閒との出会い

 あれはいつ頃のことだろうか。ひょんなことから鈴木悠平さんと出会い、そしてこれまたご縁があって悠平さんの主催する閒(あわい)というコミュニティに入ることになった。

 閒とは「ものやことの間」というのが主な意味らしく、人と人との間に生まれる科学反応を楽しむ、というのが初見の私のかなりざっくりとした閒という概念への理解だった(もっと緻密で素敵な悠平さんのステートメントは閒のトップページに書いてあるので、是非読んでみてください)。


 そもそもコミュニティとしての閒はどんな場所かというと、slackというツールを使って内部の人達と交流したり、読書会をしたり、ワークショップを開いたり。そうかと思えばのらりくらりとバーチャルチャット上でカフェやバーが開かれたり、企画会議をしたり、また、それぞれの興味関心を活かした勉強会をしたり、とさまざまだ。小説を書いたりリレーエッセイを書いたりもするし、何故か閒のメンバーではない人(当時)の家で突然草刈りをするイベントがあったりと、謎の活動も多くて思わず笑ってしまう。

 「分報」という各人のTwitterのようなスペースをつくることもでき、つくりたい人はつくり、そこでゆるやかに閒の中の人達と交流を深めることができる。


 今回は私が閒で連載を持つことになったので、閒というコミュニティがどんな場で、そして私がそこで何を感じ、どれだけ助けられているかや、どんな発見があったかを、「私とあわい」というテーマで書いていこうと思う。叶うならば読者のみなさんが最後までこの画面をスクロールしてくださることを祈る。


 私が閒というコミュニティの中で一番初めに大きくお世話になったのはとある個人的な事件がきっかけだった。私はそれを後々「包丁こわこわ事件」と名付けて呼ぶようになる。

 最初閒に入りたての頃は、分報(個人が好きなことを書きこんでいい場所)文化もそこまで発展していなかったと記憶している。slackの中のさまざまなチャンネルの中で「空き地」という場所がなんとなく風情ある名前だなと思って気になる場所だった。「空き地」だから何を書いてもいい。そういう場所だった。

 閒のスタンスは他者の発言にレスポンスしてもしなくてもどちらでもいい、強要しないというものなので、「空き地」なんて名前がついてる場なら、なんとなく独り言を呟いてもいいんだろうな、と感じていた。そして「空き地」という何にもない場が用意されているところが主催者の悠平さんらしいな、とも思った。

 

 話を戻そう。

 私は統合失調症という病気を持っていて、何度か再発を繰り返しているのだが、そこで心痛むことながら愛する祖母に暴力を振るってしまったことが一度だけある。妄想と幻聴、幻覚に襲われてそうならざるを得なかったという過去を持っているのだ。

 そんな背景を持つ身としての私は、病気のせいで、自分の意思とは関係なく、人を物理的に傷つけるのを、とても恐れていた。

 私にはフィアンセがいる。彼とはいつからか同居をするようになって、狭い部屋の中で一緒に食事を摂り、一緒に眠り、ときに変な踊りを踊ったりしながら、共に愉快な生活をおくっていた。


 あるとき、夜中に目が覚めて、お手洗いに行ってベッドに戻ろうかとしたとき、台所のシンクの中にさまざまな食器類に紛れて包丁があった。私はそのとき瞬間的に、「もし私の病気が再発して、我を忘れ、彼をこの包丁で傷つけたらどうしようか」と物凄い恐怖心に苛まれた。

 一度眠りなおし、翌日彼は会社に出勤していったのだが、どうも昨晩の強迫観念ともいえるような感覚が消えず、ひとりきりで部屋にいて、不安な気持ちが増していくばかりだった。「もしものことがあったら、どうしよう」。こわい、こわい、こわい。恐怖と不安でいっぱいになった心ははちきれそうで、そのときふと閒の「空き地」チャンネルのことを思い出して、思いのたけを言語化した。誰かに聞いてほしい。SOS、SOS。

 するとすぐに悠平さんが「ここまで詳しく(現状を)言語化できていることがすごい」とレスポンスをくださった。そして悠平さんと少しDMで対話し、解決策を考えた。悠平さんにこのとき、分報を作ってみるとよいよと勧められ、閒のスペースの中に分報を作ってもらった。「自由帳のように好きに使っていただいて構わないよ」と悠平さんは言った。

 分報の中で私は自分のさまざまな思いーそれは例えば包丁が怖いという恐怖にどうやって立ち向かっていくのがベストアンサーか自分で考えて言語化したものや自分自身の持つ苦しみーを吐き出せるだけ吐き出した。そしてそれによって、他者からのアプローチとともに自ら考えてどうやってこの問題に対処するか懸命に自分で考えた。そして閒で過ごす時間が少しずつ増えるにつれ、分報を持つ人が増えていった。その中でスタンプをつけて「見てるよ」「お大事に」と確かめあったり、コメントがついたりする中で、私の心のよどみは少しずつ消えていった。分報の話は、いずれ一記事を使って詳しく書くかもしれない。


 話を戻すと、今でも包丁を使うのが少し怖くて、彼に料理を任せていることが多いけれども、私達の家庭はおおむね平和に運営されているので、もしものことがないようにいつも気を付けてはいるが、楽しく家庭生活を送ることができている。

 この出来事を「包丁こわこわ事件」と私は名付けた。包丁で人を傷つけてしまうかもしれないという物騒な話も、一応乗り越えることはできた。そしてその出来事を少しかわいらしい言い方で表すことで、自分にとって「トラウマ」にせず、乗り越えることができる一つの想い出にしたい、という意味を込めて名付けた。かわいらしい響きだから、あのときの不安の念を思い出すことも全くなくて、後から思えば本当によかったと思う。


 こんな「包丁こわこわ事件」から始まった私の閒での活動は、今や多岐に渡る。そのすべてを公にできるかどうかはわからないが、さまざまな人との新しい出会いや発見などのエピソード、そして自分の思想や生活態度の変容、なんだか色々含めてまるっと「落ち着く居場所」が閒という場だ。今回は導入としてこのくらいにしよう。次回は何を書こうかまだ決めていないが、閒の中であった印象的な出来事や、ワークショップや企画などの話、印象的な人のことなど、さまざまな切り口から閒を紹介していこうと思う。ここまで読んでくださって、ありがとうございます。ではまた。