「今や機械に生かされてるんです」
「私も同じようなものですよ、ここに」
思い出は名曲と共に「伝承」され、「私たち」の物語が紡がれる - 「ロマンシング サガ オーケストラ祭 2022 東京公演」夜の部レポート
「私たち」の物語は明日も続くのです。
Read moreささやかなパトロナイズ
応援している知人・友人が、自身の表現・研究テーマに心置きなくエネルギーを投下できる環境づくりをお手伝いしていきたいな、と思う。
会社をつくるときに定款には以下のように事業目的を記述した。
1.作家・研究者等のマネジメント及びプロモート事業
2.ウェブメディア及びコミュニティの企画・運営事業
3.企業経営におけるコンセプトワーク及びアドバイザリー事業
4.上記各号に附帯関連する一切の事業
上記の1.に該当する活動。
僕自身が今年単著を出す&大学院博士課程に入る予定なので、短期的には自分自身の執筆・研究活動のバックアップ体制をつくるという意味合いであるのだけど、ゆくゆくはいろんな人たちの表現・研究活動をサポートしていきたいなという気持ちがあり、「あなたを応援したい」という具体的な人は、すでに僕の頭の中には何人かいるのである。
その人の表現活動や研究活動の一端を見せてもらって、「いや、これはすごいわ、この人のやってること、人類にめっちゃ必要だわ」と思っても、その全てが市場経済の中で価値を見いだされやすかったり、金銭を生み出しやすかったりするわけではないわけで、もうちょっとこう、自分で出来る範囲で具体的にサポートできんかな、と。
別の仕事・方法で食い扶持を稼いで残りの時間で好きなことやる、という考え方もある。かの吉本隆明も町工場とかで肉体労働をやりながら著述・言論活動をやってたというし。ただ、人によっては「労働」で削られるエネルギーが大きいという場合もある。
僕自身も、ようやく自分と家族の日々の生活はまぁやっていけるなというぐらいで、まだ色々借金も残っているのだけど、ちょっとずつ工夫していきたい。
短期的には、自分が関わるプロジェクトや自分の文筆・研究活動でテーマや要件が合えば、アートワークやリサーチのお仕事をお願いするとか、「クライアントワークだけどまぁまぁ相性良い」みたいな領域をつくっていくのが現実的かな。
中期的には、利益の一部で月額いくら、みたいな活動支援金をお渡しするとか。それがもっと発展すると、昔の書生・食客みたいな感じで、その人が毎月暮らすのに十分なお金&資料代とかをこちらが持って、かわりに作品や研究を見せてもらったり、その人の知っていること・考えていることをみんなに教えてもらったりする、みたいなことできるといいなぁ、と思っている。
メディチ家みたいな大資本はないんだけどさ、ささやかなパトロナイズ的な。
市場経済での商品・サービス売買や受発注のように、1対1の等価交換である必要はない。ほとんど見返りも求めない。その人の活動を応援しながら、その人が見ている世界をちょっとだけ共有してもらえると嬉しいな、みたいな。
ここ数年でいくつかのNPOに寄付をするようになったのも、そういう感覚に近いのかもしれない。
「情の時代」を生きる私たちの痛みと祈り - あいちトリエンナーレ「表現の不自由展・その後」の再開と鑑賞を経て
台風が来る前にどうにか一度、と、予定をやりくりして行ってきた。
「あいちトリエンナーレ2019 情の時代 Taming Y/Our Passion」
10月11日(金)の朝に出て、15時過ぎには東京に戻る新幹線へ。滞在時間はわずか5時間弱、駆け足で回れたのは「表現の不自由展・その後」を含む愛知芸術文化センター(A会場)のみ。粗削りなのは承知の上で、鑑賞した作品群と、不自由展を中心としたトリエンナーレの周辺環境・事象について、来場者の一人として以下に書き残す。
目次
1. 再開した「表現の不自由展・その後」の様子
2. 「あいちトリエンナーレのあり方検証委員会」の中間報告について
3. 「情の時代」におけるキュレーションに求められるもの
4. 二分法を超える方法はないのか。「遠近を抱えて Part Ⅱ」に感じたこと
5. 断片情報で引き裂かれた感情。それを超えるのも「情」の力
1. 再開した「表現の不自由展・その後」の様子
10月8日に「表現の不自由展・その後」が再開、伴って展示を中止していた他のアーティストの作品も全て展示再開となり、あいちトリエンナーレ全体が全面再開となった。
不自由展をはじめ、一時中止を経て再開した作品には、「展示再開 NOW OPEN AGAIN」の札。
不自由展入り口には、中止時と再開時に際しての作家たちのステートメントが両方とも掲示されていた。また、展示中止中に会場を塞いでいた「壁」と、そこに貼られたメッセージ付きの付箋という新たな「作品」も場所を少し移動して、不自由展の会場外で自由に鑑賞できるようになっている。
再開した不自由展は、時間帯ごとに人数制限を設けて抽選を行う形での鑑賞受付の形を取っている。以下のような流れだった。
各時間帯に先立って抽選受付
↓
抽選結果発表(会場&WEB掲示)
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鑑賞開始の約30分前に集合
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同意書の記入・提出と手荷物の預け入れ
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会場前のスペースに追加掲示された「表現の自由」に関する基礎知識解説資料、および「あいちトリエンナーレのあり方検証委員会」の中間報告の中心的な部分を抜粋した紙資料を読みながらの待機時間
↓
スタッフによるアナウンス(映像作品以外は撮影可・SNS当シェアは禁止、映像作品は撮影不可といった、同意書記載事項の口頭再確認)
↓
警備品による身体チェックののち、入場
