「装うことについて」リレーエッセイ
「装うことについて」というお題だけを共有して、複数人の書き手がそれぞれに綴ります。
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突然だが、僕は初対面同士の人間の間に醸し出される、あのよそよそしい感じが苦手だ。相手がよそよそしい空気を出してくるとそわそわして落ちつなかいし、たがいに後出しジャンケンしたがるような探り合いの時間も好きじゃない。よそよそしい雰囲気を感じると、笑顔と適当な話題で自分から積極的にブレイクしに行くよう心がけている。というか、自然にそうしてしまう。
装うことを軽視するわけでも厭うわけでもなく、時と場面に応じた装いをそれなりに楽しむ方ではあるのだが、実際のところ、日々の装いはどんどん省エネで変化の少ない方向へと収斂していっている。
衣服というのは装置だなと思う。だぼっとした服を着れば自然とリラックスした、もしくはだらしない気分になるし、かちっとしたジャケットやコートを羽織れば気持ちも引き締まる。そういう話は多くの人が経験あるだろう。世界があって、それをどう「視る/視ている」かを伝える時、人は写真を撮ったりする。
私はアイドルが好きだ。特にジャニーズが好きで、詳しいわけではないけれど女性アイドルも好き。二次元アイドルは男女共に追いかけているアイドルがいる。
人は誰のために装うのだろうか。この問いを道行く人に問いかけたなら、「自分のため」「他者のため」と答えが分かれるかもしれない。しかし果たしてそれは、二つの別の目的として完全に分けられるものなのだろうか。
年を重ね、装うことに対して無頓着になった。前は違ったのに。かつては、ほかの人の目線を意識し、自分をより素敵に見せることを私なりに楽しんでいた。でも今は違う。気づいたら地味な服ばかり着ている。子育てがはじまってからは特にだ。