パンデミック下の繁華街 - 令和タクドラ日記 第3回

「川崎がゴーストタウンになっている」

「鶴見もひどい。出張する会社員がいなくなって、ビジネスホテルは空室だらけだ」

「横浜の伊勢佐木町は空車のタクシーが列をなしている」

「キャバ嬢がタクシーに乗らなくなった。どこに行ったんだ」

横浜と川崎のタクシードライバーは、変わり果てた街の様子に言葉を失っていた。

ベテランの先輩は、新人のぼくにこう言った。

「リーマンショックのときもタクシー不況はひどかった。でも今回は、それ以上にひどい。こんなひどい不況は初めて。俺は、走るのをやめて、長期休暇の申請を会社に出した。年寄りが家にいるから、俺が感染したら、家族全員が感染する。死にたくないからな」

子どもが小学生のタクドラは「タクシーを辞めて、前の仕事に戻る。もうだめだ。これじゃあ、喰っていけない」と言って去っていった。

入社して1年もたたないのに、営業成績がいつもベスト10の優秀なタクドラも、緊急事態宣言が出て、2ヶ月後に辞めた。

「あれ、彼はどうしたの。最近、顔を見てないけど」

会社の喫煙スペースでそう言うと、

「辞めたんだよ。喰っていけないから、って」

彼と親しかったタクドラは、そう答えた。

この道30年のベテランは、

「どうしようもない。我慢するしかない。いまさら他の仕事には就けないからな。七海はどうする?」

「こんな経験は一生に一度なので、全部見て、体験したいですね」

「それもいいかもな」

煙草をやめた先輩は、缶コーヒーBOSSを飲み干して、ジャパンタクシーに乗り込んで出ていった。

2020年2月。新型コロナウイルス感染で注目されたダイヤモンドプリンセス号は、横浜市の大黒ふ頭にまだ停泊していた。豪華客船は密閉された空間だ。感染者と未感染者が混在して長く暮らしていれば、感染は広がるばかりだった。マスコミは、その当たり前の事実を、さも大きなニュースであるかのように連日報じていた。

僕の所属する「横崎タクシー」は、下船する乗客を目的地まで送り届ける仕事も請け負った。乗客のなかから、PCR検査で陰性だった人間だけが、下船を許された。前回は医療看護スタッフの送迎だったが、そんなに依頼があるわけではない。

PCR検査で陰性だったら、新型コロナウイルスの感染リスクはゼロなのか。そんなことはない。リスクはあるけれども、この乗客をいつまでもダイヤモンドプリンセス号に留めておくことはできない。ダイヤモンドには、さまざまな国籍の人が乗船している。海外から日本政府の対応に批判が出ていた。隔離はしているけれども、いつ自由になるのか分からない。人権侵害だ、と。もっともな反応だ。

タクシードライバーは感染者数の増加に興味はない。豪華客船の乗客はお金持ちである。この人たちが下船したとき、必ず羽田空港、成田空港、新幹線が停車するJR駅に向かう。移動の手段はタクシー以外にあり得ない。タクドラとしては稼ぐチャンスだ。どのタイミングで乗客たちが下船するのか。関心はそれだけだった。

2020年2月##日。正午ころ。横浜市の大黒ふ頭に到着した。前に医療看護のスタッフを送迎したときと、様子が違っていた。大型バス、タクシーで広大な埠頭がごった返していた。交通整理の警備員も増えている。

横崎タクシーからは4台の出動。神奈川県内の他社のタクシーも停車している。交通整理担当が、テキパキと下船客をタクシーに乗せている。

1時間以上待機した後、乗り込んできたのは中国人2人。行き先は羽田空港。大きな旅行鞄を2つ、トランクに乗せて走り出した。前方には、十数台のタクシー。後ろにはダイヤモンドプリンセス号。埠頭を出るまで、車列ができた。雲ひとつない快晴だ。大黒ふ頭から首都高に乗って、羽田空港に向かった。二人の中国人は僕にはわからない中国語で会話している。横浜は港町である。外国人客を乗せることは当たり前だが、今回のような乗客はおそらく最初で最後になるだろう。

