恵まれていることが、ずっと恥ずかしかった。
父は国家公務員で母は専業主婦。家は一軒家でローンもなし。一人っ子、8畳の自室。
経済的に恵まれている家庭だった。決してお金持ちではなかったけれど、比較的裕福に暮らしたと思う。何かを買えなくて悲しかった記憶はない。
7歳のとき、父が急死した。私の七五三を終えた翌朝、出勤中に対向車との正面衝突。相手と話ができたようだから即死ではなかったようだけど、運び込まれた病院に母が駆け付けたときにはもう息を引き取っていたらしい。
母は更年期障害がひどくなり、寝込んでいることも多くなった。
それでも、近所には叔母の家族がいて、10歳以上年上のいとこたちがいた。私は一人っ子だけど、いとこたちのおさがりをもらっていた。おさがりが大好きだった。今でも私は、いとこが学生時代に持っていただろう定規を使っている。
ご近所さんも優しかった。白髪を上品にまとめたおばあちゃんは、なにかと私に人形をくれた。裏に住んでいる奥さんは、私を見かけると声をかけてくれた。私の家は元々この地区のリーダー的存在だった祖母が営んでいた店の土地に建っていて、母も私もご近所さんとは仲よくできる雰囲気があった。
寂しくなかった。みんながいたから。
それなのに、病気になった。
小学5年生のころから、学校でうまく振舞えなくなった。いつも喧嘩腰だったし、男の子たちと殴り合ったり、教室を飛び出したりしていた。
中学生になって、心療内科に通い始めた。学校に遅れていく日が続いた。
最初に入学した高校は9日足らずで行けなくなった。どんどん崩れていった。夜中に遊びに行ったり、大人の男性と関わりをもったり。編入した単位制高校はなんとか卒業させてもらったけど、結構忖度してもらったような気がしている。
恵まれていたのに、周りの人に大切にしてもらったのに。
私は病気になってしまった。それが恥ずかしい。
私より大変な状況で生きている人など山のようにいるだろうに。
自分の軟弱さが恥ずかしい。
もちろん、病気を発症することそれ自体は恥ずかしいことではない。全然ない。
私が「恥ずかしい」と思うのは、「申し訳ない」と同義だった。
恥って、申し訳なさだ。
私の周りの人たちはみんな優しい。昔も今も、ずっと優しい。
その優しさを受けたなら、私には健やかに育つ義務があったのだ、と思ってしまう。
だいたい、私は父が死んだのは自分のせいだと思っている。小さいころからずっと。
論理的に正しくない思考だとは分かっていた。私が生まれてきたことと父が事故死したことには、何の因果関係もない。
幼少期に強烈に感じてきたことはその後も大きな影響を及ぼすのだな、と思う。
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安藤裕子の「のうぜんかつら」は、夫を亡くした女の人の歌だ。
日本酒「月桂冠」のCMに使われていた曲。
昔見つけた唄は 赤い花の道を
二人がいつだって手と手を取り合って 並んで歩くのよ
私も二人みたいに あなたと並んで いつまでも道を行けると思ってた
私がいなかったら、母は父と一緒に赤い花の道を歩けていたんじゃないの?
私は母から、父と2人で並んで歩く道を奪ってしまったんじゃないの?
ノウゼンカズラは、赤っぽいオレンジ色の花を咲かせるつる植物。
今更恥ずかしい気持ちを捨てられないし、逃れようとは思えないけれど、骨につるを巻きつかせて生きていこうと思っている。絞め殺されたならそれは、それなのです。