僕が「適応障害」と診断されたのはもう2年以上前のことだ。職場に行けば咳が出て、ミーティング前には動悸が走る。「あ、これはダメだ」と気づいて受診した。先生に診断書を出してもらい、職場に報告と相談をし、その時点で出来る限りの業務調整・負荷軽減を試みて、どうにか残りの半年を乗り切った。診断を受けた直後、いわゆる急性期は1,2週間に1回の頻度で通院し、先生に細かく状況共有しながら回復の道筋を立てていたが、程なくして落ち着いてきた、というか、もっともしんどい時期は乗り切ることができたと判断したので、通院頻度を月に1度に落として、そこから現在に至るまで通院・服薬を続けている。
診断を受けた当時のようなわかりやすい症状はもう出ていないし、日々の仕事や生活にも大きな支障はない。異動をしたり、独立したり、この2年で働き方を徐々に変えていき、発症当時のようなストレスがかかる状況にはない。さて、そんな僕はまだ「適応障害」なのだろうか?僕は「病気」なのか、「健康」なのか、どちらなのだろうか?
1つ目の問いは簡単で、答えは「NO」だ。疾患には「診断基準」というものがあり、それに該当すると医師が判断すれば、あなたは○○障害ですね、と診断がくだされる。適応障害の場合は以下のような診断基準になるが、これに照らし合わせると僕はもう該当しないと言って良いだろう。
以下のA〜Eをすべて満たす必要がある。
A. はっきりと確認できるストレス因子に反応して、そのストレス因子の始まりから3ヶ月以内に情緒面または行動面の症状が出現
B. これらの症状や行動は臨床的に意味のあるもので、それは以下のうち1つまたは両方の証拠がある。
(1) そのストレス因子に暴露されたときに予想されるものをはるかに超えた苦痛
(2) 社会的または職業的(学業上の)機能の著しい障害
C. ストレス関連性障害は他の精神疾患の基準を満たしていないこと。すでに精神疾患を患っている場合には、それが悪化した状態ではない。
D. 症状は、死別反応を示すものではない
E. そのストレス因子(またはその結果)がひとたび終結すると、症状がその後さらに6ヶ月以上持続することはない
『精神疾患の診断・統計マニュア ル第 5 版(DSM-5)』より
疾患ごとに診断基準は異なるが、精神疾患においては、抑うつとか気力の減退といった具体的な症状のエピソードだけでなく、それがどの程度持続しているかという「時間」の観点、それが日常生活に著しい支障をきたしているかという、「障害」の観点が診断基準に含まれているのが特徴だ。乱暴に言ってしまえば、「別に仕事や社会生活には支障出てないですよー」という状態であれば、診断基準からは外れることになるのだ。
では、2つ目の問いはどうだろう?「適応障害」ではもうないとして、じゃあ僕は「病気」なのか「健康」なのか。これがなかなか難しい。診断を受けた直後の急性期からはとうに脱した。しかし「病前」に元通りかというと、決してそんなことはない。
まず、疲れやすくなった。無理のない範囲で運動をするようにはしているが、一度調子を崩して、ガクッと落ちた体力は、なかなかすぐに回復しない。
それから、ストレスがかかったときの身体反応が出やすくなったように思う。ちょっとヘビーな出来事に直面すると、すぐ汗や動悸が出てくるようになった。抑うつ状態というほどではないけれど、憂鬱な気分を抑えて、よしやるぞ、となるまでにけっこうな時間がかかる。「気合で乗り切る」という言葉があるが、乗り切るための気力の最大値がそもそも減ってしまったし、かつそれがチャージされるまでの時間がかかるようになったという感覚だ。
「仕事」に使える時間の総量はかなり少なくなった。一番頭がスッキリしていて生産性が高いのは午前中だが、朝型になったというより、夜にはもう仕事ができるエネルギーが残っていないのだ、という方が正しいだろう。晩ごはんを食べたらもう身体が完全に「寝る」モードになって、その後パソコンを開いて作業をしようと思ってもまったく機能しない。早朝の電車に乗ってオフィスに行き、夜遅くまで働いて終電近くで帰る、みたいな働き方はもう二度とできないと思う。そもそも、そんな働き方をする方が異常ではないかと今となっては思うし、本来、これぐらいの労働量で十分なんじゃないかとも感じる。元々そんなに身体が丈夫な方ではなかったし、診断を受けたことがちょうど良いブレーキになってくれたとも言えるだろう。ただ、スタートアップや新規事業などで、昼夜を問わずしゃかりき働いているような年若い後輩たちを見て、彼らと同じ土俵ではとても働けないなぁ、という寂しさに似た感情を抱くことが、時たまある。
そして、今も通院・服薬を続けている。これが診断後に新しく加わった、「日常」のルーチンだ。
僕に処方されているのは、レクサプロ(一般名:エスシタロプラム)という薬で、SSRI(選択的セロトニン再取り込み阻害薬)と呼ばれる抗うつ薬の一つだ。夕食後、寝る前に1錠、10mgを飲むことになっている。最初のうちはなかなか習慣化できず、週の半分ぐらいは飲み忘れてしまい、通院のたびに薬を余らせてしまった報告をして「コラッ」と先生に突っ込まれていたが、今となってはすっかり日常の一部となった(たまに夜飲み忘れて翌朝飲んでいるのはナイショだ。あと、やっぱりたまに、たまーにだけど完全に飲み忘れることもあるのもナイショだ)。
