18 梅雨の合間に

 梅雨がきた。

 忙しさにかまけて「雨だから」と言い訳し、2週間ほどぶりに畑へ行くと、草のジャングル、虫たちのベッドタウンと化していた。オクラの背丈は草に埋もれて見えず、草の中を探ると、虫にやられて壊滅的になった葉が出てきた。それでも生きている。花のつぼみがついている。

 今年はとにかくミニトマトが元気だ。息子の背丈を超すほどの高さがあり、横にも野放図に伸び、たくさんの実をつけている。対してキュウリはあまり元気がない。まだ苗が小さい頃に虫がついていたことが災いしているのだろうか。

 草刈りをしながら、日高敏隆「里山物語」を思い出す。里山とは、「もともとの自然の中に人間が入っていき、木を切ったり、草を刈ったり、いろいろな働きかけをしていることによって生まれたもの」で、人が入って働きかけることをやめれば、「たちまちにして里山の『荒廃』が起こる。」

 畑は人間であるわたしが耕し、苗を植えているので「もともとの」自然ではないのだけれど、「働きかけ」をさぼると「荒廃」するという点で里山と同じだ。人間はこうして植物に手を入れることで、自然とともに生きてきたのだなと実感する。6月は雨の合間にほんの数回しか畑に行かなかった。今も一週間ほど行っていないので、いったい畑はどうなっていることだろう。少し恐ろしいほどだ。

 前に行ったとき、畑のある市民農園から少し離れた農道に車を停めて、降りたら、息子が「ママ、見て」と指さした。空を見上げると、たくさんのひこうき雲。晴れた空に白い線がにじんでゆく。この空を見るために、畑に通っている側面も大きい。次晴れたなら、きっと畑へゆこう。