1月16日(月)
第二子産まれての翌朝、ここから約1週間は上のムスメと2人でお留守番。無事寝坊せず起きて朝食つくってムスメを起こす。赤ちゃんの写真を見せたり、土曜が退院、木金ぐらいにばあばあと見舞い行けることや、留守番中はママとビデオ通話できるよなどと伝えたが、まぁ寝起きなので、反応は普通っていうか、「うん」って感じであった。園バスの時間ギリギリにどたどたと家を出て、ばいばーいって見送って、家に帰ってふう、と一息。友人の調べ物の付き合いで国会図書館に行く約束をしていたので永田町に向かう。
友人からは日を改めようかと気遣いの連絡をもらうが、感染対策のため面会は入院中1度のみ、ガラス越し、予約制・人数上限ありということで、翌日すぐに見舞いに行くこともできず、産まれたは産まれたのだが、平日日中はまぁ特にいつもと変わらずっていう感じなので、予定通り決行。当の友人が案の定寝坊して遅刻するというので、先に到着して館内端末で下調べ代行。デジタルアーカイブが予想以上に充実していて驚いた。閲覧や複写申請もけっこうスムーズ。今度また自分が調べ物したいときにも来よう。館内カフェでカツカレーを食べる。けっこうボリューミーでお腹いっぱい。
少し余裕を持って帰宅し、在庫を確認してお迎え前に東急で買い物。晩ごはんのメニュー何にしようかなと一瞬考えたが、ここで変に凝って認知・作業コストかけて疲れるのもよくない、栄養も取れるし、人類が発明したインド発の万能食・カレーでいいや。
第二子が産まれた旨、しばらくママがいない生活なのでもしかしたら気持ちが不安定になるかもしれず、気にかけていただければ的なことを園の連絡帳に一応書いておいたのだが、特段変わりなく、ご機嫌で過ごしていたようだ。カレー食べながらツマとLINEビデオ通話を繋いで少し話す。夕食、風呂、寝かしつけ。効用時間を考えると別に大丈夫なのはわかっているのだが、自分1人だけなので万が一寝過ごすと大変だとなんとなく心配で、眠剤を飲まずに寝た。やはり2,3度中途覚醒した。ムスメはすやすや寝ている。
1月17日(火)
この日はZoomが2件あるだけで予定が詰まっていなかったので、色々溜まった作業をなるべく片付けてしまおうと思っていたが、朝ムスメを送ってから、寝室で少し休憩、のつもりでそのまま午前が溶けた。まぁよし。友人の具合がだいぶ悪そうなので、朝の支度をしながらイヤホンで通話して話を聞いた。その後日中もこまめにチャットでやり取りして状況を聞いたり選択肢を整理したり。遠隔で僕がサポートできることは限られているが、こういうときは一人で抱え込みすぎない方が良いだろうし、ちょっとでも気晴らしになれば幸い。時間をかけないとどうにもならないこともあるが、だとしても、状況が変わるまで耐える、しのぐためのつながりがいくつかあるに越したことはなかろう。
1月18日(水)
水曜日はいつも通り、友人宅での介助シフト。昼飯時に『ONE PIECE』のアニメ(ワノ国編)を何話か一緒に観た。『FILM RED』の上映が月末でいよいよ終わりのようで、観に行きたかったねぇとか、感染者数なかなか減らないねぇなど話す。
介助終えて、夕方少しだけカフェで仕事を進めてお迎え。園では作品展に向けた制作を進めているようで、今日は何をつくった、明日はなにをつくる、とムスメが教えてくれた。もう3日経ったのか、あっという間だ。
1月19日(木)
年度末に向けてそろそろ手をつけないと間に合わないなという制作物のスケジュールやら台割やら見積もりやらのラフ案をミーティング前に突貫でつくった。早めに声かけてチームつくった方がいいやつだこれ。とにかく、自分で作業を抱えないのが肝要。
仕事の合間に原宿のネスカフェに行って友人とお茶。直接会うのは3,4年ぶりか。お互いよく生きてたねぇと、積もる話をした。
1月20日(金)
ツマとお子の方ではなく、自分の病気の方での通院先、諸事情あって転院することにしたのだけど、転院先の次回予約が気づいたらもう週明け月曜日だ。前のクリニックで出してもらった紹介状を取りに行こうと思いつつ先延ばしにしていたが、今日取りに行かないと間に合わないやつだこれ。ということで、ムスメを送って、家でZoomを1件やって、弾丸で池袋に向かい、紹介状を回収して、友人とのランチの約束にギリギリ間に合う時間に帰着。なぜ俺はいつもギリギリを攻めてしまうのか、これがわからない。