↓
会場内の掲示作品を自由に鑑賞
↓
最後の20分で、「遠近を抱えて・Part Ⅱ」を鑑賞
(座布団を敷いてみんなで一緒に観るかたち)
参加した回は10月11日(金)の11時台の枠。鑑賞プロセスは非常に落ち着いた雰囲気で進み、トラブルは一切発生しなかった。
参加者は、少し緊張しているような真剣な面持ちで待機時間を過ごしていた。会場に入ったあとは、限られた時間の中で作品を見つめ、触れ、また写真を撮る。
少女像の隣に座ってスタッフに写真を撮ってもらう人も多くいた。肩を抱く人、頬を見つめる人、もたれかかる人。
私は、少女像と同じ前方を直視しながら、左手を少女像の手に添えて撮影した。
2. 「あいちトリエンナーレのあり方検証委員会」の中間報告について
会場で不自由展の鑑賞前に中心部分の抜粋版が印刷配布された、「あいちトリエンナーレのあり方検証委員会」の中間報告はこちらのサイトからも確認することができる。
https://www.pref.aichi.jp/soshiki/bunka/triennale-interimreport.html
以下に簡単に、私が重要だと感じた論点を要約紹介したい。
■展示の一時中止は「安全上の理由」
8月1日〜3日は展示室内は概ね冷静だったが、見ていない人がSNS上の断片画像を見て抗議を越えた脅迫等の犯罪行為や組織的な電凸行為に及び、以下のような被害が発生した。
・電話、FAX、メール、合計10,379件による業務妨害、精神的苦痛
・学校や福祉視閲の脅迫まであり、逮捕者も2名
■芸術祭全体のテーマ「情の時代」への評価、不自由展も企画自体は妥当という評価
・9月22日時点、入場者数は約43万人と、前回を約2割上回る勢い
・「情の時代」というテーマの妥当性と先進性、アートとジャーナリズムの融合に対する各方面からの高い評価
・不自由展も、企画それ自体は趣旨に沿ったものであり、妥当だったという評価
■不自由展まわりで問題とされたのは、趣旨を適切に伝えるためのキュレーションの欠陥
上述の通り、企画それ自体に問題はなく、特に批判の的となった3つの作品(キム・ソギョン/キム・ウンソン「平和の少女像」、大浦信行「遠近を抱えてPartII」、中垣克久「時代の肖像ー絶滅危惧種idiot JAPONICA 円墳ー」)も作者の制作意図に照らすと展示すること自体に問題はない作品だったという結論。
しかしながら、鑑賞者にたいしてその趣旨を適切に伝えキュレーションが出来ていたとは言い難いという評価。
・作品選定に際し、過去に美術館等で展示を拒まれたもの以外に新作も混じり、「表現の不自由展」というコンセプトからのズレ
・政治性を強く帯びた作品が多かったので、「政治プロパガンダ」という印象を与えた
・作品数に対してそもそも会場が狭い、入り口に映像作品「遠近を抱えてPartII」を配置、資料コーナーが奥になる、など空間配置上の問題
・断片がネット上に拡散されることへのリスク対応が不十分(徹底して禁止するという仕組みが講じられなかった)
・予算と時間の不足から、エデュケーションプログラムやガイドツアー等を実施できなかった
(憲法や民主主義の原則 基礎知識を必要とする。「禁止されたことのある作品」を一般来場者がただ観る、だけでは理解しにくい)
・芸術監督とキュレーションチームのチームワーク、出展作家である「表現の不自由展 実行委員会」とのコミュニケーションなど、組織ガバナンス上の問題
■作品は憲法上の表現の自由を超えるものではなく、法令違反でもない、という立場は堅持
批判の的となった3つの作品を含め、「表現の不自由展・その後」は法令違反ではなく、憲法で明示された表現の自由の下で最大限尊重されるべき、という立場は堅持されていた。
政治的な色彩が強い作品であっても、アートの専門家の自律的判断を尊重すべきであり、公金を支出することは認められるという結論。また公金支出をもって、自治体がその作品の政治的メッセージを支持したということにはならない。
憲法第21条第1項は表現の自由を保障し、第2項は検閲を禁止している。表現の自由は憲法の保障する基本的人権の中でも重要なものであり、最大限尊重されるべきものである。
表現の自由も絶対的なものではなく、「公共の福祉」に反する場合には制限できることが13条で定められている。しかし、重要な権利であるゆえに、曖昧な理由での制限はしてはならない。
一定範囲の人々が不快に感じたとか、単に漠然と公共の福祉に反すると「思う」ということでは制限できない。表現の自由が制限される際には、マイノリティに向けたヘイトスピーチの規制など、別途「法令上の根拠」が必要。そして、今回の展示で言えば、昭和天皇の写真を焼いてはならないという法令はない。
昭和天皇は故人であり、また公人中の公人であるため表現の対象となることは当然ありうる。さらに、「遠近を抱えてPartII」の作者である大浦信行氏の制作・展示の趣旨からしても侮辱には当たらないとの結論(従軍した日本人の少女の中にある「内なる天皇」を燃やすことで「昇華」させていく、「祈り」といっても良い行為と大浦氏は説明)。
よって、「表現の不自由展・その後」全体も、「遠近を抱えてPartII」をはじめとする個々の作品も、違法にはあたらず、公共の福祉には反しない。同展示の「表現の自由」は尊重されるべきという結論。
——
以上が、中間報告から私が重要と考える、また本記事を通してインターネット上の読者・鑑賞者にシェアすべきと考えた論点である。
・展示中止は安全上の理由であり、作品自体の問題ではない
・不自由展および収録作品の表現の自由は、いずれも守られるべきである
・一方、安全上の脅威をもたらすほど人々の感情がかき乱され、作品への賛否で人々が分断される事態になったキュレーション上の欠陥が指摘される
この3つをそれぞれに分けて考えることが重要だと思う。
3. 「情の時代」におけるキュレーションに求められるもの
