心身共に「健やか」であるために

「心身共に長期的に安定していて、自分のやっていること・やりたいことに意欲を持って取り組めている状態、ですかね。」

閒の友人に「さとみんにとっての健やかさとは?」と問いかけられて咄嗟に出た言葉は、こうだった。

ちょうどこの日は生理2日目で身体が一番しんどい日、そんな日に朝もはよから親族関係のトラブル(父が怪我をしたという問題)が舞い込んできて、すっかり精神的に参っていた。不安感が強くなり、精神安定剤も飲んだ。そんなとき、自分を何とか奮い立たせようと閒の自分の部屋(チャンネル)に自分の内面を書き綴って、私は自分で自分を分析していた。以下がその内容の一部だ。

「心身の安定ってなんだろうな、健やかで元気でハッピー!って感じでももちろんいいんだけど、どちらかというとそうではなくて、メンタルダウンを頻繁にしない、メンタルの波を穏やかにしていく訓練をしていくとか、そういうことなんだろうなぁとは思う」

「体調が悪いことがひとつきの中で比較的多いので、それに引っ張られてメンタルもやられる、あるいは今回のように心配ごと・ショックなことに引っ張られてメンタルがやられる、大体この2パターンであると認識していて、最近は比較的体調もよかったしメンタルも安定していたのだけど、まぁ色々あり不安定さが久しぶりに顔を出したタイミングで父の怪我の話があり、とてもメンタルが不安定になっている自覚がある(けど、それを客観的に見つめられる余裕もまだある)。」

「考えていると結論として出てくるのは「しんどいときは寝ろ(好きなことだけ考えとけ)」、あとは体調が許す限り毎日何かルーティンを作ってそれをこなしていく(積み重ねていく)ことなんだろうなと思う。閒で考え事をしたり書き物をしたりすることを毎日やめずに続けていくということ、その習慣化が健やかさへと繋がりそうな気がする。」

こうやって自分の内面をよく観察して文章に起こしていくという行為それ自体が、自分の精神状態を随分と落ち着かせてくれる。まず自分の頭の中にある不安材料の明確化や細かな自己分析をすることで、自分の頭の中が整理されていく。

それらの文章を垂れ流す中で、「自分の揺らぎを認識して適切な対応とっててめっちゃすごい」という友人の合いの手があったりして、すごく嬉しかった。また、「もっといい方向に自分自身を向けていくにはどうしようか」など、思考が自分にとって楽でポジティブな方向にふっと方向転換してくれたりもして、前述の合いの手がとてもありがたかった。そしてこんな垂れ流し文章に応援や同意、頷きのスタンプを推してくれる友人たちにも力をもらった。

私はかなりの心配性で、何か少しでも不安材料となるものが目の前に現れると、そこから暗くよくない妄想を膨らませ始めるという認知パターンがどうもあるようだ、ということを最近やっと自分で認識できるようになってきた。被害妄想が激しいというところも歪んだ認知パターンの一つだ。だけれども、こうやってそのことを言語化してメタ認知できればそれに対してどうやって対処していこうかということも自分なりに考えられるはずだ。

いつもいつもこんなことばかり考えていたら生活がままならなくなるし苦しくもなることもあるだろうけれど、少なくとも自分にとって、何かアクシデントが起こったりメンタルが不安定になっているときこそ、内観(自分自身の精神状態やその動きを内面的に観察すること)を文章を通して行うということ、それが自分を救ってくれる大きな可能性を持っているかもしれないということを強く感じた一日だった。