後部座席の攻防、夜職女性の知恵 - 令和タクドラ日記 第6回

「オシッコしたい!!」

「このタクシー、止めて!!」

「コンビニに行くから!!」

「ちょっと触んないでよ!!!」

夜に男女のカップルを乗せると、後部座席から女の声がきこえる。

また「あれ」がはじまったようだ。やれやれ。

はじめて見聞きしたときは、その意味がわからなかったが、今では夜の街のお約束だと理解している。

―――

川崎駅ちかくの路地で手が上がった。水商売の女性ひとり、男性はその客だろう。若い女性、その服装とメイクから観察すると、キャバ嬢だろう、と思った。

二人は、これから二軒目の店に行こうとしているようだ。水商売のことはよく分からないが、彼女が働く店で飲んだ男がいい気分になって、女性を同伴してタクシーに乗り込んだのだろう。

ふたりは雑談をしている。

男性が、あの店は楽しかった、次は、後輩のあいつを連れて行く、と話している。

女は、「その店の先輩がすごくいい人」で、「店長もいい人」で、「とても繁盛している店で、働いていると楽しい」というようなことをしゃべって、男に「また来てね」と話していた。

営業トークだ。営業マンあがりの僕は、その滑らかな営業トークを聞きながら、国道15号線を西に向かっている。「とりあえず、まっすぐ」という指示に従っているだけだ。それ以上の指示は、いまのところ、ない。

「ちょっとやめてよ!!」

女が声を上げた。

男は「ええええ???」とふざけた様子の声で応じた。

女性の手を握ったか、太ももに手を触れたか、下半身に手を伸ばしたか。

ハンドルを握りながら、男の手の動きを想像する。

「私、さっきからおしっこが漏れそうなの。触らないでね。本当にやばいんだから」

「え??マジ??」

男が手を引っ込めたようだ。女は男から身体を離す。ルームミラーで後部座席を確認すると女が男から50センチくらい離れたのが分かった。

女はスマホをいじりながら「おしっこしたい!!!」とキンキン声で騒ぐ。LINE電話で、友人にメッセージを送っているようだ。

「運転手さん、テキトーなところで止めてください」

「はい。わかりました」

「マジかよ。いま渋滞してるけど」と男。

その通り、午後6時の国道15号線は、仕事帰りの自動車、バイクでひしめき合っている。次の信号まで50メートルはある。車の混み具合を考えると、信号の交差点まで5分はかかるだろう。

「ヤバイヤバイヤバイ。オシッコ、出そう」

女の声のトーンはさらに上がった。

男はしらけている。

渋滞による停車が3分くらい経った。

「出まーす。運転手さん、ドア開けて」と女の声。

ドアを開けると、女は勢いよくタクシーから飛び出していった。小走りである。尿意が限界ならば、ありえないスピードである。

男は、千円札2枚を置いて、おつりを受け取ると、女を追いかけていった。

「ちょっと待ってよ」

女が駆け出した先にはセブンイレブン。男は、その背後を歩いている。

二人の背中を見て、「本当におしっこしたかったのかな?」と首をかしげた。

男が女の身体に手をかけた瞬間に、女は尿意をもよおしている。不自然だ。

数週間後、同じような感じの男女のカップルを乗せた。夜の9時くらいだ。男は酔っていた。女は、新人の女の子の接客態度がいまいちなのでいろいろ助けてあげている、と話している。まじめな女だ、と思った。

ハンドルを握って指定の道を走っていると、後部座席から「おしっこしたい!!!運転手さん、どこかコンビニを見つけたら止めてください」と女の声が聞こえてきた。

前に同じ状況を経験したことを思い出す。これは女が、セクハラから逃げるためのテクニックなのだ、と気づいた。

タクシーのような密室だと、酔った男が、女に欲情して身体を触ってくる。水商売の女性は、これをかわすために、おしっこ、トイレ行きたい、コンビニに行くから止めて、と騒ぐ。

このやりとりはタクシー車内に取り付けられたドラレコに全て記録される。

タクシードライバーも聞いている。この状況で男は無理やり行動できなくなる。

女は時間を稼いで、車外に出て、安全地帯に避難する。見知らぬ土地でも、安全が確保できる場所はコンビニのトイレである。しかも、コンビニには監視カメラが設置されている。万が一のときも証拠は残る。

おそらくこのテクニックは、夜の街で働く女性たちの間で伝承されている。

男たちも、そのテクニックを知っている。お互いに演技をしているのだ。

タクシードライバーとしては、性犯罪の現場にならず、料金を受け取れるのであれば、後部座席で男女がトラブルになっても気にしない。本当にトラブルが発生したら、警察署に向かうだけだ。それでもトラブルが収まらないときは、車両を止めてタクシー車両から脱出する。

タクドラは、傍観者としてハンドルを握って走り続ける。