「表現の不自由展・その後」は、上述の3作品に対して、主に右派、保守とされる人々からの反発があったと理解している。日韓の従軍慰安婦を巡る日韓関係と、「遠近を抱えてPartII」は昭和天皇の肖像との結びつきから、反発的感情を招くだけのインパクトがあった作品だと思う。
しかしながら、「表現の不自由展・その後」に展示された作品全てが、右派、保守とされる人々にとって気に入らない表現だったかというと、私はそうは思わない。
たとえば、横尾忠則「暗黒舞踏派ガルメラ商会」は、朝日のモチーフが旧日本軍の旭日旗を思わせる軍国主義的なものであるということで、在米韓国系市民団体「日本戦犯旗退出市民の会」からの抗議を受けた作品だ。
※ 横尾忠則 表現の不自由展・その後 リンク切れ ※
これは、右派・保守と呼ばれる人たちが怒るべき出来事で、「表現の不自由展・その後」において展示されたことは喜ばしいことではないかと思うのだが、そうしたことはほとんど話題に上がらない。
(モチーフはさておき、作品自体の政治的メッセージは薄いこと、一枚のポスター作品であり、銅像や映像よりネット空間における「拡散映え」しにくいという要素はあると思うが)
「表現の不自由展・その後」内の個別の作品に対する評価・言及量のギャップが事例となったように、インターネットでは人々の強い感情を喚起しやすい一部のコンテンツだけが拡散されやすく、一連の企画やプログラム全体の趣旨が適切に伝わらないことがままある。まさに「情の時代」と言えるだろう。
インターネットは、私たち一人ひとりが発信の担い手となれる、情報流通の「民主化」をもたらした。私自身もその恩恵に大きく預かっている一人だ。
しかし、今回の不自由展をめぐるインターネット上の言説と人々の分断を見るに、オープン・フリー・フラットなインターネット的コミュニケーションがもたらす負の側面とも改めて向き合わなければならないように思う。
コンテクスト(文脈)がちぎられ、伝えるべき情報”群”のうち一部だけが先鋭化して拡散する。そのことが分断の連鎖を生む。
断片であっても「情報は多ければ多いほどいい」、そんな思想が果たして本当に良いのだろうか、と考えさせられる。
今回の不自由展再開にあたっては、先の章で紹介した通り、鑑賞方法の改善や情報流通の制限など、相当な注意を払ってのキュレーションの再設計がなされていた。
今日ではアートの分野に限らず(ビジネス・メディア・カルチャーなど)、イベントにおいて撮影・拡散を自由にしていく傾向は強くなっている。
しかし、扱うテーマによっては、いたずらに分断を促進しないための、セミクローズドな情報流通設計は、オプションとして検討する必要があるだろう。
(もちろん、それが行き過ぎると、今回の不自由展が投げかけた「検閲」の問題に繋がっていくことには注意しなければならない…)
・適切な鑑賞をしやすい空間・時間デザイン
- 人数・時間を限定し、落ち着いて観られるようにする
- 作品の理解・思考が深まりやすい導線設計
・事前事後のエデュケーション機会とセットにする
- 鑑賞前の資料閲覧やプログラム受講
- 鑑賞後の対話的なワークショップ
・二次的情報流通の量・性質をコントロールする
- SNS等のシェアを禁止ないし一部制限する
- 投稿・流通フォーマットの指定など、趣旨の伝達を担保した上で多様な言論が生まれるような「ナッジ」の工夫
などなど… 「情の時代」においては、作品を直接鑑賞する人たちへの情報提供だけでなく、二次的な鑑賞者への情報の流通や影響についても視野に入れたキュレーションが求められるのではないだろうか。
(もちろん、私のような素人が言うまでもなく、すでに多くのプロが意識・工夫されているところだとは思う。ただ今回の不自由展への反応のように、政治的な色彩を帯びる作品については、今まで以上に大きくリスクを見積もって対応せねばならない時代になってきているのだろう)
4. 二分法を超える方法はないのか。「遠近を抱えて Part Ⅱ」に感じたこと
しかし、と、ここでまた考える。この問題の根底にあるものはなんだろうか。
キュレーションの工夫で「減災」はできるだろうが、それでも炎上リスクは「ゼロ」にはならない。
そもそもアートは、グレーでモザイクなこの世界に存在するありとあらゆるものを取り上げようとする運動だ。
世界に、人に「問い」を投げかけるアート作品は、時に人の感情を刺激し、私たちが何気なく立つ日常を揺さぶってくる。
反発も問題も起こらない、きれいな「シロ」の作品ばかりでは決してない。
また作品は、「対話」の媒体でもある。作り手やキュレーター側が想像もしていなかった多様な解釈と発見が、鑑賞者によって掘り起こされることがある。
作り手側が想定する”適切な”鑑賞方法はあったとしても、作品からどんなメッセージをどう受け取るかについて、たったひとつの”正解”があるわけではない。
不自由展においても、時計の針を巻き戻して様々な対策を講じ、現在のような炎上や分断を防ぐことができたとして、それでもやはり、個々人の心理的体験としては、反感や反発を覚える人たちは出てくるだろう。
一人ひとりの思想や感情の多様さを前提に、作品に対する反発も覚悟の上で、橋をどうかけるか。
今回、不自由展に抗議をした人たちが、断片だけでなく「作品」と落ち着いて対話をするきっかけ、文脈、環境、関係性をどうやってつくるのか。
右派と左派に分かれるのではなく、「わたし」と「あなた」の関係において、作品鑑賞後の意見・感情の相違をどう分かち合うのか。
こちらの方がよっぽど難しい問題だ。
もちろん安全上の脅威、脅迫行為や犯罪行為に対しては断固として戦わなければならない。多様な言論も表現の自由が最大限尊重された上でこそだ。
今回のあいちトリエンナーレを見るに、実際問題、ものすごく難易度が高い。仮に私がキュレーターになったとしたら、うまくやれる自信はない。