途中から「自立支援医療」にも申請をし、受給者証を取得した。通院による継続的な治療が必要な人が申請・利用できる制度で、通常3割負担の医療費が1割負担まで軽減されるものだ。精神疾患の治療は長期におよぶことも少なくないため、経済的な不安を軽くすることで、体調の安定や治療への専念をサポートしようという趣旨で作られた公的支援である。今も通院を続けているので、この制度の恩恵に預かっている。
ストレス因からは離れ、不適応状態ではなくなった。通院・服薬は継続し、公的支援も利用しているが、疲れやすかったり、たまに症状が現れたりする以外には、特段困ったことはなく、概ね安定して就労できている。というのが、「適応障害」の診断から2年強が経った僕のステータスだ(途中からADHD症状に対応する薬であるコンサータも処方されたが、その件については別の機会にまた詳しく書く)。
さて、今のこの「状態」をどう表現したら良いだろうか。適応”障害”ではないけれど、自分は「健康」です!と言うには憚られる。かといって何の「病気」かと言われると特定も難しい。治療、回復、寛解、完治…色んな言葉があるけれど、どれもしっくりこない。病気と健康のあいだにある、名付けようもない曖昧な状態を漂っている。そんな感覚だ。
「だいぶ調子が戻ってきた感じがするけど、この薬はいつまで飲むのが良いのだろうか」
「ゆうへいにとっては、やっぱりお薬はどこかで『やめるもの』って存在なんだね」
診断から1年ほど経った頃だろうか。家で薬を飲みながら何気なくつぶやいた一言に対する、ツマの返しが印象に残っている。
そうか、俺は断薬を希望しているのか。
いや、「希望」というほどはっきりした意思ではない。
でもやはり、「飲まなくてよくなる日」が来るといいなぁ、と無意識下では思っているのかもしれない。
つまり、僕の中にはまだ、今この状態が「異常」で、飲まない状態が「正常」というか、本来の自分なのだ、という感覚が残っている、ということなのだろうか。
精神疾患というものの性質上、自分の人生にそれまでなかったものが途中から(後天的に)出てきた感じがするから、「元に戻る」ことを無意識に指向してしまうのだろうか。
ツマにそう言われた時に、こんな風にいくつかの思考がほぼ同時に頭の中に浮かんできた。今も時おり、同じような逡巡をすることがある、
もちろん、薬をやめることが「ゴール」とは限らないことは十分にわかっている。診断を受けた直後、躊躇いもなくそのことを開示できたのも(家族や上司だけでなく部下や同僚、果てはブログに書いて全世界に公開した)、病気に対するネガティブな意識が比較的薄かったからだろう。それはここ数年、さまざまな疾患・障害と共に生きる人たちを訪ね、話を聞き、関係を結んできたことが影響している。
「回復とは、回復し続けること」
「病気を克服しようとするのではなく、隣人として共に生きていく」
「元に戻るというより、別の地点に向かって再発達する」
先輩たちから受け取ってきた色んな言葉が、今も僕を支えてくれているのは確かなのだ。
それでも時折、「薬をやめる」ことを将来のシナリオとして考えるのはなぜなのだろう。
どうしてたかだか寝る前10mgのお薬に、それもすっかり習慣化した存在に、未だ「異物感」「ヨソモノ感」を抱いているのだろうか。
疾患の種類や症状によっては、薬は始めたりやめたりするものでなく、「飲み続ける」ことが生きるのに不可欠だということも少なくない。薬以外にも、体の成長に合わせて義手・義足を変えるとか、視力の変化に応じてメガネやコンタクトレンズの度数を変えるとか(これは僕も経験している)、僕たち人間は、身体の色んな凸凹を、医学や工学によって補いながら生きている。
それに、何かを習慣的に取り入れるという点では、コーヒーやお酒、タバコといった嗜好品もたくさんある。さっき薬のことを「異物」と書いたが、飲むときになんの苦痛も苦労もないし、身体に入ったあとは、それが溶けてどう作用しているかを感じることもできない。その点ではアルコールのほうがよっぽど「異物感」あるだろう。
ただその分、掴みどころがない感じがなんとなく気持ち悪いというか、気持ち悪いっていうより気になるっていうか、どういうことなんだろうな、という感じがずっと残っている。診断名と身体感覚の不一致とでも言えばいいだろうか。
あぁつまり、問題は「薬」そのものではなくて、「薬を飲んでいる自分」に対するぴったりの”名前”がない、ということなのだな。
当初与えられた名前である「適応障害」の基準からは、とっくに脱している。しかし未だに通院と服薬は続けている、この状態には名前がないのである。
