メンヘラさんのサステナ戦略
いろいろあるけどなんとかやっていく。
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「冬季うつってあるじゃん、それの夏版みたいな状態だったんだな、俺は。夏季うつだ、夏季うつ」
と、リビングに寝転がりながらぼやいてみたら、
「それはね、ただのうつだよ」
とツマに返された。正しい。ツマの言うことはだいたいいつも正しい。
咳が出ない。曇天の下、ただひたすらに続く国道235号線を走る道中でふと気づいた。オフィスから物理的に離れるだけでこんなにわかりやすく収まるのかよと笑ってしまう。そしてようやく、ああ自分はやはり相当に無理をしていたのだなという事実を受け止める。
だいたい月に1度か2度、しばらく会ったり連絡取ったりしていなかったなぁという友人から、ふと連絡をもらう。風が吹いたんだろう。
Yuhei Suzuki
わたしと発達障害 - 「名付け」のない診断域外をさまよいながら
Yuhei Suzuki
Yuhei Suzuki
1995年に地元・神戸で起こった阪神淡路大震災。当時、小学1年生だった僕は、寝室兼子ども部屋に布団を敷いて寝ており、勉強机の椅子が倒れてきて目を覚ました(と言っても、パイプのかるーい椅子だったので無傷である)。つまり僕も、当時の震災を経験した当事者である、と言えるのだが、阪神淡路の「被災経験」について、僕は語るほどのものをほとんど持たない。