だけど、鑑賞者の一人として、情報発信を生業とする者として、市民の一人として、敵・味方の二分法を超える方法を考えたい。それがあいちトリエンナーレから受け取った自分の宿題だと思う。
ここから先は、いち鑑賞者の、願望混じりの感想に過ぎない。
だが、騒動の象徴となった作品のひとつ、「遠近を抱えてPartII」にこそ、実は分断を超えるポテンシャルが秘められていたように思えてならない。
昭和天皇の肖像を燃やすというところだけがフィーチャーされたが、映像のもととなったコラージュ作品「遠近を抱えて」には、天皇制批判や昭和天皇侮辱の意図は一切ない。むしろ大浦は、そのコラージュを「自分自身の肖像画」と述べている。外へ外へ拡散していく自分自身のイマジネーションと、内へ内へと修練していく天皇のイマジネーション、そのせめぎ合いを表現したという。
「遠近を抱えてPartII」に反発を覚えた右派・保守と呼ばれる人たちも、作者の大浦信行も、作中に出てくる従軍看護婦の少女も、鑑賞者である私も、共通して「天皇」を内側に抱えている。日本人として、日本に生きることで私たちは、「天皇」という引力に多かれ少なかれ影響を受けている。一方で、一人ひとりの「わたし」は「日本人」として簡単にひとくくりにできない多様性を持っており、さまざまな個性が外側に広がっていく。
「遠近を抱えてPartII」の映像中には、コラージュを燃やす場面だけでなく、先の大戦で戦死した軍人たちを弔うアナウンスや、従軍看護婦としてインパールに向かう前、母に別れを告げる少女の手紙の朗読(彼女は「靖国でお待ちしています」と言う)といったシーンが含まれている。
ノスタルジックに信奉しようと、距離を開けようと、私たちの中にある消しようのない「日本人性」。それを否定するでも肯定するでもなく、葛藤のままに「昇華」する。ある種の祈りとして、写真を燃やす行為があった。私はそう受け取った。
私は、政治的には比較的にリベラルな立ち位置の人間だと思う。ものすごく信心深い方でもない。「日本すごい」幻想に浸ってもいない。だけど同時に、この土地に生まれ育った日本人としての歴史とアイデンティティも、私の中のかけがえのない一部であると思う。
昭和天皇の肖像を焼くという行為に反応して表現の不自由展に怒った人たちに対して、それは断片的理解に過ぎないとか、表現の自由を理解してないと批判することはたやすい。だけど、仮に断片的な受け取り方であったとしても、本人が感じた「感情」ー怒りや痛みは、尊重すべきだと思う。
そしてその痛みは、僕の中にもあるかもしれないのだ。
台風も来ている。会期ももう終わる。今回はその機会がないけれど、彼らと共に、その共通の「痛み」を出発点に対話ができたなら、と願う。
そのための方法を、別の機会で、場面で、探していきたいと思う。
5. 断片情報で引き裂かれた感情。それを超えるのも「情」の力
最後に、愛知芸術文化センター(A会場)で鑑賞したその他の作品も一部紹介しながら、今回のあいちトリエンナーレのテーマ「情の時代」について述べて結びとしたい。
今人類が直面している問題の原因は「情」(不安な感情やそれを煽る情報)にあるが、それを打ち破ることができるのもまた「情」(なさけ、思いやり)である。「アート」の語源にはラテン語の「アルス」やギリシア語の「テクネー」がある。この言葉は、かつて「古典に基づいた教養や作法を駆使する技芸」一般を指していたのだ。われわれは、「情」によって「情」を飼いならす「技」を身に付けなければならない。それこそが本来の「アート」ではないのか。
芸術監督の津田大介氏のステートメントに応えるように、あいちトリエンナーレには、「情」によって「情」を飼いならす「技」を示す数々の作品が集まっていた。
■タニア・ブルゲラ「43126」
展示室に入る前にスタンプで押される5桁の数字。2019年に国外へ無事に脱出した難民の数と、国外脱出が果たせずに亡くなった難民の数の合計人数。
部屋の中の壁にも同様の数字が刻印されており、室内ではメンソールが充満している。
地球規模の問題に関する数字を見せられても感情を揺さぶられない人々を、無理やり泣かせるために設計された、このメンソール部屋。
乱暴と言えば乱暴だが、人は感情を揺さぶられて泣くだけでなく、泣いたことそれ自体で感情が揺さぶられもする、不思議な生き物なのだ。きっかけはメンソールでも、涙を流しながらその数字を再び見てみると、受け取り方が変わるかもしれない。
「なさけ」を喚起する技術が、人の想像力を拡張する可能性を示している。
■ ジェームズ・ブライドル「継ぎ目のない移行」
ジェームズ・ブライドル(A18c) | あいちトリエンナーレ2019
英国の入国審査、収容、国外退去の3つの管轄区域について、計画書や衛星写真などを手に入れ、中に足を踏み入れた人へのインタビューを通じて再現した3Dアニメーション映像。この建物を通過する人々は強制的に国外へ移送され、送還のために使用している拘置施設、法廷、飛行機を撮影することは違法となっている。
これだけインターネットが世界中を覆い尽くしていても、一部の人以外は決して訪れることがない、「不可視」の領域がこの地球上には存在する。そしてそこで非人道的な捜査が行われている…。
「見えない」ものを見ようとすること。ジャーナリストによる粘り強い調査と3Dアニメーションという情報技術が、見えるものだけに捉えられた私たちの想像力を拡張させてくれる。
■ヘザー・デューイ=ハグボーグ「Stranger Visions」「Invisible」
ヘザー・デューイ=ハグボーグ(A13) | あいちトリエンナーレ2019
■村山悟郎「Decoy-walking」
作家がニューヨーク市の街頭で収集したDNAサンプルに基づいて3Dプリントされた肖像のシリーズ「Stranger Visions」。公共の場所にあるDNAを消去し、またノイズで覆い隠す2つのスプレー製品からなる「Invisible」。近い将来オンラインで個人情報を収集するのと同じくらい、遺伝子情報を収集することが一般的になるだろうという。技術的にますます「監視社会」が容易になっていくなかで、政府が主体となる狭義の「検閲」がなかったとしても、人々は自己表現を萎縮するかもしれない。そんな未来における表現の自由とはなんだろうか。