昨日に続き、これまた久しぶり(2年ぐらいか)の再会であり、出産を祝ってもらうと同時に、色々と心配かけていたので、ゆうへいさんよく生きててくれたと労ってもらい、いやはやありがとう、という会。落ち着いたらまた遊びに来てね、すぐ近くがうちのマンションだから今度は家でお子と遊んでやってくれと言って解散。自宅でちょっと作業してから、ムスメの園に行って早めのお迎え、その足で一緒にツマとお子がいる病院に向かう。現地でツマのお母さん・お父さんとも合流し、ガラス越し面会で10分ほど話す。二子玉川駅まで戻ってから、本屋でムスメと絵本を1冊選び、「100本のスプーン」で一週間がんばったね晩ごはん。メニューの紙が塗り絵になっていて、ムスメはご機嫌で塗り塗り。お店いる間に3回もハッピーバースデーの音楽が流れた。どなたか知りませんが店内別宅のお誕生日の方、おめでとうございます。
家に帰って風呂入って就寝。結局この平日5日間、ムスメを寝かしつけてそのまま眠剤を飲まずに寝たので、どの日もだいたい3回ぐらい中途覚醒した。疲れもあって、眠い。留守を守らねばならんので気が張っていたのだろうが、「これ、鬱治ったんじゃね?(そんなことはない)」と勘違いしそうなぐらい抑うつ感なしの1週間であった。明日が退院予定日で、ムスメとの2人留守番ウィークも終わり。
1月21日(土)
平日はとにかく食事・園の用意・送り迎え・洗濯・風呂・寝かしつけができれば良しとして、机周りやリビングが散らかっていくのは放置していたので、病院にツマと第二子(ムスコ)を迎えに行くまでになんとかせねばならんと、勝負の午前、なのだが、疲れが溜まっていたのか、8時頃にムスメに起こされるまで寝てしまっていた。ドタバタと朝食つくって洗濯機を回し、着替えて、掃除機かけて、ベビーベッドまわりを片付けて…さて出発、ギリギリ退院時間に間に合うというところでスマホを見たら、少し前にツマから通話・チャットが何度か入っており、ムスコの黄疸の数値が上昇したため、念のため入院延長して光線治療することになり、今日はツマのみ先に退院、ということになったそうだ。退院時間も午後に少し遅らせることになり、ちょっと時間に余裕ができたのだが、油断しているとあっという間に時間が経ち、そろそろムスメに昼食食べさせなきゃ間に合わんぞとこれまた慌てて動き、しかしこういうときに限ってムスメは貫禄のゆっくりごはんであったのだが、ツマが自宅すぐ近くまでタクシーをGOで配車してくれたので事なきを得た。文明、すご。
ツマのお父さんの車に乗って一緒に帰宅。夕方、ツマのお母さんが仕事を終えてヘルプに来てくれ、みんなで晩ごはん。買ってきてもらった寿司・焼き鳥・餃子・シュウマイなど。昨日まで2人で暮らしていて、一週間ぶりにママと再会し、じいじとばあばも一緒なので、ムスメのテンションは乱高下。がんばったね。おつかれさま。
昨日まで元気だったんだけど、一気に疲れが来た感じ。みんな気遣ってくれて寝室で何度か横になった。ただ、5日間2人で過ごしてその生活に慣れてきたところ常同性が崩れて僕の脳みそがびっくりしたのか、夜寝る前にちょっと脳内が爆発しそうな感覚を覚えた。特に何があったわけでもなく、むしろみんな来てくれて今日は久しぶりに作業負荷が軽減されたはずなのだが。脳がびっくりした、という表現がほんとピッタリな感覚。こういうちょっとした瞬間に自分の凸凹を痛感する。
久しぶりにSwitchでミンサガを進めた。この日は寝る前に眠剤飲んだ。
1月22日(日)
ニチアサ、ドンブラザースが本当にすごい展開である。「えええ…」って声でた。どうなるんだほんと。
ツマは午前中に搾乳したおっぱいを病院に届けに行くというので、私はムスメと留守番。ニチアサ終わってからムスメにチャンネルを譲る。猛烈な眠気が襲ってきた。リビングで少し横になり、1時間ちょい寝る。起きた瞬間、昨日一昨日よりだいぶ頭がスッキリした感覚。洗濯物を畳むなどする。
ツマが帰ってきて3人でお昼ごはん。
夕方、何度目かの家族会議を経て、第二子の名前が決定。けっこう前から僕とツマ的には第一候補はこの名前がいいねという名があったのだが、ムスメ的にしっくりこないらしく、今日まで案を出し合ったり決め方を相談したりして、最終的に3人とも、うん、いいね、という名に至るのに時間がかかったが、親の強権で押し切らないでよかったと思う。名付けってのは、その後のコミットメントも含めてだからな。その名を呼ぶ人たちが祝福し続けること。
この1週間、青い芝の会・横塚晃一の遺言「はやく・ゆっくり」を何度も思い出した。