絵画教室に行く

スマホをスワイプしていると、坂口恭平のパステル画が目に入る。坂口恭平がパステル画を描いていることは以前から知っていたし、いいな、自分にもこんな絵が描けたらいいのになと思っていた。他にも抽象画や具象画がたまにSNSで流れてくるのを見る度に、「描ける」ひとへの憧れが確かにあった。しかし今までは「こんなこと自分にはできないだろう」という諦めが自分の中にあり、挑戦したいという感情はなかったことにしてきた。

偶然その日目にした坂口恭平のパステル画は、青を基調とした抽象画・波の絵で、この作品を見たときに直感的に「自分も描ける人間になりたい」と思った。その場でパステル画を描く方法を調べ、独学では学ばない方がいいと判断した私は、京都市内にある絵画教室を片っ端から調べた。芸術系学校への進学塾のような絵画教室がほとんどで、大人が趣味で学べる絵画教室は限られていた。直感から即行動するタイプの私は、その日のうちに見学に行ける絵画教室がひとつしかないことを調べだし、その教室に電話をかけた。見学に行っても大丈夫だということを確認し、バスと徒歩で1時間近くかけて教室に向かった。

教室に入ると、白色の長机がワンフロアに等間隔に並べてあり、生徒たちがそれぞれの場所で黙々と何かを描いているさまが見える。先生は芸大の大学院出身らしく、白いマスクの中でくぐもった声を篭らせながら私に教室の説明をする。一通り説明を受け、今日はパステルの体験はできますか?と尋ねると画材がないので無理だが、鉛筆のデッサンならば可能ですよと言われ、是非体験させてくださいと話す。

先生は大きな画台と二枚の画用紙、鉛筆、カッターナイフを持って私を席に促す。まずは鉛筆を削るところから始めるんですよ、と先生は言う。カッターナイフを使って先生の手で削られていく鉛筆を見つめる。デッサン用の鉛筆の削り方は普通に鉛筆を使う場合と全く違う。カッターナイフで真っ新な鉛筆をまず芯の部分が見えるまで削り、芯の部分が長くはみ出るように重ねて削っていく。最後に先端部を極限まで鋭角に削れば出来上がりだ。

デッサンをしたことはありますか?と先生は訊ねる。私はいえ、ありませんと答える。私がまず描き方の見本を見せますから、見ていてくださいねと言い、先生は画台の目の前にひとつのトマトを置く。こういう風に持つんですよ、と言う先生の掌は鉛筆をやわらかく包むように掴んでいる。

先生は訥々と説明をしながら、画用紙の上下左右に中心線を引き、大きな丸を軽いタッチで描く。先生の鉛筆の動きを見つめる。トマトの形を画用紙に起こしていくさまをみつめながら、手の動きに何の迷いもないことを感じる。出来上がったトマトの絵を見て、ではやってみてくださいねと言われ、緊張しながら先生の座っていた席に座る。

まず中心線をうまく引くことができない。大きな画用紙を目の前にして手がうまく動かず、どうしてもヨレてふにゃっとした中心線になってしまう。はじめてだから仕方がないかと諦め、丸を描く。丸も中心線と同じようにうまく描けない。何度か練り消しで消して、なんとか丸らしいものが描ける。ヘタを描き、陰影をつける。デッサン用に削った鉛筆の線が濃い・薄い・太い・細いという表情を表す。徐々に腕が、指先の鉛筆が手に馴染んでくるのを感じる。腕時計を見ると30分くらい集中していたことがわかる。陰影をつけ、トマトの形を徐々に浮き上がらせていく。残り時間が5分くらいになって、練り消しでトマトの光っている部分を慎重に整える。ここでミスをするとデッサンが台無しになってしまうと思い、トマトを見つめ、光を入れていく。

時間になると各生徒さんたちが自分の作品を壁の隅に並べる。私の作品も並べる。各生徒さんが描いていて感じたことや課題だと思うことなどを述べ、それに対して先生が講評する。私のトマトの番になると、先生はやはり少し口をもごもごさせながら「鉛筆の使い方が丁寧でいいですね。いいと思います、いいです」と一言だけ話す。じんわりと嬉しい。


私は元々パニック発作持ちで、1時間もかけて公共交通機関をつかって教室に毎週通うのはかなりの困難を伴うかもしれない。しかし、達成感があった。稚拙でもひとつの作品を作り上げることは大きな喜びを伴うものだと感じた。またここで絵を描きたいと思った。そして絵を描くことは、違う表現方法を学ぶことは、私が文章を書くことにも活きそうな予感がした。

この教室に通おうと思っている。私のことだから、いつまで続くかはわからないけれど、ひとつの大きな挑戦になるかもしれない。