自然は、待ってくれない。
雨が続いて、3~4日畑に行かないでいると、もうオクラがたくさん育ちすぎている。一度はあまりにも育ちすぎて、包丁が入らないほど硬く筋張ってしまっていたので、友人のカメにあげた。おいしそうにバリバリと食べていたという。
私がオクラやほかの野菜を収穫し、草刈りしている間、息子は市民農園内をうろちょろする。近くに戻ってきた時に、「何しちょったと?」と尋ねると、「トノサマバッタさがしちょったと」とのこと。虫網を持っている日もあれば、素手で捕まえているときもある。まさに野生児だ。息子は畑のおばちゃんたちにいつも優しくされている。
畑の人たちはみんな優しい。ある日もう帰ろうと思って、隣の畑の人に「お先に失礼します」と声をかけると、「ゴーヤいりませんか」と立派なのを2本くださった。いつも顔を合わせている人からの突然の申し出に、自然と笑みがこぼれる。
畑を介した交流はベタベタしたものがない。それでいて、自然と贈り合いが生まれるからおもしろい。もらったゴーヤのうち1本は、実家にお裾分けした。
市民農園の周りは、見渡す限り田んぼが広がっている。7月上旬、近くの田んぼで田植え(手植え)している人たちがいて、よく見ると、知り合いだった。田植えはヒルが出るから苦手なのだけれど、いつか稲も育ててみたい。青田も稲穂も美しいから、きっと感動するんだろう。
今の畑でも感動することはたくさんある。
たとえばこれはオクラの花の蕾と実の赤ちゃん。自然が織りなす、緑と白のグラデーションに胸を打たれる。オクラの花の蕾は白いのだが、それを支えるガクは薄緑色をしている。実の赤ちゃんはガクより少し緑が濃い浅緑色だ。夏真っ盛りなのに、ここだけはまだ春のような、芽吹きの空間である。その周りの葉はさらに青みの増した青柳色だ。葉は外側に行くにつれて緑が濃くなり、深碧色になっていく。
それから食用ウコン。竹の葉が巨大化したようなウコンの葉を手繰り寄せると、根元に咲く白い花が見つかる。花を包む大きな淡緑色の葉が幾重かに重なり合い、空に向かって徐々に白色を帯びて広がる。花を包む葉と葉の間には淡い黄色の花が開く。夕方の終わりごろ、夜が始まる頃に、薄暗い中で見ると、その白さがぼーっと光って、まるで妖精が鎮座しているかのような、幻想的な風景を見ることができる。
あるいは夏の薄紅藤色の夕焼け。畑仕事を終えて帰ろうと空を見上げると、山の上の上空が、紫がかったピンク色になっている。一歩進めるごとに色が濃くなって、車に着いて荷物を詰め込み終わってふと見上げると、もう消えていた。
自然は、待ってくれない。