生きてきた中で、笑うことのできなかった瞬間を思い出す。
高校生の頃、はじめて漫才を見た。確かお笑いが好きな友人宅のリビングで、「M-1グランプリ」のDVDを見たと記憶している。どのコンビの漫才を見たのかは覚えていない。年代的に、フットボールアワーやアンタッチャブルのような気がするが、当時私は漫才師のコンビ名を知らなかった。幼い頃から見る番組は親が選び、バラエティー番組は「くだらないもの」として見せてもらえないものが多かったのだ。
はじめての漫才鑑賞体験は衝撃だった。漫才師は二人がそれぞれ動き、高速でしゃべる。表情も話に合わせて逐一変わる。情報量が多すぎて、どこに目をやっていいのか分からない。話が高速で展開するので、とにかくそれについていくのに必死だった。もちろんクスッともできない。一つの漫才が終わり、「疲れたな」と息をついた私の隣で、友人は腹を抱えて笑っていた。
「テレビを見られない」ことは、学校で友だちの話についていけないことを意味した。学校でクラスのみんながどっと笑うのを、ひとり何がおもしろいのか分からない場面が多々あった。先生の言ったことに対して、ひょうきん者のクラスメイトがおどけて何か言う。クラスはどっと湧くが、私は何が起こったのか分からない。どうやら昨日放送されたテレビ番組を真似しているらしい、ということは分かる。そんなことが日常茶飯事だった。
笑うということは共通の文脈を必要とするのではないだろうか。同時代に生きていて、同じテレビ番組を見た経験があるということは、笑いを共有できることにつながる。対して、現在のように、みんながみんな同じものを見る時代でなくなった今は、笑いを共有できることは減っていたりしないのだろうか。クラスでみんながどっと笑う瞬間が昔と比べて変わってきていたりするのかもしれない。
ところでお笑いといえば、思い出すことがある。私は18歳のときに地元である宮崎を離れ、大阪に移り住んだ。大阪出身の人と話していて、驚いた。宮崎では会話が単なる「報告」で成り立つ。たとえば、「昨日〇〇したとよ」「そうやっちゃ~」。そういうやり取りが無限に続く。それが通常の会話だと思って18年間生きてきた。しかしその人は、私が「報告」をすると、ふむふむと聞いて、最後に「で?」と聞いたのだ。私の脳内は硬直した。「『で?』とは……?」である。要するにオチを求められたのだと気づくのにも時間を要した。そのときはじめて、ここでは日常会話にもオチを求められること、日常にお笑いの文化が根づいていて、それまで私が生きてきた宮崎とは異世界であると気づいた。まさにカルチャーショックだった。会話にもオチが求められるとなると、うかつに人と話せない。私はしばらくまともに言葉を発せなくなった。そんな大阪での日々は生きづらかったのは言うまでもない。
一方でテキストで大阪の文化を学ぶことはおもしろいことだった。中でも私は田辺聖子を愛して読んだ。エッセイや小説をたくさん、ほんとうにたくさん読んだ。最も興味を惹かれたのは、大阪弁には「ワヤやな」といって、自らをおかしがる言葉があることだ。
田辺聖子のエッセイ本『大阪弁ちゃらんぽらん』の章「『あかん』と『わや』」には次のように書いてある。
「あかん」と「わや」の差異はどこにあるかというと、私の思うに、主観的発想と、客観的発想のちがいではないか。
「ワテ、もう、あかん……」
と破産や瀕死の人はつぶやくが、これが、
「もう、ワヤですわ」
というとヒトゴトのように聞え、おかしい。そして、まだ立ち直れる余裕があることを示す。少なくとも、精神的にはその人はもう危機を脱した、というか、一段次元のたかいところから、ワヤな状況を見おろして、われとわが身を感心してる、というおかしみがある。
当時、何かしら物事をまじめに考え、悲観的に捉えがちで鬱々と沈んでいた私は、この考え方にハッとし、ずいぶんと救われたものだ。これをはじめて読んだのはもう十数年前になるが、今もときどき思い出す。
そういえば最近こんなことがあった。
ただでさえ忙しい朝のことだ。朝食をとり、食器を引いて片づけながら「保育園かばんの準備は終わったかしら」と思い、子ども部屋をのぞいた。しかし子どもの姿が見当たらない。ふと見やると、カーテンが揺れている。ベランダへ出る窓が開いているようだ。何事かとのぞくと、5才の子どもがそこで放尿していた。
それを見た瞬間、私は驚くと同時に呆れ果てた。トイレがあるのに、なぜこの子はここで用を足しているのだろう。しかもこんな寒い日に、わざわざ。思わず子どもをきつく叱った。しかし後で考えればこんなときこそ「ワヤやな」である。後になればおかしい。客観的に見る余裕ができているからだろう。
考えてみれば、子育ては「ワヤやな」の連続だ。ほかの子はどうか分からないが、うちの子は思いもよらないことをしばしばしでかす。いちいち感情的になっていてもしょうがない。そういうときこそ自らの状況を客観的に見てヒトゴトのようにおかしがること。子どもにベランダで小便されようと、それで驚いてイライラしそうになろうと、そこでふっと力を抜いて自分で自分を笑うこと。それは余白を持って生きるということだと思う。そうすることで、子どもに対する声かけもきっと変わってくるだろう。きつく叱るだけでなく、ユーモアを持って接することだってできるかもしれない。
みんなと同じ文脈を兼ね備えた笑いにはいまだに苦手意識のある私だが、どんなことが起きても「ワヤやな」と笑うしなやかさを携えて生きたい。