カネがなかった頃の話

「じゃあ19時にこのお店で。会費は5000円ね」

「おー、了解。あーでも、ちょっと仕事長引いて遅れそう。コース人数カウントせずに最後ちょっと顔出させて」

海外だの地方だので活躍している友人がたまたま東京に来るもんだから、大学当時のゼミだのサークルだののメンバーで集まろうじゃないかという類の会は、大学を出てしばらく経つと、やはりちょくちょく催されるようになる。

友遠方より来るあり。久しぶりの再会とあらば是非とも駆けつけるべきなのだが、ここで5000円払ってしまうと月末が乗り越えられない。僕のひもじいお財布事情を誤魔化すように上記のような言い訳をし、終わり際に現れて、ビールをほんの一杯だけ飲む。そういう時期が何度かあった。
 
 
今日書く話は、社会問題としての「貧困」の話では決してないし、公園に住んでダンボールをかじってたぞという『ホームレス中学生』(麒麟・田村裕)よろしくの「貧乏」エピソードでもない。せいぜい「カネがねぇなぁ…」と独り言つレベルの話である。しかし、程度や場面の差はあれ、「カネがねぇなぁ…」感を、人生で経験したことのある人は案外いるのではないかという気がする。

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思うに、貧困とか貧乏の話を除いて、「カネがない」ことのしんどさというのは、かなり相対的なものである。周り(特に自分の所属するコミュニティの中の人たち)と比べて、自分だけ相対的にカネがない。それゆえに、「みんな」が享受している何かが出来なかったり、我慢したり、出来なくはないんだけど残金が気になってエンジョイしきれなかったり、そういうわびしさ。

「カネがない」というのは、要は貯蓄がないということであり、毎月末の引き落とし額から逆算して第3週第4週の乗り切り方が決まるような状態のことだ。1ヶ月スパンでキャッシュを回していくことが精一杯であり、数年はおろか、1年や数ヶ月先を見越した収支計画なんてものがない、というか計画立てようとソロバン弾いても無いものは無いからやること変わらん、みたいな状態のことだ。

や、別にいいと思うんですよ。カネがなくても「豊かな暮らし」は出来るし、カネがなくても人生を謳歌している人はたくさんいる。しかしそこは私たち人間、社会的動物なものですから、働き盛り遊び盛りこじらせ盛りの20代を大都会TOKYOで過ごすような場合には、なかなかどうしてそうはいかない。

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僕の場合、「カネがねぇなぁ…」のみじめさがとりわけ大きかった時期が今まで2回ある。

1回目は、大学学部を卒業して1年目、2011年から2012年にかけてのこと。なんの因果か、僕は宮城の石巻に引っ越して、震災後の約1年半をその地で過ごして働くことになった。その当時のことはいくつかの場所で書いたのでここでは割愛するが、現地での暮らしはとても「豊か」なものだった。収入は事業立ち上げのための助成金から捻出された最低限の人件費と経費だけなので、カネは全然なかったが、お世話になった地元の人たちには毎日ゆく先々で海の幸山の幸をごちそうになり、人生で一番、食が豊かな時期だったと言っても過言ではない。

一方大学の同級生たちは、世にも有名な一流企業に就職していた。昼夜問わずシャカリキ働き、彼らは彼らで大変な1年目だったのだろうけど、とにもかくにもそこは一流企業、新卒1年目としては世の中のかなり上位に入る初年度年収をもらうわけである。

とはいえ僕らは同級生。青春時代を共にした友人たちであるからして、ゼミだのサークル単位だので、たまに集まろうという話にもなる。僕も石巻を拠点にしていたが、打ち合わせやらなんやらで月に1回程度は東京に戻ることがあり、タイミングが合えばそういう場に顔を出そうとする。

夜行バスに乗って腰と背中を痛めながら、日中はリュックを背負って東京の街をうろつき、デザイナーさんやら小売店さんやら助成団体さんやらと会ったりして、隙間時間にはカフェで作業をし、みたいなジプシーワークを終え、夜になって友人たちと合流しようと店を確認する。その場所が、丸ビル。

えー、学生の頃は新宿のきんくら3000円飲み放題コースでうっすいチューハイ飲んでたじゃん。それが丸ビルて。なにその単価アベレージの上がり。的な。

いやいや別に驚くことではない。ライフステージが変われば社交場に選ぶ街も店も当然変わるのである。僕も僕である意味ライフステージは大きく変わったのだ。しかし、カネがない。一軒行って5000円、二軒目行こうものならまた2000円3000円って、そういう速度で英世さんがお財布から出ていくのはなかなかにキツイ。しかもみんな資産運用の話とかしてる。ファイナンスをプランしている!こちとら運用するカネがねぇ!