この問いに応答するかのような試みが、村山悟郎の作品だ。
表情と手を駆使したさまざまな”変顔”が、コンピュータによって「顔認識」されるかどうか。パターンから逸脱するさまざまな歩き方が「歩容認証」技術によって捉えられるかどうか。
パターンを認識するためのテクノロジーと、これらに対峙し、駆け引きをする人間の存在を示したこれらのインスタレーションは、折しも「マスク禁止令」に対して、髪の毛で顔を隠したり、ジョーカーのメイクを施したり、プロジェクションマッピングで他人の顔を映し出したりという抵抗を繰り広げている香港の市民たちのクリエイティビティとリンクする。
情報技術を時に利用し、時に欺きながら、私たちは機械と「共存」し、表現をする。
■dividual inc.「ラストワーズ/タイプトレース」
dividual inc.(A14) | あいちトリエンナーレ2019
整然と並んだ24枚のモニターに、インターネットを通じて集まってきた「10分遺言」が次々と表示される。入力の際に次の言葉を入れるまでの時間に応じて文字のサイズが変化するソフト「TypeTrace」によって、逡巡や勢いといった書き手の「息遣い」が生々しく表出される。
ある人は恋人に、ある人は家族に、ある人はSNSのフォロワーに、ある人はペットに、ある人はパソコンに。
反省を、後悔を、言付けを、思い思いに綴っていく。
その内容もプロセスもさまざまだが、遺言の後半には多くの人たちが「感謝」を述べる傾向があったと、作者のドミニク・チェン氏から別の機会で聞いたことがある。
誰しもが逃れられない「死」に向かって生きているという点で、人は平等だ。
遺言を書くという経験。平等な「死」を想うこと。
思想や文化、社会的立場の相違を越えた「祈り」の環をつなぐ鍵がここにあるのかもしれない。
これは「生まれてしまった」私たちのための、祝福と再生の歌だ ZOC「family name」
「すごい社会包摂アイドル出てきた」
友人が教えてくれたリンクを何気なくクリックしたらガツンとやられた。
うわ、ちょっとこれ、すごいわ。
<iframe width="560" height="315" src="https://www.youtube.com/embed/IytBgF3UhP0" frameborder="0" allow="accelerometer; autoplay; encrypted-media; gyroscope; picture-in-picture" allowfullscreen></iframe>
ZOCは、藍染カレン、戦慄かなの、香椎かてぃ、西井万理那、兎凪さやか、そして「共犯者」大森靖子の6名からなるアイドルグループだ。
family name 同じ呪いで
だからって光を諦めないよ
彼女たちにとって、family name、つまり親の姓は、選ぶことができずに課せられた「呪い」である。
生まれる-be bornと受動態で表現されるように、子は生まれてくる家や親を選べない。
そして、生まれたばかりの子どもやまだ自活できない若者にとって、親は庇護者であると同時に権力者である。
「呪い」とまでは言わなくとも、生まれた家や親に対してアンビバレントな感情を抱えている、少なくとも抱えた経験のある人は少なくないだろう。
選ぶことのできない呪い、それでもわたしはわたしの人生に光あることを諦めない。「family name」は、”生まれてしまった”運命に悩み翻弄されるすべての人たちに向けた、祝福と再生の歌だ。
ZOCの公式サイト上ではメンバーそれぞれのプロフィール写真とともに、2-3行の簡潔な紹介文が添えられている。
「毎夜ぼっちで踊ってた熊本のワンルーム・ロンリーダンサー」「少年院帰り」「孤高の横須賀バカヤンキー」「完全セルフプロデュースアイドル」「女子百八のコンプレックス」…そんな言葉が並ぶ。
僕は彼女たちの詳しい生い立ちを知らないが、family nameを「呪い」と言い切ることに説得力を持たせる程度には、「何かあったんだろう」と部外者が想像するに難くない、(曲中でも自ら歌っているが)「治安悪い」顔ぶれである。
彼女たちが生きてきたこれまでの歴史それ自体が、きっとZOCというユニット、そして彼女たちが歌う「family name」に力強さをもたらしていることは間違いないと思う。
だけど、それ以上に僕がZOCに惹かれるのは、彼女たちが「かわいそうなマイノリティ」枠に決して回収されない、気高さと疾さと、危うさとしたたかさを携えた存在だからだ。
かわいそう抜きでもかわいいし
私をぎゅってしないなんておかしい
という歌詞は、上記のようなプロフィールを開示したアイドルに対して、今後当然に想定されるような有象無象のマウンティングーやたらと不幸な過去ばっかり聞きだして強調したがるインタビューとか、君たち大変だったんね守ってあげようと寄ってくるオッサンたちとかに対する牽制にもなっている。
かわいそうかどうかなんてどうだっていいから、今この場で歌って踊っている私たちを見ろ、そして祝福しろ。
そんな、「アイドル(偶像)」として立つことへの矜持が感じられる。
そして僕が一番好きなのはここ。
いらない感情しか売らないから
消費されたって消えはしない
最初に聴いたとき、これはものすごい人間讃歌だと思った。
消費上等、あんたたちが見てるものが<わたし>のすべてと思うなよ、と。
個人が、特に女性が「自分語り」をコンテンツにするたびに「切り売りだ」なんだと説教が湧いてくるのが昨今のインターネット言論空間だ(僕はそれをクソだなと思っている)が、書かずには、語らずにはいられない切実さをもって言葉を絞り出している人たちすべてにとっての福音であり包摂となる歌だと思う。
