HSP(とHSC)、数年前ぐらいからじわじわ話題になり、目に見える範囲でもHSPを自認する個人の語りが増えてきたように思うが、話題になったり収まったりまた話題になったりの小さなサイクルの中で、その都度、医学の観点からの危うさを指摘する声も出ているし、色々とうーんという概念ではあるのだが、とはいえHSPが一定の人たちに「求められている」という現象も踏まえて整理が必要だなぁと思う。
HSPは、まだ医学的な疾患概念として十分に精査・吟味されておらず、その状態で雑に流布することが、他の疾患の見落としや、それによって適切な治療や支援に繋がらなくリスクも踏まえると、僕もどちらかというと「診断」や「普及」に対しては批判的に見ている方だ。
一方で、HSPの「名付け」がしっくり来る、安心するという個人の主観的体験と語りが増えていることにも重要な意味があるのだろうし、その実態をうまく解きほぐしたり、橋渡ししたりできればなぁとも思う。
他の疾患カテゴリとの類似点・相違点など、現時点で分かっていること・分からないこと整理しつつ、HSPと自認する多様な個人の感覚と、名付けの「その後」の物語を並べていくと見えてくるものがありそうだ。概念として粗さがあるものの、一人ひとりの生活単位で見れば、HSPという「名付け」を取っ掛かりに、結果として別の疾患カテゴリにちゃんと接続して収まる人もいるだろうし、医学的診断はどうあれ、HSP自認のもと、しんどくならないように色々と生活の工夫をしていく余地もあるだろう。
概念整理はちゃんと丁寧にせなあかんよと思う人なので、雑なブームになっていくことにモヤる一方で、医師が専門家クラスタに籠もって内輪で批判してる間に、一般レベルでどんどん広がっていくことが、将来的に当事者・医療どちらにとってもデメリットをもたらす可能性もあるわけで。チェックリスト的なのをやったら自分に当てはまって「しっくりきた」「安心した」という主観的な体験はよく聞かれるし、それ自体はその人本人の足場としては良いんだろうなと思うけど、「自分もHSPだ」と思う人がたくさん出てくるというのは、それだけ概念として「粗い」ということなのかもしれないし。
専門家の取材やレビューと、HSP自認の当事者の体験を行き来しながら、この少し危うさのある概念との適度な付き合い方を見出していくような企画を、えーと、あれです、いま書いてる本が一段落したら考えようかな。
色々あった上で血液型診断的なレベルに収まってほどよく冷めていくのか、それとも他の精神疾患と比較してちゃんと整理されてもう少し限定的な新規カテゴリとして確立されていくのか、どうなるんだろうね。