「生きることは表現することそのものだ」と思ったのはいつだっただろうか。表現という切り口で自分を振り返ってみると、その時々の自分が見えてくるように感じる。
J-popバンド・いきものがかりの『YELL』という曲がある。合唱曲にもなっているので、耳にしたことのある人は多いのではないかと思う。
ともに過ごした日々を胸に抱いて 飛び立つよ 独りで 未来の空へ
と締めくくられるその歌詞を、苦い気持ちで聴いていた時期がわたしにはあった。
この曲が発売されたのは2009年のことらしい。しかしわたしの記憶にあるのは、20代の半ば頃、2012年ごろのことだ。当時のわたしは、1年休学して1年留年し、人より2年長くかかってやっと大学を卒業した。23歳になっていた。
自信がなかったわたしは、就職活動をろくに行わず、フリーターとして生きていた。しかも一つの職場に長く勤めることができず、転々としていた。自分に強い不満を抱きつつ、それは自分のせいだと知っていた。その一方で、他人の人生が順風満帆に見え、嫉妬と羨望とでどろどろとした感情を抱いていた。そんな自分が嫌いだった。
当時のわたしは、自分がこうなった起点は思春期にあると考えていた。思春期だった自分に、あの曲に出てくるように孤独と向き合って一歩踏み出す強さがあったのなら、いまわたしはこんなふうにはなっていなかったのではないだろうか。臆病でシャイだった過去の自分を心の中でなじって生きていた。
今でこそわたしは文章を書いて自己表現をする。書くことが好きだから、趣味で定期的に書いている。一部、書くことを仕事にすることもできている。書くことに限らず、「やりたい」と思ったことを行動に移すことを躊躇しない。
しかし、かつてのわたしは自分を表現することが苦手だった。たとえば、体育の授業でからだを動かすことが恥ずかしい、球技の時間にゴールへ向けてシュートすることが恥ずかしい。自意識過剰で、全身が脳みそでできているようだった。心の中にある「やりたい気持ち」を形にして外に出すことが恥ずかしかった。それは「怖さ」だったのかもしれない。同年齢の人たちと横一列に並んだ状態から飛び出ることへの恐怖や、失敗を極端に恐れる気持ちがそうさせていたのかもしれない。
しかし、それを自覚することから始めて、少しずつ表現することができるようになってきた。2016年に読書会を始めたこともその一つだ。では、なぜそれができるようになったのか。答えはシンプルだ。こう書くとまるで自己啓発本みたいだけれど、「好き」が上回ったからだと思う。「好き」「やりたい」が失敗を恐れる気持ちを超えた瞬間、恥ずかしさは吹っ飛んだ。それには、生きていく中で選択肢が狭まり、大事にしたいものが明確になったことも関係していると思う。表現の道のりは、わたしという人間のアイデンティティ確立の道のりでもあった。
今もわたしは表現方法に偏りのある不器用な人間だ。文章を書くことは好きだけれど、絵は上手ではないし、からだで何かを表現するなんてもってのほかだ。外見を意識することも苦手だ。だけれど、自分に向いている表現方法を試行錯誤していくことで、まさに「自分は生きている」ということを実感している。
恥ずかしさは表現の敵であるのかもしれない。厄介だけれど、そこを超える瞬間が来る。少なくともわたしはそうだった。その瞬間から自分が精神的に自由を得たように感じている。
恥ずかしさというバリアを超えていく人たちに、心からエールを送りたい。