「孤独を孤立させない」
これがZOCのコンセプトだという。
人はどこまで行っても孤独だ。
彼女たち6人も、彼女たちの歌を聴く人たちも、これを書いている私も、これを読んでくれているあなたも、伝わらないもどかしさの中でこれまでもこれからもずーっと、孤独を生きていく。
それぞれがそれぞれに呪いを背負って生きていくなかで、孤立しないで共にあることは可能なのか。
彼女たちの答えは、ただただひたすらに「クッソ生きてやる」ことなのだろう。この世の果てまで。
曲の後半。夜の街を駆け抜け、出会う彼女たち。
そして最後に再び高らかに歌うのだ。
family name 同じ呪いで
だからって光を諦めないよ
朝焼けの河川敷で肩を組むその姿は、何よりも美しく、眩しい。
「すべて」が埋まらなくても、わたしたちは生きていくし、生きていていい―映画「二十六夜待ち」
「男は、すべての記憶を失っていた。
女は、何もかも忘れたいと思った。
月と波がひかれあうようにふたりは出会いー」
福島県・いわきの片隅で生きる二人の男女の物語「二十六夜待ち」(主演: 井浦新・黒川芽以、監督・脚本: 腰川道夫)を観てきた。
僕はこの街に少なからぬ縁があって、この映画でも方言指導を担当し、ちょこっと劇中にも登場している岡田陽恵さんの紹介で、同じく腰川さん監督の「月子」(こちらは、男女二人の旅の行く先が福島県・富岡)を昨年観に行ったのだけど、今回もまた良かったです。
以下、ネタバレにならない程度に感想を。
8年前に記憶喪失状態で発見された男・杉谷。失踪届も出されておらず、身寄りもない。唯一、手が「料理すること」を覚えていたことを拠り所に、いわきの街の片隅で小料理屋を営む。
震災で兄以外の家族や家のすべてを失い、胸の内に消えない波の音を抱えながら、叔母の家に身を寄せ暮らす女・由美。ある日、街中に貼られたパート募集の張り紙を見つけて店を尋ね、杉谷と出会う。
舞台となるいわきは、震災後の復旧・復興工事で全国各地から作業員が集まる街だ。
店には、復旧工事に明け暮れる作業員たちが昼に夜にと集まってくる。杉谷と同じくこの街に縁を持たない作業員たちのバラバラな言葉と、地元の人たちのいわき訛りが店内に飛び交う。
「嫌なことがあったら海を見に行く」と由美の叔母が言ったように(劇中、由美が身を寄せる叔母の家からは海が見えず、また由美にとって海はトラウマでもあるのだが)、海と、魚が人々の生活に密着しているのが浜通りという地域だ。どんな魚も器用な手つきで捌いていく杉谷は、この街でどうあれ、小料理屋という営みを持つことができた。
杉谷が流れ着いた街が、いわきで良かったと思う。
杉谷は、自分が消えてしまいそうな恐怖を、由美は、消してしまいたい痛みの記憶を、それぞれに抱えている。
二人は劇中、何度も肌を重ね合わせる。畳の一室で、言葉少なに求め合う二人のセックスからは、よるべのなさ、たよりのなさ、が伝わってくる。
記憶を何もかも無くしながらもたくましい杉谷の身体つきが示すのは、恐怖と背中合わせに宿る生への渇望だろうか。
思い出すということ、忘れるということ。直接多くの背景は語られないが、二人の記憶を軸に物語は進む。
「2年が経ち、3年が経ち、今ではどうにか、大将の身体ん中に8年分が、溜まってる。きっと、それでいいんじゃねぇか」
発見直後から杉谷を見守る、市役所福祉課職員の木村(諏訪太朗・演)の言葉が印象深い。
また一方で木村は由美に対して、「生きてくためには、忘れなきゃいけないこともある」とも言う。
思い出せなくたっていい。忘れたっていい。
もちろんそれでも当人たちとしては、思い出せない、忘れられないことにもがき苦しむのだけれど、それさえも含めて、木村はただ見守り、肯定する。
それは、この映画の舞台がいわきであるということの意味でもあると思う。「もとどおり」の復旧はありえないとしても、そこからまた、どうあれ生活は続いてゆく。
「すべて」が揃っていなくても、わたしたちは生きていくし、生きていていいんだ。「二十六夜待ち」は、そのことを静かに肯定してくれる映画だと思う。
具体的に書くことは控えるけれど、最後に由美が杉谷に語りかける言葉が、とてもあたたかく、また"小さな"希望に満ち満ちていて、とても良かったです。
表現する人とその作品に対してできること
10年ぐらい前は、世の中には「アーティスト」という人種がいて、そういう人たちはお茶の間のテレビを通してしか見ることのない特別な世界に生きているのだと思ってた。
もちろんそんなことはなくて、実際に会ってみると、ちゃんと同じ人間である。色んな人がいるが、ともかくも生きていれば腹が減るので、メシを食う必要がある。表現だけしてもそれ自体では腹は膨れないので、色んな方法で身銭を稼いでいる。そして食っていっている。
写真家さんや被写体さんやメイクさんは、スタジオを借りて一緒に「作品撮り」というものをする。自分たちの表現を追求するためでもあるし、評価の対象となる、ひいては仕事のきっかけともなり得るポートフォリオを増やすという意味もある。しかし作品撮り自体は自費折半なので、撮られた作品がすぐお金になるわけではない。なので、雑誌やテレビや広告で、クライアントありきの仕事を請けたり、写真スタジオに勤めたりして、日々の稼ぎを得たりする。こういう人たちは、一つの生業に専従しているとも言えるけれど、表現物の自己表出性と商業性は、一部重なりつつ微妙に幅を持っている。
生活の糧と表現活動を分離している人もいる。普段は全然違う仕事をしてお金を稼いで、生活の余剰で作品制作をする。そうして作った作品自体が売れることもあるけれど、それ自体を主たる収入源としては位置づけていない。表現活動を、余暇や趣味と捉えていたり、あるいは真剣だからこそお金や商業性と分離したいと思っていたり、その動機は色々だけれど。
