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畑をやることにした。
わたしが畑をはじめたことは、植物が種子を土に落とすことと同義だったのかもしれない。
東京へ行くことにした。旅行ではなく、引っ越しだ。
昨秋に植えた赤大根やラディッシュをものぐさで放置していたら、次々と花が開いた。
2月の半ばに腰を痛めて、それを言い訳にしていたら、ラディッシュやジャガイモの植え時を逃してしまい、このままだと夏野菜も植えそびれてしまいそうだ。
畑はわたしにとって、生活を、わたし自身を、地に足をつける方へと向かわせるよすがであり、営みなのだ。わたしは土とともに生きていく。病に食い殺されないためにも、今年も畑を営んで、暮らしていく。
地中から覗いている部分を両手でもって、ぐりっぐりっと回し、土の中から少しずつとりだす。しばらくするとくぽっという感触がして、白肌の大根が全景をあらわにする。
畑を営み、本をつくって、言葉を交わして、人と交わる。それがこんなにも喜びに満ちているとは。
宮崎在住の文筆家、黒木萌さんのエッセイ集『土に呼ばれて』を出版しました。
土と作物の呼吸、風と太陽のにおい、畑を耕しながらあそぶ萌さんと息子さん、ご友人、ご近所さん、ミミズさんたちの声が聴こえてくるような一冊です。
畑ができるのも健康があってこそのものだ。
今夏は猛暑のせいにして、畑しごとがほとんど、いやまったくできなかった。
暑い。
梅雨がきた。
「梅雨がくる前に掘らないと」とKさんが言った。
晩春といえばラディッシュだ。
宮崎の春は新玉ねぎの収穫と共にやってくる。
「畑を営む」。
畑をやることにして1年が経った。その間、もっと畑や土について学びたいと思いつつ、なかなかその時間が確保できていない。自宅には、読みたい本が積まれている。今回はそのうち3冊を紹介して、読む意思を強くしたい。
沢山というほどでもないのだけれど、数本育った大根を引き、半分は干すことにした。
冬は、夏のように毎日畑へ通わなくても、野菜は元気だ。だからつい畑から足が遠のく。先週末も今週末も雨が降ったから、10日ぶりの畑だ。ここ最近のわたしはからだも心もあまり調子が良くなかったけれど、畑に行ったら元気が出るかもしれないという淡い期待を抱いて向かう。
10月も半ばになり、気温が下がって、散歩日和が続いていた。久しぶりに歩いて畑へ向かうと、季節外れの桜が咲いている。
9月、私の住む宮崎には台風がやってくる。
夕方、車でトンボの群れをかいくぐって、畑へ向かう。
自然は、待ってくれない。
毎夕、息子が「畑に行きたい」と言う。酷暑で、夕方と言えどいつまでも暑い。
晴れたなら、息子を学校に送り出した後、朝一番に歩いて畑へ向かう。農道に入ると、春ほどではないけれど、鳥の鳴き声が聞こえてきて、脳にいい刺激をもらう。しかし同じ農道でも、鳥の鳴き声がしないところとするところがある。全体として、3~4月と比べて静かになっている気もする。
雨後の植物たちの勢いは凄まじい。毎日じょうろで汲んだ水をやっていても、天から降る雨にはかなわない。雨を存分に浴び、吸収した植物たちの姿はうれしそうに映る。もちろん苗たちだけでなく雑草たちの勢いもまた凄まじく、私は目を見張るばかりだ。
畑へはなるべく歩いて行くことにしている。畑に行って水をやり、帰宅するまで往復50分だ。「少し遠いな」「歩くの面倒だな」と思うこともあるけれど、そんなときは父方の祖母のことを思い出す。どこへ行くにも自分の足で歩いていく人だったからだ。
畑をはじめて1ヶ月が経ちました。実際にやってみて、関わってみなければほんとうの学びにならないことがあるのかもしれない。この1ヶ月で畑を通してそう感じました。その理由とは……?この1ヶ月の日記をお楽しみください。
宮崎在住の文筆家、黒木萌さんのエッセイ集『土に呼ばれて』を出版しました。
土と作物の呼吸、風と太陽のにおい、畑を耕しながらあそぶ萌さんと息子さん、ご友人、ご近所さん、ミミズさんたちの声が聴こえてくるような一冊です。