上に書いたように東北にいる間はむしろ豊かな暮らしをしていたはずである。それが東京に来て、旧知の友人と会うというだけでなんともみじめな気持ちになる。そこで、ほんとにお金が無いときは冒頭のような姑息な遅刻戦術を取ったり、なんだかんだと理由をつけて欠席したりしていたのである。

2回目は、今の会社に入った2014年の春。大学院留学を終えて日本に帰国し、さぁ働くぞというときに、初月給の振込は5月末という罠。この時はほんとにカネがなくって、その日暮らしを乗り切るカネがない、みたいなレベルだった。結局友人にちょっとだけお金を借りたり、あとはクレカを駆使して来月に繰り越したりして乗り切ったわけだが、このときのみじめさは、4-5歳離れた学部卒の同期がフレッシュに溌剌とスタートダッシュを切るなか、大学院まで出てアラサーにも差し掛かった私の生活の見通しの無さなんですか的な情けなさであった。

いやいやそこも含めて前もってやり繰りしておけよと言われればその通りなのだが、留学時代はお借りしたお金でどうにか駆け抜けるので精一杯で、少し残しておいたお金も帰国と引っ越し費用が思った以上にかかったものだから、帰る頃には財布も口座もほとんどすっからかん状態だったのだ。帰国後に「久しぶりに会おうよ!」と言ってくれた可愛い女の子をデートにも誘えない。しょぼん。

とにかく、「カネがない」みじめさというのは、自分ひとりだけで生じるものではなく、相対的なものなのだ。今となっては「そんな時代もあったね」と笑えるぐらいのお話だが、当時はやっぱり、しんどかった。

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そんな僕だが、最近「カネがない」年下の子たちと接する機会が増えてきた。

休学して地方から東京に出てきて企業でインターンをしたり、既卒なんだけどアルバイトをいくつか重ねて正社員を目指していたり、一回企業に就職はしたんだけど色々わけあって続かずにまたアルバイトをしながら次の正社員就職先を探したり…そういう子たちである。

ちょっと当時の僕に似ている、「はざま」や「ねじれ」の時間を過ごしている子たち。こういう状態の時は、よっぽど実家が太くない限り、往々にして「カネがない」。そして同世代を横目に見ると「安定」を手にしている友人が出てきている。なかなかこういう時は不安である。

「いやいや、そうなることがわかってるならちゃんと計画立てて動きなよ」と言う人もいるかもしれない。でも、こういう子たちが全くの向こう見ずで無計画なモラトリアムかというと決してそうではなく、一人ひとりなんらかテーマを持って行動を起こしてはいる。ただそれが粗削りで稚拙だったり、内面の煩悶と社会との折り合いの付け方に時間がすごくかかるゆえに、他のみんなほど上手に世渡りできなかっただけのことだ。

「はざま」の時間に飛び込む時というのは、理屈で予定立てられたアクションであることはほとんどない。人間のエネルギーというのは脳みその思考キャパ含めて総量限られているものだから、とにかく彼・彼女らはのっぴきならない熱に突き動かされて東京までやってきたのだ。それはもう、結果として仕方ない。
 
 
そんな彼・彼女らに対して、僕ができることはさして無い。「はざま」の時間の孤独と不安に耐えるのは他ならぬ自分自身だし、飛び込んだ以上、その中から活路を見出していくしかない。

ただ一言、会ったときには「おなかすいたら連絡ちょうだい」と言うようにしている。

僕自身も「カネがなかった」頃、社会人の先輩たちにそうやって声をかけてもらってきたからだ。そして実際、たまに会ってごちそうになり、お腹と心を膨らませてもらっていたからだ。そういう先輩たちの一言に、どれだけ救われたことかわからない。
 
 
今に至っても運用する資産など皆無で、借金もたくさん残ってはいるが、少なくとも向こう1ヶ月や2ヶ月のキャッシュフローを考えて、お財布と通帳とカレンダーとにらめっこする必要はなくなった。

さすがに丸ビルには連れて行かないけれど、場末の居酒屋でレモンサワーを奢ることぐらいはできる。
  
僕が予想するに、君たちの「カネのなさ」というのは、あともうちょっと続く気がする。見ていて、そんなに劇的に儲かりそうな気がしない。だけどきっと、じわりじわりと状況が好転していくとは思う。同じような時期を過ごしたパイセンが言うのだから安心してほしい。

だからそれまでは、「おなかすいたら連絡ちょうだい」。社交辞令じゃないからね。

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てんやの天丼

今朝、訪問販売があってさ。寝起きで頭働いてないし、表情見れば成約しないって分かるだろうに、妙な粘りを見せてくる恰幅の良いおねえさんで、身体に優しい牛乳とか売ってくる前にあなたの優しさをくださいよ勘弁してくださいよ。と思った。