作品制作一本で勝負している人もいる。パトロンを見つけるなりグランツを取るなりして制作費をなんとかかき集めて、作品をある程度まとまった数作り、展示やパフォーマンスの機会を作り、あるいは営業をして、作ったもののうち2つでも3つでも、単価100万や200万で売れれば収支トントン、みたいなサイクル。NYにいる間、このタイプのアーティストの個展の手伝いを何度かしたことがある。日本から大判の作品を大量かつ厳重に空輸してNYで展示するプロセスと労力を目の当たりにして、「いやこれ大変っすわ…」としみじみ思った。結婚していて子供も2人いて、これ一本で一家を養っている人なんかも、いた。うひゃあ。
生活設計全体で考えればこの他にも色んなバリエーションがあるだろうけれど、ともかくも、作品を買ってもらうというのは大変だ。まずもって生活必需品ではないものを、欲しいと思ってもらい、財布の紐を弛めてもらうのは、そう簡単ではない。
なおかつ近年では、テクノロジーの発展によって、プロとアマの距離が大きく縮まった業界もある。代表的なのは写真。日本で知り合って、NYにもちょくちょく来られるベテランの写真家さんが、ここ数年で何人も知り合いが廃業したと言っていたのは印象深かった。昔はプロの技術でないとできなかったことも、機械が勝手に調整してくれるから、無理にプロに頼まなくても事足りる事例と領域が増えたのだ。だからこそ、写真一本でプロとして仕事を貰い続けるには、世界観とか、視点とか、文脈づくりとか、技術以外の差異が必要になってくる。それから文章も。インターネットで誰でも世界中に向けて書くことができるし、プロでなくても良い文章が出てくる。書いた原稿や本にお金を出してもらえるハードルが高くなったという点では、ライターさんや作家さんも、大変だ。
別にギョーカイに詳しくなったわけではない。でもとにかく、表現をすること、より正確には表現を「続ける」ことの大変さは昔より実感を持って理解したと思う。伴って、表現する人や作品に対する接し方が変わってきた。端的に言うと、お金や時間をより多く表現物に向かって使うようになった。もっと使えるようになりたいと思っている。
表現物を「買う」ことは一番シンプルかつストレートな応援だから、自分が好きな人、応援している人の作品はなるべくお金を出して買いたい。ただ現状のところまったくもって稼ぎが少なく、なんだったら学費で借金まみれでもあるので、すぐに買えるのは、本・CD・DVDや、ライブ公演・映画のチケットなど、販売・配信規模と利用者規模ゆえに比較的単価が低く抑えられる種類のものぐらいだ。
表現作品の価格は、制作に必要な物理的な資源・経費の多寡と、作家本人の「格」-地位や名声のセットで上下する。だから大判の絵画や書画、石や鉄の彫刻、家具や家なんかはちょっと今は手が出ないし、自分が見つけて好きになった時にはすでに売れっ子である人の作品とかは、目眩がするぐらいに値札のゼロの数が多い。そういう場合はせめて、展示会などがあればなるべく足を運ぶようにしている。そこで作品を観て感じたことを、考えて言葉にして、後日感想を送ったりするようにもしている(買った場合でも勿論そうだけど)。
だから最近は、もっとたくさんお金を稼ぎたいなぁとも思うようになった。自分のためだけではなくて、この人たちの作品にお金を使いたい、と思える人とのご縁が増えたから。
お金を稼ぐだけじゃなくて、その人達の表現する世界に恥ずかしくないだけの、感性とか思考とか、もっと言えば生き方を目指さなきゃいけないなぁと、思うようにもなった。
つまり、総合的に言って、「欲」が出てきた。お金とか贅沢に対しての欲じゃなくて、「成長」とか「投資」に対する欲と言って良いのか、これらの言葉が100%しっくりきているわけではないけど、何か、そう言っちゃっても良いような前のめりな熱が、自分の中に育ってきているのを感じる。もうひとつ言うと、自分自身が表現することに対する欲も。僕の場合は書くことで。勿論まだ全然売れてないんですけども。
作品づくりは、エネルギーが要る。それは表現する人の生命の、生き方の写し絵でもあるから。作る方も、受け取る方も、テキトーではやってられない。
作品と向き合う、向き合える自分であろうとすることはつまり、より善く生きるということなのだと思う。
未来の劇場から、美しいふたりへ ― 映画「風立ちぬ」
夏に日本に帰っている間に「風立ちぬ」を観た。僕が観に行く頃にはすでに多くの人が鑑賞した後で、TwitterやFacebookを開いた時に感想・レビューの投稿やブログが流れている状態だったが、なんとなく、そういうものは今回は見ない方が良い気がしたので見ないで放っておいた。公式サイトとか監督インタビューといった類のものも見ずに劇場に足を運んだ
戦前の日本が舞台であることだとか、どういう人達の話なのかもほとんど全く知らない状態で入った。堀辰雄の原作も知らないし、堀越二郎が零戦の設計者だということも、映画を観終わって初めて知った。
1回観た時は、じんわり感動した。「後半は泣きっぱなしだった」と語る友人もけっこういたのだけど、そういう感じではなかった。「あぁ、いいなぁ」って感じの、静かな感動。
なのに結局1回では飽きたらず、出国する直前にもう一度観に行っている自分がいた。その時も、だいたい同じ箇所で、じんわりうるりと静かに感動した。やっぱり「後半泣きっぱなし」というわけにはいかない。
だけどどうしたことか、こうしてNYに帰ってきてからもずっと、「何か書かなきゃ」という気持ちが底の方に続いている。バタバタして結局9月も下旬というところで、筆をとっている。
「こないだ『風立ちぬ』を観たよ」と友人たちに話すと、テンション高め、というか思い入れを持った語調での食いつきを見せてくる人がけっこういた。そういう人たちの感想は賛否両論分かれていて、どちらかというと男は賛・女は否の傾向がある印象だったが、でもその多くは二郎や菜穂子の生き方に同性として共感・感情移入・自己投影できるか、あるいは異性として惹かれるか・容認できるかという恋愛論・男女論に終始しているようで、それはなんだか違うのではないか、と思った。僕の場合は、映画を観ているとき、二郎に「共感」するとか「自己投影」するような気持ちは全く起こらず、なにか美しいものを「眺めている」という感じだったからだ。
