「別に今でもそんなに余裕があるわけじゃないけど、毎月の家賃や食費もギリギリだった4,5年前と比べると、少し先々のことを考えられるぐらいにはなってきたね」
昨日の夕方は友人の結婚披露宴にお呼ばれしていて、同じテーブルになった4人でそんな話をしていた。新郎含めた彼らとは、出会ったタイミングが微妙に違うものの、だいたい6〜7年ぐらいの付き合いで、田端のとあるシェアハウスの住人だったり(正確には僕だけ住んでないのだけど東京に家がない時期にしょっちゅう泊まっていた)、東日本大震災のあとに一緒に東北に行っていたり、大学にいた期間が通常より長かったり、誰一人一般的な就職活動をしていなかったりと、そういうあたりで共通点があるつながりなのだが、まぁとにかく当時はカネがなかったのだ。
それが、気がついたら30歳を向かえており、それぞれに結婚をしており、おやまぁなんとって感じ。仕事の方は、会社に務めたり会社を興したりお医者さんになったり変わらずフリーだったりパラレルだったりそれぞれなんだけど、一応は自分の職能でもっておカネをどうやって稼ぐかがわかっていて実践できるようにはなっており、月々の家賃や食費に不安を覚えるようなことはなくなった。むしろ、自分だけで食っていく分には別に困らないんだけど、家族やチームや会社、かかわる人たちと持続的に今後も働いて暮らしていくには今からどうしておけば良いのか?ということが悩みどころになってきていて、つまり僕たちのなかに、ようやくまともな「投資」という物差しが備わってきたと言えるのかもしれない。
この日話題の中心になったのは、家とか土地とか、つまり中長期的に「どこで」住むのかという話。
地元で土地と家を安く買えるかもしれない話とか、ニュージーランドの人はライフステージに応じて家を替えるのだけど、ちゃんと手入れをして購入時より価値を上げて売るから家計収支としては全然ペイするんだという話とか。さすがにそんな金がいま即日キャッシュでポンと出るほどの経済状況ではないのだけれど、それでも短期的に仕事の量を増やして一気に貯蓄をつくるとか、ローンを組むとかといった、ちょっとした「踏ん張り」によってまったく不可能ではないぐらいのオプションにはなってきた。
2年前にこんな記事を書いた。カネがなかった頃の話だ。
この中で、卒業直後のカネがなかった頃に、企業にちゃんと就職した同級生たちは新卒一年目から資産運用の話をしていて、そんなものが基礎リテラシーとしてもう備わっているのかと内心仰天したものである。
いまもまだ、投資信託みたいな、まとまったお金を運用して増やす、みたいなことをしている/できる状態ではないのだけれど、それでも、もう少し広い意味での投資…生まれてきた子どもの将来を考えてお金をどう使ってどう積み立てていくか、どこに住んで家をどうするのか、自分がいまやっている仕事の中長期的な成長に向けて、いまどんな人を採用して、どういう計画で育成していくのか、歳をとって自分自身の体力は衰えていくなかで、いまどこに労力を投下するのか…などといった、ちょっと長い物差しを持てるようにはなった。
振り返ってみても、昨日同席したメンバーそれぞれ、当時はそうせざるを得なかった何かがあったのだろうし、仮にもう一度人生やり直したとしても、そんなに器用に立ち回れなさそうだ。結局キャリアとか暮らしとかおカネというものは、自分にとってしっくりくる付き合い方を、試行錯誤しながらつかんでいくしかないように思うから。
ま、30歳成人説ってことで、ちょーっとだけオトナになりましたか、私たち。