人と会う用事がいくつか入っていたので、着替えて出かけた。

人と会った。仕事の話をした。
人と会った。仕事の話をした。
人と会った。仕事の話をした。

報告をして、事実確認をして、だれがいつ何をやるかを決めて。
だいたいのことはそうやって冷静に粛々と進める以外にないのであって、今日もご多分に漏れずそういうことだったのだけど。
もやっとしたことがあったので、ちょっと、言葉に、出した。

肝心のところで吃る。

それぞれの人たちがそれぞれのところで大変なこと日々いっぱい抱えてるんだろうな、ということを踏まえてブレーキをかけてもやっぱりもやっとがもやっとしたままもやっと出てきた。

肝心のところで吃る。
 

家に帰ることにした。
電車に乗った。いくぶん冷静になって。勉強になったな、と。反芻した。 
 
 
阿佐ヶ谷に帰ってきて駅前のスタバでひとしきり作業をした。それでもやっぱりどうにも元気がでないので、「あぁ、今日はほっとする場所でほっとするものを食べないとだめだ」と考え立ち、高円寺にある知り合いのカフェでビーフストロガノフを食べることにした。歩いて15分ぐらい。休みの日だった。もうラーメンでいいやという気分になったけど、高円寺のラーメン事情に詳しいわけでもなく、「高円寺 ラーメン」と検索してもろくすっぽテンションが上がらず、きっと半ラーメンだって食いきれないだろうというぐらいろくすっぽテンションが上がらず、最近の不摂生もあるので、やっぱり今日は家で自炊しようと考え、高円寺駅から電車に乗り、あやうく新宿方面に連れ戻されるところ、ドアが閉まるギリギリで気づいて外に飛び出し、阿佐ヶ谷駅に降りてとぼとぼと歩き出して、結局駅北口ロータリーにあるてんやに入った。

てんや。何の変哲もない。てんや。
駅を降りればすぐ目に入る黄色い看板。
座れば3分であたたかいものが食べられる安心感といったらない。

隣のバーガーキングには入ったことがない。
バーガーキングには良い思い出がないからだ。

毎月18日の「てんやの日」には390円の「サンキュー天丼」が食べられるのだけど、500円だって今の僕には十分サンキューだ。テーブルの上には、子持ち白魚と活〆穴子の早春天丼(税別769円税込み830円)の写真があったのだけど、今の僕には穴子がなくたって普通の天丼と普通のお味噌汁とあったかいお茶があればサンキューだ。

てんや。何の変哲もない。てんや。
てんやの天丼。天丼美味しい。

食べてから家に帰った。
 
 
 
そういえば今朝、訪問販売があってさ。寝起きで頭働いてないし、表情見れば成約しないって分かるだろうに、妙な粘りを見せてくる恰幅の良いおねえさんで、身体に優しい牛乳とか売ってくる前にあなたの優しさをくださいよ勘弁してくださいよと思ったのだけど。

あの人も、明るい笑顔と、よく通る声と、粘りの営業トークを武器に、お宅訪問を繰り返しながらも、たくさん断られて、たまに成約して、たくさん断られて、で、やっぱりちょっと、落ち込むこともあるのだろうか。

きっとあるのだろう。それでもまた翌日も翌々日もお宅訪問を繰り返すのだろう。

身体に優しい牛乳、売れると良いですね。

表現する人とその作品に対してできること

10年ぐらい前は、世の中には「アーティスト」という人種がいて、そういう人たちはお茶の間のテレビを通してしか見ることのない特別な世界に生きているのだと思ってた。

もちろんそんなことはなくて、実際に会ってみると、ちゃんと同じ人間である。色んな人がいるが、ともかくも生きていれば腹が減るので、メシを食う必要がある。表現だけしてもそれ自体では腹は膨れないので、色んな方法で身銭を稼いでいる。そして食っていっている。

写真家さんや被写体さんやメイクさんは、スタジオを借りて一緒に「作品撮り」というものをする。自分たちの表現を追求するためでもあるし、評価の対象となる、ひいては仕事のきっかけともなり得るポートフォリオを増やすという意味もある。しかし作品撮り自体は自費折半なので、撮られた作品がすぐお金になるわけではない。なので、雑誌やテレビや広告で、クライアントありきの仕事を請けたり、写真スタジオに勤めたりして、日々の稼ぎを得たりする。こういう人たちは、一つの生業に専従しているとも言えるけれど、表現物の自己表出性と商業性は、一部重なりつつ微妙に幅を持っている。

