「すごい社会包摂アイドル出てきた」
友人が教えてくれたリンクを何気なくクリックしたらガツンとやられた。
うわ、ちょっとこれ、すごいわ。
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ZOCは、藍染カレン、戦慄かなの、香椎かてぃ、西井万理那、兎凪さやか、そして「共犯者」大森靖子の6名からなるアイドルグループだ。
family name 同じ呪いで
だからって光を諦めないよ
彼女たちにとって、family name、つまり親の姓は、選ぶことができずに課せられた「呪い」である。
生まれる-be bornと受動態で表現されるように、子は生まれてくる家や親を選べない。
そして、生まれたばかりの子どもやまだ自活できない若者にとって、親は庇護者であると同時に権力者である。
「呪い」とまでは言わなくとも、生まれた家や親に対してアンビバレントな感情を抱えている、少なくとも抱えた経験のある人は少なくないだろう。
選ぶことのできない呪い、それでもわたしはわたしの人生に光あることを諦めない。「family name」は、”生まれてしまった”運命に悩み翻弄されるすべての人たちに向けた、祝福と再生の歌だ。
ZOCの公式サイト上ではメンバーそれぞれのプロフィール写真とともに、2-3行の簡潔な紹介文が添えられている。
「毎夜ぼっちで踊ってた熊本のワンルーム・ロンリーダンサー」「少年院帰り」「孤高の横須賀バカヤンキー」「完全セルフプロデュースアイドル」「女子百八のコンプレックス」…そんな言葉が並ぶ。
僕は彼女たちの詳しい生い立ちを知らないが、family nameを「呪い」と言い切ることに説得力を持たせる程度には、「何かあったんだろう」と部外者が想像するに難くない、(曲中でも自ら歌っているが)「治安悪い」顔ぶれである。
彼女たちが生きてきたこれまでの歴史それ自体が、きっとZOCというユニット、そして彼女たちが歌う「family name」に力強さをもたらしていることは間違いないと思う。
だけど、それ以上に僕がZOCに惹かれるのは、彼女たちが「かわいそうなマイノリティ」枠に決して回収されない、気高さと疾さと、危うさとしたたかさを携えた存在だからだ。
かわいそう抜きでもかわいいし
私をぎゅってしないなんておかしい
という歌詞は、上記のようなプロフィールを開示したアイドルに対して、今後当然に想定されるような有象無象のマウンティングーやたらと不幸な過去ばっかり聞きだして強調したがるインタビューとか、君たち大変だったんね守ってあげようと寄ってくるオッサンたちとかに対する牽制にもなっている。
かわいそうかどうかなんてどうだっていいから、今この場で歌って踊っている私たちを見ろ、そして祝福しろ。
そんな、「アイドル(偶像)」として立つことへの矜持が感じられる。
そして僕が一番好きなのはここ。
いらない感情しか売らないから
消費されたって消えはしない
最初に聴いたとき、これはものすごい人間讃歌だと思った。
消費上等、あんたたちが見てるものが<わたし>のすべてと思うなよ、と。
個人が、特に女性が「自分語り」をコンテンツにするたびに「切り売りだ」なんだと説教が湧いてくるのが昨今のインターネット言論空間だ(僕はそれをクソだなと思っている)が、書かずには、語らずにはいられない切実さをもって言葉を絞り出している人たちすべてにとっての福音であり包摂となる歌だと思う。
「孤独を孤立させない」
これがZOCのコンセプトだという。
人はどこまで行っても孤独だ。
彼女たち6人も、彼女たちの歌を聴く人たちも、これを書いている私も、これを読んでくれているあなたも、伝わらないもどかしさの中でこれまでもこれからもずーっと、孤独を生きていく。
それぞれがそれぞれに呪いを背負って生きていくなかで、孤立しないで共にあることは可能なのか。
彼女たちの答えは、ただただひたすらに「クッソ生きてやる」ことなのだろう。この世の果てまで。
曲の後半。夜の街を駆け抜け、出会う彼女たち。
そして最後に再び高らかに歌うのだ。
family name 同じ呪いで
だからって光を諦めないよ
朝焼けの河川敷で肩を組むその姿は、何よりも美しく、眩しい。