「我が国には宴席での振る舞いによって人間力がジャッジされるという慣習があって、そのひとつがいわゆる『唐揚げレモン問題』というのだけど、周りの人間に断る前に勝手にレモンを絞って唐揚げにかけるようなやつはけしからんと、レモンが苦手な者もいるかもしれないから配慮せよと、そういうわけだ。あ、かけていい?」
「いいよ」
彼はそう断るや否やレモンをギュッと絞りながら卓上の軟骨唐揚げに回しかける。一つ、二つと口に放りこむとほぼ同時に次の言葉を繋ぐ。
「俺、今まで生きてきてレモンかけちゃダメなケースに出会ったことがないのだけど、まぁでもその気遣い自体は分からんでもない。でね、」
息継ぎと箸の伸びるのがほぼ同時で、次の瞬間には三つ目の軟骨が口の中に吸い込まれる。
「俺はこの『唐揚げレモン問題』を聞くとさ、人間社会の査定制度よりも、絞られなかったレモンの人生を考えちゃうわけ。使われることなく皿の片隅に佇むレモン君の心境やいかに。調理場に連れ帰られた後の処遇はいかに。しれっと別の皿で再登板させてもらうのか、千切りキャベツ君と共にダストシュートか。店舗裏ゴミ捨て置き場に出され、運良く路上びとやお犬さまに拾われるのか。あるいは『酢豚のパイナップル問題』でも良い。弾かれたパイナップル君の顛末やいかに!」
この人は私と会うとき、ぼんやり無口な日と妙に饒舌な日がある。今日は後者。
「でさ」
「うん」
息継ぎ代わりにハイボールを流し込んで、彼はまた話を続ける。
「だいたい俺はそんな風にして思考が飛び散って、起こりもしない無数のif(イフ)に気を取られるうちに、目の前の現実を置き去りにしてしまうんだな。レモンの人生を気にしている間に美味しい唐揚げをすっかり冷ましちゃうの」
案の定。自分の内側にモヤが溜まったとき、それをまっすぐに吐き出す術を知らないから、おどけた小話で弾みをつける。
「色々なものを捨てたくないと思って全部一度に考えようとするでしょ。でも、身体は一つだし、時間は有限だから間に合わないわけです。ダストシュートまでレモンを追っかけて救ってやれるはずもない。だから世間の人たちは、だいたい適当なところで折り合いを付けて、自分が考えて向き合うのはここからここまでって、うまく線引きして生きてるみたいなんだけど、それに気がつくのに自分はずいぶん時間がかかった」
「まぁ、簡単に切り捨てないのがあなたの良いところだとも思うけど。で、『気づいた』ってことは、何か変わったの?」
「別に性格とか考え方が大きく変わってってわけじゃないけど、とにかく、決めるってことなんだな、大事なのは」
「へぇ」
「自分にとって、レモンの切れ端と唐揚げと、どっちが大事かってことを考えなきゃならないんだ。たくさんのレモンを追いかけてる間に、一つしかない唐揚げを他人に取られちゃったり、レモンを絞っても全然美味しくないぐらいに冷めちゃったらどうしようもないんだなって」
そこまで話してスッキリしたのか、彼は残りのハイボールを飲み干して、壁に掛かったお品書きの群れに視線を移し、そのままぼんやり無口になった。
今日のこの話は、いったい誰との関係においてのことなのか。肝心なことはいつも言わないまま、勝手に悩んで勝手に吐き出して、勝手に満足するのがこの男だ。
聞かない私は、自分が絞られないレモンの方だということを知っている。