そーまさんとの邂逅

閒の友人、そーまさんと会った。

そーまさんが京都旅行に来るというので、お互いの体調が許せば会いましょうと約束して、それが叶ったという形だ。

結婚してから、新しい友人と出会うのはこれが2人目で、両方とも閒の仲間だった。


私はパニック発作を持っているから、できれば家で過ごしたいと話すと、そーまさんは快くOKしてくれた。


久しぶりの友人との時間を楽しみに、私は本当に久しぶりに化粧をした。楽しみにしすぎて、そして緊張もしていて、会う直前には家で発作を起こすほどだった。


玄関のチャイムが鳴って、家に入ってきたそーまさんのファーストインプレッションは「なんだか旅人みたいだなぁ」というものだった。そーまさんはスナフキンみたいな帽子をかぶって、北欧系の生地を使ったような薄いコートを着ていた。

夫も一緒に出迎え、ダイニングに招いて冷えた水をお出しし、お昼ご飯をご馳走すると言っていたので、ソファにうつって一緒に何を頼むか考える。そーまさんは焼肉弁当を選んだ。そしてダイニングに戻ると、そーまさんとの「おはなし」が始まった。


「おはなし」は様々な範囲の事柄に及んだ。今日そーまさんが行ってきた現代美術の展覧会と、なぜ現代美術に惹かれるかについて。お互いの病気について。そーまさんの来歴について。仏像に惹かれることについて。SNSと経済活動の連関について。思想や芸術と資本主義の結びつきについて。エトセトラエトセトラ……。

私はたまに質問や相槌を入れながら、こんなに色んなことをすらすらと口にできるそーまさんにひどく驚いた。そーまさんのターンで話がまわっている、感じた。そして少し恐縮しながら、こんな質問をした。

「そーまさんは私に、何か聞きたいことはありますか?」

するとそーまさんは少し困ったような顔をして、

「ぼくは普段人と話すときは、初めは自分が話をするんだけれど、あとからは聞き役になることが多いんです」とだけ答えた。


そこで私は、最近私のホットトピックである宗教について話した。キリスト教との出会いの前にあった、仏教との出会いについて。親族の死について。そしてキリスト教と私について。私の来歴のようなものを、ディテールは省きながらも説明していたら、予定していた時間いっぱいで、ちょうど「こういうわけで、今キリスト教について考えているんです」という話に落ち着いた。最後の方は私が腕時計を見ながら、「まだ時間大丈夫ですかね?」と尋ねつつ話を進めるほど、話は盛り上がった。


そーまさんは無類のコーヒー好きだと前から知っていたので、舌が肥えているだろうと思い、少し戸惑ったのだが、食後にブレンディのスティックタイプのカフェオレを出した。そーまさんは「猫舌なんで」と笑いながら、私が出したカフェオレをにこにこしながら飲んでくれた。

最後にそーまさんがご友人とつくられたZINEを私が買い、さよなら、京都に来たときはまた会いましょうと言ってそーまさんとは別れた。


とてもいい時間だった。引き続き良い旅を。