生活の糧と表現活動を分離している人もいる。普段は全然違う仕事をしてお金を稼いで、生活の余剰で作品制作をする。そうして作った作品自体が売れることもあるけれど、それ自体を主たる収入源としては位置づけていない。表現活動を、余暇や趣味と捉えていたり、あるいは真剣だからこそお金や商業性と分離したいと思っていたり、その動機は色々だけれど。

作品制作一本で勝負している人もいる。パトロンを見つけるなりグランツを取るなりして制作費をなんとかかき集めて、作品をある程度まとまった数作り、展示やパフォーマンスの機会を作り、あるいは営業をして、作ったもののうち2つでも3つでも、単価100万や200万で売れれば収支トントン、みたいなサイクル。NYにいる間、このタイプのアーティストの個展の手伝いを何度かしたことがある。日本から大判の作品を大量かつ厳重に空輸してNYで展示するプロセスと労力を目の当たりにして、「いやこれ大変っすわ…」としみじみ思った。結婚していて子供も2人いて、これ一本で一家を養っている人なんかも、いた。うひゃあ。

生活設計全体で考えればこの他にも色んなバリエーションがあるだろうけれど、ともかくも、作品を買ってもらうというのは大変だ。まずもって生活必需品ではないものを、欲しいと思ってもらい、財布の紐を弛めてもらうのは、そう簡単ではない。

なおかつ近年では、テクノロジーの発展によって、プロとアマの距離が大きく縮まった業界もある。代表的なのは写真。日本で知り合って、NYにもちょくちょく来られるベテランの写真家さんが、ここ数年で何人も知り合いが廃業したと言っていたのは印象深かった。昔はプロの技術でないとできなかったことも、機械が勝手に調整してくれるから、無理にプロに頼まなくても事足りる事例と領域が増えたのだ。だからこそ、写真一本でプロとして仕事を貰い続けるには、世界観とか、視点とか、文脈づくりとか、技術以外の差異が必要になってくる。それから文章も。インターネットで誰でも世界中に向けて書くことができるし、プロでなくても良い文章が出てくる。書いた原稿や本にお金を出してもらえるハードルが高くなったという点では、ライターさんや作家さんも、大変だ。

別にギョーカイに詳しくなったわけではない。でもとにかく、表現をすること、より正確には表現を「続ける」ことの大変さは昔より実感を持って理解したと思う。伴って、表現する人や作品に対する接し方が変わってきた。端的に言うと、お金や時間をより多く表現物に向かって使うようになった。もっと使えるようになりたいと思っている。

表現物を「買う」ことは一番シンプルかつストレートな応援だから、自分が好きな人、応援している人の作品はなるべくお金を出して買いたい。ただ現状のところまったくもって稼ぎが少なく、なんだったら学費で借金まみれでもあるので、すぐに買えるのは、本・CD・DVDや、ライブ公演・映画のチケットなど、販売・配信規模と利用者規模ゆえに比較的単価が低く抑えられる種類のものぐらいだ。

表現作品の価格は、制作に必要な物理的な資源・経費の多寡と、作家本人の「格」-地位や名声のセットで上下する。だから大判の絵画や書画、石や鉄の彫刻、家具や家なんかはちょっと今は手が出ないし、自分が見つけて好きになった時にはすでに売れっ子である人の作品とかは、目眩がするぐらいに値札のゼロの数が多い。そういう場合はせめて、展示会などがあればなるべく足を運ぶようにしている。そこで作品を観て感じたことを、考えて言葉にして、後日感想を送ったりするようにもしている(買った場合でも勿論そうだけど)。

だから最近は、もっとたくさんお金を稼ぎたいなぁとも思うようになった。自分のためだけではなくて、この人たちの作品にお金を使いたい、と思える人とのご縁が増えたから。

お金を稼ぐだけじゃなくて、その人達の表現する世界に恥ずかしくないだけの、感性とか思考とか、もっと言えば生き方を目指さなきゃいけないなぁと、思うようにもなった。

つまり、総合的に言って、「欲」が出てきた。お金とか贅沢に対しての欲じゃなくて、「成長」とか「投資」に対する欲と言って良いのか、これらの言葉が100%しっくりきているわけではないけど、何か、そう言っちゃっても良いような前のめりな熱が、自分の中に育ってきているのを感じる。もうひとつ言うと、自分自身が表現することに対する欲も。僕の場合は書くことで。勿論まだ全然売れてないんですけども。

作品づくりは、エネルギーが要る。それは表現する人の生命の、生き方の写し絵でもあるから。作る方も、受け取る方も、テキトーではやってられない。

作品と向き合う、向き合える自分であろうとすることはつまり、より善く生きるということなのだと思う。