病気に対する治療やケアは、もちろん医師や薬だけがするものではない。心理療法は医師以外でも出来るし、食事・睡眠・運動といった日常的な生活習慣を整えるのは自分や家族といった家庭でやることだ。自助グループや当事者研究などで、似た経験を持つ仲間たちと対話することも、症状の理解、ひいては安定に大きく寄与してくれる。そう考えると、医師にしかできないことは実はそんなに多くなくて、要は「診断」と「薬の処方」だけである。しかし、だからこそそれが大きな存在感を持っている、とも言える。
「診断」を下す、目の前の患者の状態に「○○病」「△△障害」といった名前を与えるという行為は、その特徴や要因を特定し、適切な治療や支援に繋げるために行われる(健康ではない、というだけでなく、他の疾患の可能性を排除する、という意味もある)。診断前後の僕自身は連続した存在であるが、「名前」を与えられることによって、病人としてはじめて本格的な治療の入り口に立つという意味では、「生まれ変わる瞬間」でもあるのだ。そして多くの場合、「診断」と薬の「処方」はセットで行われる。
医師にしかできないこと、「診断」と「薬の処方」、この2つが入り口でセットになっていることが、僕の「病人」としての自覚を形成した。しかし診断は「点」であり、服薬生活は「線」である。
医師による名付けー診断書は、病気の「はじまり」にしか出ない。では「おわり」はいつなのか。そうか、これが僕のモヤモヤの正体だったのか。
たかが名付けひとつがなんだ、名前がなくなったことがなんだ、と、ここまで書きながら逡巡してきた自分がバカバカしくも思えてくるが、それほど「名前」というものは力を持っているということを改めて痛感する。「病気を自分のアイデンティティの全てにすると危ういよ」なんてことは、よく言われるアドバイスであるし、僕も同じようなことを直接・間接に他者に向けて言ったことがあるが、当事者からすると、そう簡単なことではないのである。嗚呼、じんせい。
さて、違和感の正体がわかったところでどうするか。自分の意識を縛っているバイアスを一度「自覚」すれば、そこから脱することは比較的たやすい。「診断」と「服薬」は近接しているが別物である。僕が疾患の診断域から外れていることと、服薬を続けていることは矛盾しない。あとは体調を踏まえて、服薬を続けるか止めるかは、医師と相談して決めれば良いだけの話である。
そこで、先月の通院日に少し「変化」を起こしてみた。
「…最近は、仕事もそんな感じでぼちぼちやってますわ」
「まぁ、順調な感じですね」
これまで書いてきたとおり、症状は安定しているので、月に一度の通院は、お薬を出してもらうついでに世間話をする、プチメンテナンス日ぐらいの感覚だ。そのまま終わっても良いのだけど、相談してみることにした。
「おかげさまで安定はしているわけですけど、お薬については、どう考えればいいんでしょう。このまま飲み続けるものと考えるのか、減薬・断薬を目標にセットするのか…」
「そうだね、難しいのだけれど、ここから先は本当に、自分の自信次第で判断するという領域になるね。もう明らかに”不適応”は起こしていないから、日々過ごす中で自分の身体の声を聞いて、もう大丈夫、いけるぞと思うなら、一度薬をストップして様子を見るのも良いと思う。ただ、向こう数ヶ月以内に仕事の山場があったり、けっこうストレスがかかることが予想できるなら、急に辞めない方が安全かな」
「なるほど…そうですねぇ、ちょっと最近忙しくて、少ししんどくなる日も出てきてるから、次の一ヶ月はまだお薬飲んでおこうと思います。来月来たときに、またその時の状態で判断する、という感じでいきたいと思います」
スパッと決めてくれるわけではなく、しかし判断基準は提示してくれる先生の返答を受けて、僕の答えは「服薬継続」だった。
うーんやっぱりまだかぁ。ちょっとだけ残念な気持ちを抱きつつも、その意思決定をした自分の判断力には安心感を覚えた。
「病前」とは程遠い、しかしそこそこ安定した「低空飛行」を続けてきたこの2年。かつてのように思いっきり走ったり跳んだりはできないが、自分を無理に追い込んで潰れることもない。自分の状態を見極める感受性と、無理をしすぎずにどうにかこうにか生きていく力は高まった。これも一つの「発達」と言っても良いだろうか。
いずれにせよ、ここから先はある程度「決め」の問題であるし、「決め」たあと(通院や服薬をストップした後)も日常は続く。
昔より心身の調子に気をつけて過ごしていくことが大事、ということは変わらない。歳もとったし。これからもっと老いていくし。
診断書は、病の「はじまり」にしか出ない。では「終わり」とはいつなのか。
”そりゃあやっぱり、「死ぬとき」じゃないかなぁ。”
僕のぼやきへの友人の返答がきっと真理だな、と思う。
これからも僕らは、衰えながら、痛みながら、弱りながら、それでもだましだまし、生きていくのだ。
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本記事は、鈴木悠平単著『弱いままでも生きてゆける(仮)』出版に向けた断片として書き記した。
適応障害からの回復のプロセス等については、こちらのマガジンにも収録している。