銭湯の中の物語

近所のスーパー銭湯に行く。脱衣所で服を脱ぎ、丸裸になって銭湯の中に入る。

シャワーでまず眼前の鏡のくもりを洗い流し、安っぽい銭湯に備え付けのシャンプーで髪を洗う。髪を洗いながら、鏡に映る自分の肥えた身体を見る。ぽっこりと出たお腹に軽く落胆し、同じように肥えて大きくなった乳にはまだハリがあることを確かめる。4年ほど前と比べたら15kg近く太ったので、自分の体型の変化に少しがっかりする。

身体を洗い終わって、まず銭湯の中心部にあるお湯に浸かる。その風呂は風呂の中心からぶくぶくと水流の泡が出てくるもので、大体37度と記録計に表示されていて、ぬるま湯で気持ちがいい。そこでふと、目の前に乳がすっかり垂れた女がいることに気がつく。顔を一瞥して、何事もなかったかのように虚空を見やる。次から次にこのお湯に入ってくる女たちがいて、私はついついその女の乳ばかり見てしまう。垂れているか、ハリがあるか、乳首の色は薄いか濃いか、そして顔をちらりと見て、何事もなかったかのようにどこでもないどこかを見ながらお湯に浸かる。出ようかなと思ったときに若い女がひとり入ってきて、ハリのある綺麗なおっぱいだなぁなどと考えながら、また視線を虚空に戻す。

いよいよ次の風呂に入るかとその湯を出て、ジェットバスに入る。激しい水流が背中と足元から出てきて、気持ちいいのだが少し疲れてしまう。早々にジェットバスを出て、出る際に気持ちよさそうに目を閉じてジェットバスに居る女がいるのを見る。

次は露天風呂だなと思い、ほたるの湯という天然温泉に入る。冬の寒い外気に少し熱めの湯が心地よい。ここでも私は女の乳を見る。ちょっと垂れた乳、だらしなく下がりきった乳、ピンとハリのある乳。なんで私はこんなに乳ばかりに気を取られているのだろうと今になって思うが、それくらい女の乳は強烈にその人個々人の人生を物語っているようにも思う。何故ぼんやり湯を楽しめないのかわからないくらい、人の乳ばかり見ている私がいる。男に抱かれ、あるいは赤子に吸われ、そういったひとびとの人生を見ているような気持ちになる。

すっかり身体が温まって、次はサウナに入る。熱がじっとりとこもった箱の中で、ぼんやりとテレビを眺めると、湘南美容外科のCMが流れている。この箱に今まで出入りしてきた女たちはどんな想いでこの場所にいたのだろう。

サウナ慣れしていない私は身体が熱くなってきてすぐにサウナ室を出る。そしてまた、銭湯の中心部のぬるま湯に浸かる。真隣にはさっき見かけた綺麗なおっぱいの女性がいて、手の爪の方を見ているのがわかる。ネイルを見ているんだろうか。私も同じように手を伸ばして、中心部から湧きだす凄まじい水流の泡を確かめる。泡は波のように中心部から周縁に流れてゆき、端っこで浸かっている私の手のひらに向かってやわらかく激しい圧力をかける。波が、泡が、私の方に流れ込んでくる。ここでふと津波のことを思い出して辛い気分が一瞬頭を過り、その瞬間にお湯から出る。

最後に身体をシャワーで流して、脱衣所に戻る。身体を拭き下着と洋服を身に纏い、ドライヤーで髪を乾かす。安いシャンプーだからだろう、髪の毛はいつもよりキシキシとして、化粧水も備え付けていなかったので肌も乾燥したまま脱衣所を出る。脱衣所を出る前にコーヒー牛乳を買い、リラックススペースで落ち着いてごくりとそれを飲む。温まった身体に冷たく甘い液体が染みわたっていくのを感じる。煙草を吸って、帰路に着く。

あんなに女たちの人生を考えることもそうそうないだろう。一時の、いい体験をした。