人部屋で、祖父のベッドは窓際にあった。

01.jpg

「景色も見えないと飽きるだろうと思って。ここだと電車も通るから。田舎だから1時間に1本ですけどね。」

祖父は眠っていたが、母と私が声をかけると目を覚ました。

母が問う。
「お加減いかがですか?」「みてのとおりじゃわ」
「この子の名前覚えてる?」「ゆ うへい か」「そうそう。孫を久しぶりに連れて来ましたよ」

私も話しかける。
「帰ってきたよ」「いつきたんだ」「今日着いたところ」
「※●※■○んか」「え、なんて?」
発音が不明瞭なのでところどころ聞き取れない。
「くぅあできたんか」「あ、そう、車で来たんよ」

「今度結婚するんよ」「どこのひとなんあ」「東京の人」「いつするんだ」「3月頃かなぁ」「そいたらわしはいかれえんなぁ」
祖父は、もう自宅には帰れないだろうと言われている。
 
 
16時になったので、テレビをつけて水戸黄門を流した。寝たままでも見られるようにテレビは天井から吊り下がっている。枕元にあるイヤホンを引っ張りだして祖父の片耳にはめる。「恐怖!凶賊卍衆」という回。イヤホンが両耳分あれば一緒に視聴することができたのになぁ。

少し遅れて、従兄弟兄弟もやってきた。同じように祖父に話しかける。ほどなくして食事の時間となり、看護師さんがやってきた。

祖父はもう自分で飲み食いをすることはできないので、胃ろうカテーテルで栄養を摂取する。ウィダーインゼリーのようなパックに入った栄養剤を看護師さんが注射器に詰め、それをチューブに指して祖父の胃に流し込む。透明でほとんど水みたいなものや、薄橙色のドロリとしたものなど、何種類かの栄養剤が4回、5回と流し込まれていく。「食事」が終わるとチューブには蓋がされ、脇にある医療台に使用済みの注射器が並び置かれた。一連の動作が実になめらかで、私はしばし見とれていた。

17時が過ぎて、母も夕飯の支度をするというので、祖父とお別れをし、その日は母の実家に泊まった。祖母も、母の兄弟夫婦も、従兄弟兄弟も、その他親戚のおじさんおばさんも、一族郎党がぞろぞろと集まってきた。母の実家は、夕食も宴会もシームレスに続いていくのが特徴で、ちびちびと飲み食いしながらうだうだと夜遅くまで話し続ける。私はだいたい2時間頑張れば良い方で、早々に布団のある居間へと退散してしまう。
 
  
*  
 
翌朝。病院から祖父の意識がなくなったと電話がくる。その後すぐに回復したのだが、母と、従兄弟兄弟家族と揃ってもう一度病院に顔を出す。一日経ってもう一度対面した祖父の顔は、少しくたびれていた様子である。

6人ずらり。みんなが祖父を取り囲んでまた例のごとく「名前覚えとるか?」と聞く。祖父は順番に答える。「僕は?」「じゃあ私は?」スムーズに名前が出てくることもあれば、「なんだったかなぁ」と思い出せないこともある。その時は頭文字を言ってヒントを出す。母が私を指して「じゃあこの人覚えてる?」とまた同じ質問をする。私は答えられても答えられなくてもどちらでも良いと思いながら聞いていた。

名前を尋ねる、というやり取り。放蕩者の私が気まぐれに顔を出した昨日・今日に始まったことではない。ここ数年、母や従兄弟家族は何度も何度も繰り返してきたのだ。その度に祖父は、思い出せたり、出せなかったりしながら、少しずつ、少しずつ弱っていく。

もう家に帰ることも、自力で歩くこともない。
カテーテルで胃に直接「食事」が注入される。
「お茶を飲みてぇなぁ」といっても叶わないから、霧吹きで水を吹き入れる。
時おり痰が詰まって酷く苦しそうに咳き込む。

小康状態はあっても、「良くなる」ことはない。
未来ある私たちが「自己決定」を合言葉に遮二無二走っている世界とは対極の時間が、祖父と、祖父の周りには流れている。

それでも
親族は見舞いに来る度に祖父に名前を尋ねる。
看護師さんは毎日おむつを取り替える。
祖父は、毎日16時には水戸黄門を観る。

続く限りは、同じようなやり取りを繰り返す。