羽田空港国際線ターミナルに到着。トランクから旅行鞄を出すトランクサービスをする。お客さんには、サンキューベリーマッチ、そして、謝謝(シェイシェイ)、と声をかけた。

長旅、そして長い停留で疲れた様子の中国人は頷いた。

2020年4月##日。神奈川県に緊急事態宣言が出た。

ダイヤモンドプリンセス号の騒動が日本中のメディアで報道された頃から、街に出る人が少なくなっていた。緊急事態宣言に対応するために、大手企業がリモートワークに切り替えた。飲食店への厳しい営業時間制約、アルコール提供の自粛要請が始まった。ゆっくり、そして確実に、営業収入が落ちていく。

4月11日の乗務で、川崎の街を走った。

15号線にほとんど車が走っていない。川崎駅の繁華街も人がまばらになっている。

道が空いていると、無意識のうちにアクセルを踏んでしまう。速度計を目視して、制限速度を守る。道が空いていれば、速度超過で違反キップを切る警察がかならず取り締まりをする。神奈川県警のパトカーがいつもよりも目立つ。とくに繁華街では、赤色回転灯をつけたパトカーが停車している。夜になるとその回転灯は、飲食店に入店するなよ、という威圧行動に見える。飲食店に客を誘う黒服たちは、パトカーの横で、仕事にならない、とあきらめ顔で、煙草を吹かしたり、スマホをいじったりしていた。これは国家権力による営業妨害だな、と流しながら感じた。

競輪場、競馬場も営業を止めた。合法的なギャンブルを楽しみにしていた男たちは、街から消えた。風俗店があつまっている堀之内も客足がとまった。

京浜工業地帯最大の繁華街、川崎が、ゴーストタウンになるなんて。

新型コロナウイルスによる緊急事態宣言の効果に驚くばかりだった。

川崎は、仕事をもとめる労働者が日本中から、そして外国からもやってくる活気に満ちた街。川崎駅を歩くと、日本人にみえない肌の色、容貌の老若男女が、川崎市民として暮らしていることが分かる。国際都市でもあるのだ。

それが過疎の町の商店街のようにひっそりと静かになった。

川崎でいちばんの繁華街、砂子通りを流す。

いつもの金曜の夜ならば、楽しげに歩く通行人で溢れている。

赤提灯は、灯りを消した。外食チェーンの店舗は看板の電気を止めた。ネオンでまぶしかった夜の街が、暗くなった。

神奈川の隣、東京はどうなっていたのか。

東京のタクシードライバーは、日本で一番稼げることで有名だ。頑張れば手取り月収40万円は可能。その東京のタクシー会社が、どんどん倒産、廃業になっていく。タクシー業界の情報は、タクドラ同士の噂話、TwitterなどのSNSですぐに入手可能だ。健全経営で知られるタクシー会社が、大手に身売りした。もともと高齢者ばかりのタクシー業界。コロナ禍を機会に廃業する会社も出てきた。

街がゴーストタウンになり、人出が激減したら、タクシー会社は倒産する。街の活気こそが、タクシー会社が仕事を続けられる源泉なのだ。

「横崎タクシー」も、急激な売上低迷にあえいでいた。運行管理と社長の顔つきがこわばっている。

「こんな状況だから、売上げは気にせず。安全運転を徹底してください」

朝礼は、こんな言葉に変わった。

タクシードライバーは、転職した人間ばかりである。なかには、元社長、飲食店などの店長経験者もいる。したがって自分だけの稼ぎだけでなく、所属している会社の経営状態にも敏感だ。

「この会社もやばいぞ。総売上の数字をみていたら、資金ショートは近い」

「どうする」

「俺は残る。持病があるから、他のタクシー会社にうつれないし、いまさら転職は無理だ」

「俺も同じだ」

ベテランのタクドラは、その不安を打ち消すように、こう言った。

「いまはしんどいけど、かならず、よくなる。それまでは辛抱だ」

男たちは、缶コーヒーを飲み、煙草を吸った。

ため息をごまかすために、僕たちは煙を吐いた。