この映画は結局、”あまりにも若すぎた”、二郎と菜穂子の二人が、”ほかの人にはわからない”、”けれどしあわせ”な生を全うしたという、ただそのことに尽きるように思う(主題歌: 荒井由実 「ひこうき雲」)。二人の命は、現代に生きる僕たち「外野」から向けられるいかなる重力—記号的な男女論・恋愛論もすり抜け、時代の暗雲を突き破って空へと飛んだ。その姿に対して、僕は上映後に口からぽつりと出た「美しい」以外に「感想」を持たない。
恋愛・結婚・家庭・男女・働き方といった観点以外での、映画に対する「社会的」な反応は他にも色々あった。「上流階級のインテリのエゴだ」とか「結核の妻の横でタバコを吸うなんてけしからん」とか、果ては「戦争賛美だ」なんて全くズレた声もあった。
事実、この映画の中にはそうした反応を促すかのような要素がふんだんに散りばめられている。ぎゅうぎゅう詰めの三等客席、線路沿いを歩き、橋の下で休みながら仕事を求めて歩く人びと、銀行での取り付け騒ぎ、二郎から施されたシベリアを拒否する貧しい姉妹、関東大震災と第二次世界大戦、結核とタバコ、仕事に邁進する夫と難病の妻…当時の貧富の差や、男女・夫婦関係の対比は、劇中、枚挙に暇がない。宮崎監督は、それらに対するあらゆる反応を見越して意図的に配置したのだろう。そして、そうしたいかなる「社会的」な重力も振り切るだけの跳躍力を二郎と菜穂子の二人に与えた。
出自や所属や立場や働き方でもって、他人を批判することはたやすい。あるいは、現代の「フェミニズム」からの男尊女卑社会の批判とか、当時の帝国主義・国家主義に対する反省とか、なんらかの「イズム」でもって大上段に語ることも、たやすい。しかし、小さな個人の生を全体として見た時、そのような「社会的」な賛否は果たしてそんなに簡単だろうか。
二郎や菜穂子に限らず、僕たちは生まれてくる時代と家庭を選べない。「自己決定」や「自己責任」といった言葉は響きが良いが、個人の力で人生を変えられる範囲はおそらくとても小さなもので、多くの運命は、生まれた時代環境と、周りの人たちとの出会いや関係性の複雑な掛け算によって決定づけられているように思う。一人ひとりができることはその限界目一杯を振り切るように抗い抜くことだけだ。
日本がまだ貧乏だった頃で、しかし戦争があったからこそ飛行機作りを含めた軍需産業に予算が回ってきあったこと。菜穂子を見舞いに来てすぐ職場に戻ろうとする二郎に対して、菜穂子の父も「男は仕事をしてこそだ」と言って送り出すような社会通念であったこと。結核がまだ治らない時代であったこと。二郎が大学に行けるだけのお金と教養のある身分の家に生まれたこと、菜穂子も同じように当時としては上流階級のお嬢さんであったこと。そして二郎が近眼であったこと。それらは全て偶然のめぐり合わせに過ぎない。社会的には、「幸運」で「恵まれた」出自だっただろう。その生活環境はその他大勢の「不幸」で「恵まれない」人びとを下敷きにして成り立っていると言うこともできるかもしれない。それならば飛行機作りも「上流階級のインテリのエゴ」なのかもしれない。
でも、だからといって、二郎と菜穂子に、あれ以外の生き方を選ぶことができただろうか。
きっと、他には無かったのだろう。飛行機という「呪われた夢」に創造的人生の10年を捧げ切ること。二郎にはその生き方しかなかった。
事実、職場へ向かう道中に銀行での取り付け騒ぎに遭遇したり、小さな兄弟にシベリアを差し出して拒否されたことを本庄に「偽善だ」と一蹴された後も、二郎がそうした社会的・経済的な格差や悲劇に対して思い悩む描写は全く無い。ましてや、そのことによって飛行機設計に対する情熱が削がれることもなかった
同じく戦争の帰趨に対しても二郎と本庄の態度は極めて淡々としていて、「破裂だな」の一言で終わる。二郎と本庄にとっては戦争の中で「美しい飛行機を作る」ことだけが重要だった。
同様にして菜穂子にも、あれ以外の生き方(あるいは死に方)しか無かったのだろう。当時としては治る見込みが少なかった結核を治すために、孤独な高原病院に移ったことも、あるいはそこを飛び出して二郎のもとに駆けて行ったことも、どちらも運命的に出逢った二郎と「共に生きる」ための彼女の闘いだった。
二郎と菜穂子、それぞれの行動は、決して「家庭や妻を顧みない夫と、献身的な妻」といった図式に回収されない。お互いの存在を想い、愛しつつ、自分の役割を全うした、「ふたり」の人生だった。
妹の加代に「菜穂子さんがかわいそうだわ!」と叱責された後、わずかに唇を歪めながらも、「加代、僕たちは今一瞬一瞬をとても大切に生きているんだ」と、加代を諭すように、あるいは自分に言い聞かせるように語ったことがその象徴のように思う。
庵野秀明の声優起用が話題になっていた。彼の演じる二郎は始終淡々とした話し方だったが、声を震わせ、感情の昂ぶりを見せた場面がほんの数カ所ある。奈緒子が高原病院を飛び出して二郎と駅で再会した時の「帰らないで」と、その後黒川の家で結婚の儀を上げたときの、菜穂子に対する「綺麗だよ」、そして最後に、菜穂子の幻影が二郎に「生きて」と伝えたときの「ありがとう」だ。
二郎と菜穂子、ふたりの生の輝きは、この「帰らないで」「綺麗だよ」から「ありがとう」の間、ふたりが一緒に過ごしたほんのわずかな時間に凝縮されている。
それは同時に、零戦がこの世に生を受けるまでの時間でもあり、菜穂子がこの世を去るまでに残された時間でもあった。
Le vent se lève, il faut tenter de vivre
風が立つなか、ふたりの夢を乗せて空を駆けていく零は、たしかに美しかった。